統治論(憲法論)


 第2次世界大戦後の国際情勢も変化し、国内の戦後政治の反省も含め、憲法改正が必要な時期にきている。日本国憲法は理想的・革命的憲法のように言われるが、憲法をよく読んでみると、旧大日本帝国時代の統治観念も色濃く残している。十分検討出来ているとは言えないが、日本の政治、統治の仕組みに関する疑問を書いてみた。

第1章 天皇
 天皇制に触れることはタブーになっているような傾向が見られるが、統治機構として天皇制が必要かは、大いに議論が必要なところだろう。現在の多くの国民が天皇制を是認しているところから見て、天皇制を廃止する必要はないと思うが、それは日本の伝統文化としての天皇制を残せばいいのであって、統治機構としての天皇制が必要なのか疑問である。実質上の権限がないのに、いろんな制約を加えられている天皇自身の立場にたっても、非人間的な統治機構としての天皇制は廃止が妥当ではないかと考える。

第2章 戦争の放棄
 この条項は、理念としてはすばらしいし、私も長らく非武装中立論者だった。しかし、現在の国際情勢からみて、国防組織は必要とみられることから、自衛の為の国防軍を設置することができるという規定に改正すべきだろう。国防軍は専門家集団とし、国民皆兵の徴兵制は採るべきではないと考える。

第3章 国民の権利および義務
 国民の義務は現在、納税、勤労、義務教育となっており、議員、首長を選ぶことは、権利であるとされるが、これは勤労と同じく、権利であるとともに義務であろう。子どもに対しては、義務教育を受けさせることだけではなく、健全に育てることが親の義務と規定すべきだろう。

第4章 国会
 日本の国会がなぜ二院制をとる必要があるのか。特に、日本のように衆議院と参議院が同じ性格の議員で構成されている場合には。慎重審議の効用が語られるが、一院制でも委員会と本会議を上手に活用することで慎重審議は可能だろう。審議の重複による時間の浪費、二重の経費、選挙時期のずれによりその時々の正確な民意の反映が困難等二院制の方が問題が多いのではないかと思う。
 国会議員の被選挙権の上限年齢がなぜないのか。下限は25歳とか30歳とか決まっているのに、上限年齢制限がないのはおかしい。企業に定年制があるのは、人間が働けるのはそのくらいが限度ということだろう。選挙権の上限年齢を設定するのは困難だろうが、被選挙権には上限年齢は設定されてしかるべきだろう。
 国会議員になぜ資格試験がないのか。法律を作るのが仕事である議員は最低限の法律の知識は必要だろう。議員の補助者である政策秘書にも資格試験がある。司法の構成員である裁判官は司法試験という難しい試験を合格してきている。行政の事務補助者である国家公務員は国家公務員採用試験に合格したものを採用している。それなのに、国権の最高機関であり唯一の立法機関の構成員である国会議員に資格試験がないのはおかしいではないか。資格試験があると、実力がないのに地盤を引き継いだだけの2世議員や知名度だけのタレント議員は淘汰されるだろう。但し、あまり難しい試験にしては、また別の問題が生じるだろうが。
 なぜ国会には会期というものがあるのだろう。迅速に必要な法律を制定するためにも、1年中国会は仕事をすべきだろう(通年国会)。国会は本来の立法機関としての仕事をすべきで、法律案も議員が作り、議員同士で法律の内容について議論・検討すればよい。現在のような政府側に質問するためだけの国会は改めるべきで、常に大臣や政府委員を参加させる必要はない。
 また、国会は国権の最高機関として政策決定権があるのであって、その際、専門家の意見を聞く審議会・一般国民から意見を聞く公聴会等は国会におかれるべきものだ。
 国勢調査権は国政の調査をする権限であって、犯罪の調査や国会議員の不正を糾すような権限ではないと思うのに、乱用されている気がする。国政調査権の範囲を明確にして活用すべきだ。
 通常は間接民主主義で国民の信託を受けた国会議員が政策決定等を行うことでよいと考えるが、国家の最重要事項の決定は直接民主主義としての国民投票制度を導入すべきと考える。

第5章 内閣
 行政府の最高責任者であり事実上の国家元首である内閣総理大臣が、どうして国民から直接選出されないのだろうか。これは直接選出する制度に変えるべきと考える。首相公選制は、議会構成との関係からうまくいかないとの考え方もあるが、そこは運用次第と考える。
 国民から直接選出されず、国会から選出された内閣総理大臣に、どうして国会を解散する権限があるのだろうか。国会議員が選挙のことばかり考えないで落ち着いて仕事ができるように解散の制度は廃止すべきではないか。首相公選制であれば、内閣不信任決議決議された時、議会を解散する権限を持っても不自然ではない。内閣と国会が政策について意見を異にし、改めて民意を問う必要が場合は、政策ごとに上記の国民投票制度を活用すべきものと考える。
 行政機関の長を律令時代からの呼び方である「大臣」と呼ぶのはなぜだろう。長官でいいではないか。
 議員内閣制といわれているのに、議員でない大臣を認めているのはなぜだろうか。又、完全な三権分立なら国会議員が内閣の構成員になるのはおかしいだろう。
 立法機関でない内閣(行政府)にどうして法律案を提出する権限があるのだろう。法律案の作成は立法行為だろう。また、政令や省令という事実上の立法行為ができるのもおかしい。政令や省令は実際には法律としての機能を果たしているようなものもある。行政府は立法府の権限範囲に入り込みすぎだ。内閣は、国会に対して、制定すべき法律について意見表明する権限にとどめるべきだ。内閣は純粋に国会の決めた国策に従って、業務を遂行する機関とすべきである。
 三権のうち行政権だけが突出してバランスを欠いている。

第6章 司法
 裁判が三審制である必要はあるだろうか。誤審を防ぐために少なくとも二審制や複数裁判官による裁判や裁判員(陪審員)制度は必用とは思うが、三度も裁判をする必要があるのか。新たな証拠がでてきた時のみ、再審を認めればよいのではないか。それでなくても裁判には時間がかかり、その実効性が失われているというのに…。
 最高裁判所の裁判官の国民審査が、事実上罷免されない制度にしてあるのは問題だし、不要だろう。国会に弾劾裁判所があって、それが機能すればいいではないか。
 最高裁判所の裁判官をなぜ、内閣が任命するのか。これでは、行政訴訟の公平性は確保できないのではないか。国権の最高機関である国会が任命すればいいだろう。
 違憲立法審査権は、裁判の提起がなくても、法律が制定されるたびに、最高裁判所が行使すべきものに改めるべきだろう。そうでなければ、違憲の状態のものが裁判の提起まで続くことになる。
 司法機関による判決後、死刑の執行や仮釈放等が行政側で恣意的に行われるのはおかしい。
 
 憲法上の問題ではないが、控訴時効があることは時代遅れだし、行為者に責任能力がない場合罰しないというのには疑問がある。責任能力のない場合、罰することが出来ないというなら、強制収容か強制入院とすべきであろう。また死刑については議論のあるところだが、冤罪の可能性のある死刑については、執行を停止すべきと考える。

第7章 財政
 積立等の基金の制度は認め、赤字国債(公債)の発行は認めないことを明記すべきだ。使いきり単年度予算も見直すべきと考える。

第8章 地方自治
 現在、地方自治は、都道府県と市町村の二重行政となっている。都道府県なんて、明治時代に廃藩置県として決められたもので、今となってはその合理性は少ない。交通・通信の手段が格段に進歩していることから広域合併を促進して町村は市のレベルまで規模を拡大して、都道府県は廃止、地方自治の単位は市に一本化すべきと考える。道州制も必要ないと思う。