私の日記(平成20年7月)

7月1日(火)
 
父を車で病院まで迎えに行き、退院の手続きをとって退院し、帰宅後父の発した言葉が「ビールはどこにおいてある」だった。退院はしたが完治した訳ではなく、まだ十分には歩けないし、足も腫れている、そして肝臓の数値も悪い、それなのに酒の話かと、カッとなった。足が完全に治るまでは飲酒はダメだときつく言った。お昼には、父の退院祝いと87歳の誕生日祝いを兼ねて上寿司の出前をとった(当然酒抜きで)。父は退院直前から、足は痛くないと病院関係者や私達にずっと言っていたが、認知症の母にしつこく「痛くないのか」と質問されてかっとなったのか「痛いんや」と本音がでた。午後、父の希望で父を車に乗せて買物や郵便局に行った帰り、やはり疲れが蓄積していたのだろうか、自損(物損)事故を起こし、車はガソリンスタンドを経由して自動車修理工場へ。タイヤのパンクだけかと思ったが、下回りもかなり痛んでいてそれらも修理が必要とのことであった。ま、考えようによれば人身事故でなくてよかったのかも知れないが…。疲れがドッとでた。重い足取りで電車で自宅へ帰る。

7月2日(水)
 
完全休養日、気分転換に介護期間中行けなかった散髪に行った。父から電話があり、昨日話したことを今日また相談したいと言ってきた。昨日も簡単な自分の住所を間違うし、長期入院のせいかどうか分からないが、父にも認知症の気配が感じられる。夜は熟睡した。

7月3日(木)
 今日出社すると、マンションのインターネットの提供を引き継いだという会社から、請求書が来ていた。振り込め詐欺に似ているような話なので、管理人さんに確認したら、実際にその会社に変わっているということだった。そのような変更の連絡をもらった記憶はないのだが…。今日は、源泉徴収所得税と源泉徴収地方税を銀行から納付するとともに、社会保険事務所へも報酬月額算定基礎届を提出しておいた。

7月5日(土)
 今までは、父が気分転換の意味もあって、我が家へ麻雀をしにきていたが、今後は、父の足が不自由になったこともあり、母の様子見も兼ねて、我々が原則毎週、実家へ行って麻雀することにした。昼食時、父がお酒を飲んではいけない状態なので、弟には父を刺激しないように酒は控えるように言っていたのに、そんなことも我慢できなくて酒を飲んだのには腹が立った。父が「酒、飲みたいと思わなくなった」と痩せ我慢してくれたのでよかったが…しかし、相変わらず父の言動には腹の立つことが多い。母とは1度だけ百人一首をし、また麻雀を知らないのに、我々の横に座って様子を眺めたり眠ったりだったが、幸せそうに見えた。車の修理も終え、私が就職直後に買ったまま実家に置きっぱなしになっていた百科事典をその車に積んで帰った。

7月7日(月)
 母を検査入院のため病院に連れて行く。担当医の話では約1週間程度の入院になるとのことで、検査の結果、手術の有効性が確認できても、一旦は退院し、後日の手術となるそうだ。認知症なのでナースコールが必要な時に押せるかどうか心配で、看護師さんには、そういう話も十分しておいた。この病院は、父の入院していた病院と違い、実家から遠い上に交通の便も悪い。
 今日は、父も退院後、初めて整形外科の外来に行った。タクシーで行くように言っていたのに、自転車で行ったらしい。医師の話では、特に具合の悪いところが出てこなければ、もう通院の必要はないとのことで、歩くのはまだ不自由そうだが、自転車にも乗れるし、足についてはもうあまり心配はいらないようだ。

7月10日(木)
 母を病院に見舞う。月曜日一緒に病院に来たのに、会うのは随分久しぶりだと喜んでいた。一度の検査で良い兆候が見られる人もいるということだが、歩行の様子も話の感じも、全然変わっておらず、少しガッカリした。やはりナースコールは押せないらしく、ベッド横にはセンサーが付けられていた。その後、実家にも立ち寄り、父の様子を見に行く。以前出来ていたゲーム機の接続がうまく出来ないと言っていたので、その作業を行なった。これで父も少しは暇をつぶせるだろう。

