6月2日(月)
ゴルフクラブ四条畷でのゴルフ。今日はいつものゴルフメンバーにK氏の知り合いのおじさんが参加。しばらくゴルフはお休みしていたという話であるが、4人の中では唯一90台で回った。私は、前半いい感じであったが、後半になると雨の影響か、介護疲れの影響がでたのか、もうしんどくって…。それでも、前回のゴルフからパターの時はグローブを外すようにしており、これでパッテイングはいい感じになってきている。結果は51+55=106というスコアだった。外貨は先週末相当上がっていたが、今日はまたかなり下がってしまった。
6月3日(火)
久しぶりのマンション体育館での卓球だったが、今日は参加者が7名と多く、3台の卓球台がフル回転となった。卓球で汗をかいた後のお風呂は気持ちがいい。
6月4日(水)
実家の安全対策として、ガスレンジや石油ストーブ等火の気の使うものに変えて、電磁調理器とエアコンを設置することとし、電気店の人に来てもらって状況を見てもらう。供給電力の変更工事が必要だが、設置は可能ということになった。また、今回、父の骨折事故の原因となった物干し台へ上がらなくてもいいように洗濯乾燥機も購入することにしたが、これも結構電力を使うというので、必要な工事をしてもらうことにした。父に対しては、子供に遺産なんて残す必要はないので、自分達の生活が安全で快適になるよう有効なお金の使い方をするように、と常々言っているのだが、昔、お金に苦労したせいかなかなか使おうとしない。今回の件についてはなんとか説得できたが…。
6月5日(木)
足の悪い母を病院へ連れて行く日が運の悪いことに雨である。午前中、かかりつけの内科医のところへ行き、午後は予約していたMRI検査である。MRI検査が頭の検査だというと、今の私の頭は悪いからと少し検査を嫌がるが、なんとか説得して連れて行く。この検査の病院は父の入院しているところなので、検査終了後、母を車椅子に乗せて、父の病室まで行き、久しぶりの対面となった。夕方、母が百人一首をしようと言うので、私が上の句を詠んで母が下の句を言う遊びをする。今日は百首詠んだが、9割程度あっていたのには驚いた。脳機能の低下で自信を失いつつある母にとって、百人一首は今では自信を取り戻せる唯一の手段となっているのだろう。誰が来ても毎回百人一首をしようと言っているらしい。
6月6日(金)
母がデイサービスを利用している時間、予定を変更して会社に行って少し仕事をする。こんな状態なので、会社の仕事も急ぎでないものは、放置したままになっているものが多い。外国為替市場では、ポンドの上がりが鈍いので、会社のポジションはそのままにしたが、今夜の米雇用統計の結果次第でどう動くか分からないので、収益の出ていた個人の豪ドルは利益確定を行なった。
夕方、実家に帰って来ると、市役所から文書が来ており、母の介護認定の区分変更が認められて、要支援2から要介護2になった。母の状態からみて要介護2は妥当なところだと思う。早速ケアマネージャに連絡して必要な手続きを依頼する。その後、歯科から母の入れ歯が出来上がったので都合のいい日に来て下さいと電話があったり、電気店から工事の見積もりの結果の電話があったりと大忙しの夕方であった。この日にやっと父のギブスがとれ、中に入れていた固定用の金属ピンも取り出し、なんとか退院に向けて動きだした。
6月9日(月)
今日は最近には珍しく会社で通常勤務した。今まで延ばし延ばしで残していた帳簿付けを一気にしたところ、現金と帳簿の数字が合わないという事態が発生した。どこかで仕分を間違っているようだが、今日は間違いを発見できなかった。会社にしていると、記帳作業のほか法人税の申告を含む役所への書類の提出など事務的に相当な手間がかかるが、それに見合うメリットがあるのか疑問である。
6月10日(火)
朝方、ポンドが一時的に急騰し、買値までは達しなかったが、スワップを入れると収益が出る状態になったので、長らく持っていた会社のポンドの買いポジションを決済した。今年初めての会社のまとまった収益である。当然、まだまだ赤字であるが…。しかし、一時は本当に会社は倒産の危機に陥り、このポンドも何度損切りしようかと思ったことか、それを思うと、このポンドで収益を上がられたなんて感慨もひとしおである。後は残る豪ドルに託すのみ。お昼の卓球は今日も5名が参加したが、もうこの時期でも汗だくである。入院していた卓球仲間のMさんも無事退院され、秋には復帰とか。
6月13日(金)
母がデイサービスに行っている間、実家は1日中電気工事に終始した。洗濯乾燥機とエアコンは設置できたが、電磁調理器は関電の外部工事が完了するまで使えないということで、購入したものの現物はまだ配送されていない。これが一番緊急を要するのだが…。デイサービスの日は息抜きの日なのに、工事に立ち会って余計疲れた。最近、デイサービスから帰宅後の母は少し様子がおかしい。やはり気を使って疲れるのかも知れないので、要介護2になって利用出来る回数は増えたが、本人にとって増やすことがいいことなのかは判断が難しいところである。
6月16日(月)
ゴルフスクールメンバー(最近はそれ以外の人も増えてきた)によるゴルフクラブ四条畷でのゴルフ。雨が心配されたが夜のうちに止んで今日は快晴だった。結果は50+55=105で、最近は同じような成績が続いている。課題はやはりアプローチだ。運動した後の心地よい疲れはいい。外為市場では、売らなかった豪ドルはそれほど上がっていないのに、売ったポンドが急騰してきた、仕方がないが悔しい。
