私の日記(平成20年8月)

8月1日(土)
 
実家へ弟と甥と三人で行く。この日の父は、機嫌が悪かった上、麻雀の時、点棒を何度も気にして牌を積もうとしなかったり、室内の歩行時にふらついたり、母の薬を間違った薬袋に入れていたりと、おかしいことが多かった。母も以前の悪い状態に戻ったようだった。検査で一時的に髄液を抜いても、3週間は効果が持続しないようで、やはり手術でないと解決できないということなのだろう。両親が心配なので麻雀を口実に毎週実家へ帰って観察をしているが、見れば見るほど気になることが多くて心労が増える。

8月4日(月)
 会社へ出勤。郵便局での支払いがてら、天満橋まで買物でもしようと出かけたが、この短い道中でも暑くて大変だった。その途中、何度か昼食をしたことのある揚げたての天ぷらを食べさせるお店が店じまいをすることと、店舗を貸しにだす旨の張り紙をしてあった。最近、隣家の喫茶店を買い取って店を広げて新装開店したばかりなのに、何故と思った。やはり景気が悪くなっているのか…。明日のオーストラリア中銀の金利政策決定を前に、オーストラリアドルを売る。

8月6日(水)
 朝、6時半頃に地震があって目が覚めた。結構大きな揺れだったが、それでも枚方は震度2ということだった。午後から、母のMRI撮影に病院に連れて行き、それを終えて、会社に寄ってから、家に帰ろうとしたら、豪雨になった。その結果、京阪電車が一時不通になるという事態となり、明日も堺に行かなければならないので、大阪のマンションに泊まった。ここは自分の家でありながら、熟睡できないことが多いが、この日はよく眠れた。後で聞いた話だが、この日、枚方のマンションでは避雷針への落雷があり、電気系統に被害が出たという。

8月7日(木)
 母を病院の脳神経外科に連れて行き、検査退院後の経過を説明すると共に、医師からは昨日撮ったMRIの結果からの脳の状況や手術の概要について説明を受ける。検査結果から、ある程度の効果が期待できる状況なので、手術しようということになり、入院日と手術日が決まった。その後、今日出来る検査は今日しておいて下さいと言われ、血液検査、心電図、X線検査等を回ったが、検尿だけはうまく出来なかった。

8月8日(金)
 きさいちカントリークラブでのゴルフ。朝早くから目が覚め、体調は良くなかったが、第1ホールでチップインバーディを決めてから調子に乗り、45(竹)+48(梅)=93とパー72のゴルフ場でのベストスコアで回った。ハーフが両方とも40台というのも初めてである。天気が不安定ということで心配したが、雨は降らなかった。ゴルフで疲れていたこともあるが、国威発揚セレモニーの北京オリンピック開会式など見る気もしなかった。

8月9日(土)
 今日のオリンピック柔道の男女の敗退はともに後味が良くない。現行ルールではしようがないのかもしれないが、本当に負けたの?と思ってしまう。技を決められて負けたのなら仕方がないが、消極的ということからくる指導ポイントなどで勝敗が決まるなんて柔道じゃない。勝負は一本か技ありで決めるべきだ。

8月10日(日)
 管理組合理事長から電話があり、「修繕積立金改訂検討委員会」の委員を要請されたので承諾した。以前から、前理事長や管理人さんからも受けるように言われていて、他になる人がないなら、ならざるを得ないと思っていた。また、管理組合の機関誌を8月中に発行しなければならないので、機関誌作成のフリーソフトは入手したのだが、オリンピック期間中はなかなか作業が進みそうにない。理事長もまだ原稿をくれていないので、改めて依頼した。

8月11日(月)

 今日は、日本中が北京オリンピックで沸いた。100メートル平泳ぎで、北島が世界新で金メダルをとるは、バトミントン女子ダブルスで末綱、前田組が、前回オリンピックの金メダリストで現在世界ランク1位という中国ペアを、完全アウエイの中でフルセットの末、勝利するという大快挙。これらをライブで見れたのは超ラッキーだった。金曜日にオーストラリアドルを決済したら、今日はまだまだ下がった。これはアンラッキー?だ。「損切りは早く、利益確定はゆっくり」と言われているのに、いつも利益確定が早過ぎる。

8月14日(木)
 昨日は午前中クロス円が異常な下げを見せていた。ニュースでは分からなかったが、何か異常事態が発生しているのだろうと、ポンド円を売ったところ、午後は上げて大損が発生、損切りしようか迷っていたら、夜にかけて急落し、一転どれだけ儲かるのかと楽しみながら寝た。朝、少し下がっていただけで、昨晩の大儲けの夢はどこへやら…。どちかへ動くか分からない状況なので、なんとか1円の収益をとって決済した。