7月12日(土)
 父は退院後、初めてかかりつけの内科医で受診、肝臓の数値の悪いのも、下痢があるのも、術後にはありがちな話で特に心配することはないということだが…。この日、血液検査をしてもらったそうだ。
 くりっく365上場3周年記念講演にグランキューブ大阪まで出かける。ここは中之島新線が早く完成してくれないと不便でしょうがない。内容は特に目新しいものはなく、この夏に最終局面としてのアメリカの金融危機が再燃しそうだという話が少し気になったくらい。これなら、T証券のセミナーの方が良かったかもしれない。大阪でのこの種の講演会やセミナーは最近めっきり少なくなったのに、ある時は今日みたいに重なってしまう。残念だ。

7月13日(日)
 マンション管理組合の総会日。総会なんてものは、新旧役員以外は委任状出席だと思っていたが、実際の出席者も多く、その発言も見識の高いものが多くて、このマンションの住民はなかなかのレベルだなと感心した。今回、私が出席したのは事前に次期役員候補に選ばれていたためで、今までは委任状出席だった。広報担当理事になり、理事長にならなくて済んだのは有難かった。歴代の理事長は、ずっと定年退職組であったが、今期の理事は、理事長を始め現役世代が多いので、日程調整に苦労しそうな感じであるが、仕事は出来そうである。午後、役員間で事務の引継ぎを行なう。

7月14日(月)
 1週間経ったのでそろそろ母の退院の話があると思い病院に行く。担当医がいいタイミングで来てくれたと、検査結果等の説明をしてくれた。髄液タップテストで、30mlの髄液を抜いた結果、長谷川式スケールで13点、13点、16点という成績で、入院以前の9点より改善が見られ、手術による効果はある程度期待できるという。ただし、認知症は、正常圧水頭症であるが、アルツハイマー型との複合症であり、劇的な改善は期待できないだろうということ、歩行困難は、水頭症の影響というより、人工関節の劣化等によるものと見られあまり改善は期待できないだろうという説明であった。しかし、少しでも良くなる方向が期待出来るなら手術を行なうということは、父とも合意ずみなので、医師にはその旨伝えた。母は見た感じは全然変わっていない。急ぐ手術でもないということで、一旦、明日退院し、アリセプトの服用も継続して、様子を見ながら、後日に入院・手術という話になった。

7月15日(火)
 母を退院させるため、病院に行くと、既にベッドに座っていた。今朝、看護師さんから退院の話を聞かされて、私が来るのを今か今かと待っていたと言う。事務的な手続きに時間が少しかったが無事退院して家に帰った。歩行はあまり改善されていないが、認知症の部分は少し落ち着いたという感じであった。ホッとしたが、疲れがとれない。

7月16日(水)
 管理組合の広報担当理事になったので、午前中、当マンションの広報誌の発行等について、管理人さんに今までの状況を聞きに行く。とりあえず、関係者に原稿を依頼することが私の仕事らしい。
 午後、高校野球南大阪地区予選2回戦、母校泉陽対和泉戦を南港中央球場へ観戦に行く。相手も府立の進学校だから結構いい試合になるのではと期待して行った。まず、3回表にエラーと長打で和泉に2点を先行され、4回もノーアウトから3塁打を打たれるという悪い展開。しかし、この3塁打で泉陽の守備を甘く見たか本塁まで無謀な走塁してタッチアウトとなったことから流れが変わった。泉陽はその裏に犠牲フライで1点を返すと、7回には無死満塁から押し出しや適時打で逆点に成功し、8回にも追加点を上げて、結果6対2で勝利した。何度も大きな拍手をした。ひと夏に1〜2度でいいから、何とかくじ運に恵まれて、同じようなレベルの高校と試合をして、今日のような試合を見せてもらいたいと思う。

7月17日(木)
 母をかかりつけの内科医に連れていき、脳神経外科を紹介してもらって後の経緯等を話した。検査の結果では手術は効果がありそうなので行なう方向であることを話すと、その先生も手術しましょう、と母に言ってくれた。今日の母は、以前のように食卓にあるものを何でも食い尽くしたり、盗み食いもしなくなって、満腹になったと食事を残せ、何かと意思表示も出来るようになり、非常にしっかりしているように見えた。髄液を抜いたことで圧迫されていた脳が徐々に戻っているのかもしれない。