6月18日(水)
夜中に目が覚めたので、為替レートを確認すると豪ドルが結構高い値がついていたので、ついに決済した。これで、会社の収支はトントンになった。
一度会社に出勤後、午前中のうちに実家へ行く。午後、関電の電気工事が完了し、電磁調理器の設置が可能になったので電気店に連絡。父を病院に見舞うと、しばらくして、リハビリの時間になり、病院の人が家族の人も見て下さいというので、父の歩行訓練の様子を見学する。始めは平行棒の両方を持って歩いていたが、最後は、ゆっくりではあるが何も持たずに歩いたのには驚いた。しかも、先週、抜糸したばかりなのに、痛いところも違和感もないという。また、病院の人から、退院後のことも考えてリハビリの参考にするので、実家で段差があるなど問題と思われる箇所の写真を撮ってきてほしいと言われた。
6月19日(木)
母をかかりつけの内科医のところに連れて行く。MRIの検査結果から見ると、水頭症による認知症の可能性があるというので、系列病院の脳神神経外科を紹介され、来週、受診することになった。アルツハイマー型の認知症でなければ、アリセプトという薬の効果はない。しかし、水頭症はいわゆる「治る認知症」と呼ばれ、手術によって、認知症の症状が消えることがあるという。にわかには信じられない話であったが奇跡を信じたい。夕方、電磁調理器が配達され無事設置が完了する。これで、火災の心配はかなりなくなった。
6月20日(金)
母がデイサービスの間に会社に行き、インターネットで「水頭症」を調べておおよその知識を得たり、実家の問題箇所の写真を印刷したりと、この日はいろいろすることが多くて、全然、休息にはならなかった。母は、昭和27年頃流行った「芸者ワルツ」という歌が一番好きということで、このテープをかけると、自分でも歌にあわせて口ずさんでいる。最近、この歌を聞きすぎた私は、たえず頭の中でこの歌がかかっている状態になっている。それと、百人一首も暇があれば付きあわされるので、多くの和歌が頭の中を駆け巡っている。
6月22日(日)
仕事が溜まっていたので会社へ出勤する。今日の日経ヴェリタス(新聞)は内容がなかった。介護疲れというよりも睡眠不足で疲れていたらしく、会社で30分の昼寝をした後の爽やかなこと。その後は軽快に仕事をこなし、現金と帳簿の数字の合わない原因も分かり解決した。
6月23日(月)
阪奈カントリークラブでのゴルフ。当初はキャディを付けていたが、何度も来てコースも分かっているので、最近はセルフプレイにしている。比較的難易度の高いゴルフ場なのに、この日のレギュラーティーはいつもよりもかなり後に設定してあった上、降ったり止んだりの雨という気象状況。いいスコアがでるわけがなく、4人全員結果は良くなかった。私も57+58=115という成績だった。
6月24日(火)
かりつけの内科医の紹介で系列病院の脳神神経外科へ行ったところ、その医師の見立てもMRIのフィルムを見た結果で「正常圧水頭症」だろうということであったが、ここでは、手術の有効性を判断する検査が出来ないというので、地域の大病院の脳神経外科を紹介された。母を連れてここへ来る必要はなかったのでは?
6月27日(金)
火曜日に母を病院に連れて行った関係でその日の晩から実家4泊5日の長丁場である。介護に行っている間、夜、お酒は飲んでいなかったが、この週(10週目)は、さすがにお酒を飲まないとやってられなくなった、それでも、母が夜中に何度もトイレに立つので、全然、熟睡は出来ない。今日、火曜日に行った病院の紹介を受けて、地域の大病院へ行く時も、MRIのフィルムを持って行くのを忘れかけるし、私がボケている。この病院の医師の見立ても、MRIを見る限り「正常圧水頭症」だろうということであったが、手術の効果があるかはテストしなければならないとのことで、7月7日から検査入院ということになった。高齢であるので、手術が可能かを尋ねたが、大きな持病を持っていない限り手術には問題がないということであった。しかし、この日から母は、自分の入院と父の退院(ずっといない方が気楽でいいと言っていた)を知って動揺があったのか、心身とも少し不安定になった。
6月28日(土)
父の退院が正式に7月1日に決まり、介護に実家へ行くのは一応最後となったが、自分のマンションに帰っても、これで一段落という開放感は全くない。父は退院するが、すぐには買物等には行けないし、母も入れ替わりみたいに入院である。
6月30日(月)
朝、父から電話があり、「用事があって家に電話をしたら、当番の甥が来ていないようだ、そうだとすると、昨晩と今朝の食事がとれていないのでないか」と言う。甥の携帯に電話をしても出ないし、実家の母に電話をしても来ていないという。義妹に電話をすると、昨晩、遅い時間だったが、車で出かけたという。認知症の母の話はあまり信用できないが、甥に何かのトラブルがあったかもしれないので、それも心配で、車で堺の実家に行った。すると、甥は用事があって昼の時間外出していただけとの話である。明日は父の退院の日でどうせ来なければならないので、甥には帰ってもらい、私が実家に泊まった。