8月15日(金)
 弟もお盆休みというので、車で一緒に堺の実家へ行き、母を病院まで連れて行く。午前中の入院だったが、医師の手術の説明は午後2時からということで、一旦、実家に帰ってから、2時前に出かけると、外来患者が混んでいるとのことで、3時に延期となった。説明を聞いて、いろんな承諾書にサインをさせられた。医師の説明では、この手術は、やってみないと効果が分からないという性質の手術で、その効果もすぐ出る場合もあれば、時間が経ってから出てくる場合もあり、過剰な期待をしないようにということを強調された。それが終わると、また実家へ戻り、今度は、父を車に乗せて、お盆なので貝塚の寺へ墓参りに行く。この寺への道は狭くて苦手なのである。それもなんとか無事すんで帰るが今日は疲れた。

8月16日(土)
 今までお昼はクーラーを入れないと暑くてやってられなかったが、今日は、風を通すと爽やかで、クーラーもつけなくていいようになった。昼はTVでオリンピック観戦、今日は女子卓球団体戦での逆転勝利が印象的だった。夜は、弟家族と我が家のルーフバルコニーで焼肉パーティ。夕方、雨が降ったせいか、一層風が爽快でいい感じだった。

8月20日(水)
 母の水頭症の手術が午前中の早い時間の予定となっていたので、それに間に合うように病院へ行く。車だと通勤時間帯で時間の計算ができないと思って電車を利用した。病室に行くと、髪を剃られて、入れ歯も外されていたので、一瞬、母とは分からなかった。手術室の前まで見送る。今年2度目のシーンである。手術中の待ち時間というのは、退屈だし、不安だし、とても苦痛である。予定の時間を少しオーバーしたが、手術は無事成功したと医師から告げられた時は、ホッとした。病室に帰ってきた母は麻酔も覚めて意識があった。看護師さんに、名前は?と聞かて、自分の名前を答え、ここはどこですか?と聞かれて、病院名をはっきり答えたので、また、一安心した。父にも弟にも手術は成功した旨を伝えた。とにかく一段落である。疲れてはいたが帰りの足取りは軽かった。

8月21日(木)
 今日は1日かけて、マンション管理組合広報誌の作成である。「朝刊太郎」という新聞作成のフリーソフトがあったので、それを活用させてもらった。まだまだ機能や操作を十分把握しきれていないので、マニュアルを見ながらまさに格闘である。大変であるがおもしろい。こんな便利なソフトがフリーソフト(無料)だなんて作者に感謝である。これからは、普段からコツコツと記事を集めておかなければ、と思う。
 夜は、オリンピックのソフトボール決勝戦を見た。優勝の原動力となったエースの上野はいいようもなく立派だが、TVを見ていて、宇津木妙子前監督のもう解説にならないベンチからの声援のような絶叫やつぶやきに感動した。

8月23日(土)
 今日は1日中雨、涼しくなって季節が変わりつつあるのを感じる。午前中、マンション管理組合の理事会と修繕積立金改定検討委員会の二つの会議があった。理事会では、今年、修繕しなければならない箇所について管理会社のいいなりにならないよう鋭い質疑があった。広報誌も私の作った紙面で了解された。修繕積立金改定検討委員会では、客観的にみて、修繕積立金は上げるしかないということでは意見の一致を見ているが、どのような上げ方をするかについては意見が分かれた。負担が増えることについては、大勢いる居住者に理解してもらえ、すんなり応じてもらえるかは、かなり疑問に思う。

8月24日(日)
 入院直後、母が、高校生の姪に長い間会っていないので(実際は今年のゴールデンウィークに会っている)会いたいような話をしていたので、その話を姪にすると、今日ならいいということで、車で姪を連れて母を病院に見舞う。ところが、母は、昨日から食欲もなく吐き気があったり体調が良くないとの話で、しかも、眠いというので、すぐに帰った。看護師さんが、対症療法の薬は出しているがあまり効果がないという。その話を父に報告すると元気がなくなった。姪もショックだったようで帰りの車の中は暗かった。

8月26日(火)
 マンション管理組合広報誌(A3版白黒両面刷り)を管理人さんに手伝ってもらって発行する。あまりいい出来栄えとはいえないが、とりあえず、これで一仕事すんだ。オーストラリアドルやポンドはかなり下がって、折角、いいタイミングで売りポジションを持ったのに、慌てて(怖がって)決済したことを後悔する。

8月27日(水)
 会社に出勤して少し仕事をしてから、午後、母を見舞いに病院に行く。母は眠っていた。運良く詰所に主治医の先生がいて、私の姿を見ると母の病室に来て術後の経過を話してくれた。少し髄液を一時的に排出し過ぎたようで、そのため体調を崩したが、その調整は昨日終えたので、しばらく様子を見ることになるという。特に大きな問題は生じていないということだったので、少し安心した。

8月30日(土)
 弟と車で堺へ行き、母の病院に見舞いに行く。母は、今日は起きていて、遠い所をよく来てくれたと言い、元気でよく笑い顔色も良かった。弟が菓子類をベッドの横に置いていった。その後、実家へ行き、父に母の様子を報告し、父も安心したところで、その後は三人麻雀である。自分達も楽しんでいるが、これも父親孝行である。父は足の調子はまだ良くないと言っていたが、おかしい言動は少なくなった。