7月19日(土)
 弟と実家へ行き、父とで三人麻雀をする。退院後、認知症の気配が感じられることが多かった父だが、今日の麻雀は一人勝ちで、まだまだ頭は確かかもしれないと、負けて安心する。母は、認知症の改善は見られるが、夏の暑さのせいか、薬の副作用のせいか、食欲もなく少し元気がなかった。

7月20日(日)
 高校野球南大阪地区予選、今年の母校泉陽はくじ運良く、1回戦は不戦勝で、2回戦から参加して勝利し、3回戦の相手は清友高校。余り聞かない学校だったので(失礼)、調べると、同じ大阪府立高校であることが分かった。これじゃ、今日もいい試合が見れるかもしれないと南港中央球場へ観戦に行った。予想どおり実力は伯仲していた。泉陽は2度の1死満塁のほか数多く塁上を賑わしたが、適時打がでず、その上、内野のエラーで失点し、3対0で負けた。勝てない相手ではなかっただけに残念である。勝っていれば、次の試合相手はあのPL学園だったのに…。

7月22日(火)
 両親のことでバタバタしていたら、1ヶ月もゴルフがご無沙汰になっていた。甥からゴルフしようとの誘いがあり、急遽、大阪パブリックゴルフ場でゴルフすることなった。最近は全然練習していないし、久しぶりのゴルフだったので、前半、アプローチに苦しみ、結果56+47=103という成績だった。パー70の大阪パブリックで100を切れないなんて…。甥もOBをよく出していたが、それでも99で回った。その帰り、ゴルフスクールの練習場に立ち寄り、スクールの休止期間を延長して復帰を9月にする手続きをとった。

7月23日(水)
 母のケアマネージャーさんの月に1度の来訪日。今までの経緯もあり、父とも初めての対面なので、立ち会うため実家に行く。ケアマネさんも、そんな少しの髄液を抜くだけでこんなによくなるってと驚いていた。帰り、昨日のゴルフでかなりのボールを失ったので、本町のつるやゴルフに買いに行ったが、私と相性のいい希望のゴルフボールは品切れだった。

7月25日(金)
 久しぶりにゴルフスクールメンバーとゴルフクラブ四条畷でゴルフ。その最中、父から電話があり、何事かと思ったら、母が以前とは異なり誰の手助けも借りずにディサービスの車に自分で乗ったという話で、ホッとする。前半はまずまずの結果だったが、後半、90台を意識したか、ミスショットがでた後、そのリカバリーができずに崩れるという展開で、結果49+57=106という成績だった。快晴でかなり暑かったが、後半の茶店で食したカキ氷でバテ気味の体は回復した。もう少し早くカキ氷を食べていれば…。今日は失ったボールはなかった。

7月26日(土)
 マンションの管理組合の理事会があったが、今期の第1回ということもあって、とちらかというと、管理会社側から説明に終始した。一番疑問に思ったのは、管理会社に月100万円以上もの委託管理費を支払っていることで、その額が妥当かは精査しなければならないと思う。私の担当になった広報誌は夏季号を8月中に発行するということになった。

7月27日(日)
 実家へ弟と一緒に行く。父はよい話はすぐ話すが悪い話は隠す癖があり、弟が、血液検査結果、肝臓の数値はどうだったのかと尋ねたら、少しづつ良くなっているという曖昧な返事があり、お昼にもビールを飲もうとしなかった。ということは肝臓の数値の改善は見られていないということだろう。また、以前していなかったのに、足に包帯をしていた。聞くとシップ薬がすぐ外れるので包帯をしているという話なのだが…。母は会う度に元気になっており、認知症も歩行障害も少しづつではあるが改善されてきている。父の話によると夜間にトイレに行く回数も2〜3回とのことであり、頻尿についても改善が見られるようだ。

7月29日(火)
 K氏の声かけで、ゴルフ保険更新のためゴルフスクールメンバーがゴルフ練習場に集合したが、私を含む一部の人達は更新期間がかなり先ということで、手続きが出来なかった。その後の昼食会の話の中で、秋のコンペをしようということになり、阪奈カントリー倶楽部で行なうことが決定した。すると、これから交渉に行こうということになり、いつも連絡のくれる営業担当の人に電話をしてゴルフ場まで4人で出かける。交渉はI氏とN氏の二人の女性が中心になって行い、かなり粘ったが、規定のコンペパック料金を値切ることは出来なかった。しかし、参加賞になりそうな品物の提供を受けることでなんとか納得、これも粘って12人分を確保した。