自己紹介

 簡単な自己紹介をしておきます。どんな人間のホームページか、イメージできる方がいいと思いますので。

 30年間働いた勤務先を定年を待たずに53歳で早期退職しました。大学も職場も失恋で中退した妻子のいないおじさんです。

 私の人生はいろんな意味で高校時代の失恋を引きずった人生でした。そんな中、50歳頃に高校同窓会が頻繁に開催され、好きだった女の子は姿を見せなかったが、その子の親友の女の子(もうおばさんですが)から、「高校時代、私達、同じ人(私)を好きだった」という衝撃の告白を聞かされたのです。拒否されたと思い、あんなに悩み、苦しみ、死ぬことしか考えていなかった私の青春は一体何だったのでしょう。心を閉ざさせるようなことをした私が子どもでした。しかしもうすべては取り戻せません。愛のない私の人生は不幸ですが、もうそれはそれで受け止めるしかなく、目先の小さな楽しみを探しながら、今後の人生を歩んでいこうと思っています。「人生は死ぬまでの暇つぶし」というのが、今の私の人生観ですが、出来るだけ楽しく暇をつぶしたいです。

 両親が、長男ということで過保護に育て、幼い頃、外であまり遊ばせなかったため、色白で運動が不得手で気が弱く、そういうことに劣等感を持ちながら、少し勉強が出来て、いじめたり、いじめられたりすることなく、地元の公立の小中学校を卒業しました。中学時代には、新しい教科である「英語」を軽くみて勉強しないうちに苦手になったり、漫画本を寝ながら読んで近視になるなどの失敗もありました。高校は与謝野晶子や沢口靖子がでたことで有名な(?)堺市にある大阪府立泉陽高校です。この高校に通えたことは誇りです。そして1年の夏休みの学校行事の旅行で運命の女の子に出会います。運動についても、誘われて入った体操部で、意外と運動神経のいいことにも気付き、その種の劣等感から開放されました。また、投稿した文章が雑誌に掲載されたり、作文コンテストに入賞するなどして文才ありとささやかれていました。恋もしていましたし、この頃が人生の絶頂期だったでしょうか。「泉陽牧場」といわれたのどかな校風と、家族的な暖かい雰囲気、そして才色兼備の素敵な女生徒達の好意あるまざざしの中で多感な思春期を過ごし、泉陽時代は人生で一番幸せな季節でした。それだけに、私の心はいつまでも高校時代に残ってしまいました。



 国公立大学を目指していた私にとって、受験の失敗も、失恋と共に青春の大きな挫折体験でした。失恋し、まともな受験勉強をしていない中では、私学でも大学合格は奇跡のようなもので、両親や先生は喜んでくれましたが、私にとってはやむなく選んだ逃げ場所としての関西大学文学部哲学科でした。入学後、心機一転やり直そうというとは思いましたが、心のレベルが低下していて、勉強もクラブ活動も学生運動も何もせず、その年の「哲学科の三奇人」と呼ばれ、ひたすら暗い大学生活を送りました。文学部だったので多くの女子大生が周りにはいたのですが、誰も素敵には見えませんでした。大学の女の子と高校時代の女の子は全く違っていました。大学に救いはありませんでした。再受験の失敗もしています。大阪文学学校や浜寺プールの長期アルバイトではそれなりの青春物語はありましたが…。自分の人生でありながら、映画を見ている観客(傍観者)でした。心の病にかかっていたと思います。宗教や思想書にも救いを求めましたが、救われませんでした。そして最後の救いとしての自殺に失敗し、大学中退後、無気力で将来が全く見通せない暮らしをしていました。その後、国家公務員として就職出来たのは奇跡のようなものでしたが、その有難みを分かっておらず、辛かったら辞める気持ちでいましたが、運良く得意な分野の仕事だったので、30年も働けました。そして、就職して強制的に規則正しい生活しなければならなくなって、次第に心の病は回復してきたようでした。30代という年齢も関係しているかも知れませんが、関西カウンセリングセンターで、カウンセリングの勉強をする機会を得て、心理学や精神医学の世界を知って救いの道を見つけました。カウンセリングの勉強は本当に有意義でした。なぜ学校でこのような「こころ」についての教育をしないのでしょう。
 そして、何人かの女性に好かれましたが、人生は動きませんでした。幸せにはなれませんでしたが、好きになってくれた女性達にはありがとうです。