私の日記(平成20年5月)

5月1日(木)
 地域包括支援センターの職員と委託事業者のケアマネージャーが実家に来て、介護保険のサービスを受けるにあたっての説明をしてくれた。ケアマネージャーが母と面談して現状を聞いていたが、母の話すことは、ほとんど違っていた。買物にも行くし、食事も作る、趣味の俳画もやっているetc…それはみんな昔の話、今は認知症の症状があり食事の用意も出来ないし、歩行も室内で手摺をつかまってやっとという状態。父はなぜ市役所の職員が介護保険の調査に来た際、母の話を訂正しなかったのだろう。その上健康である内科に通わせるという見当違いのことをしている。そんなことならば、確かに要介護にはならないだろう。父任せにしていたことを反省した。その後、ケアマネージャーと話をして、今の要支援の中で出来るサービスを受けるとともに、介護保険の区分変更の申請を行なうということになった。
 前日、母とTVのクイズ番組を見ていたら、おバカキャラのタレントよりずっと正確に回答していたし、今日、珍しく母が百人一首の本をとりだしてきたので、試しに上の句を言うと、かなりの頻度で下の句を言える。しかし、直近の言動(自他とも)を記憶する力が失われているようで、同じことを何度も言うし、目を離すと食事後にまた食べて食べ過ぎで苦しいと言う。それとなく、その盗み食いの話をすると、「食べることくらいしか楽しみがないからなぁ」との名言にはまた驚いた。

5月2日(金)
 明日からゴールデンウィークで休日になるので、弟が仕事を終えてから実家へ来てくれた。交替して帰宅の予定だったが、夜遅い時刻だったのと、疲れていたので、途中の大阪のマンションに泊まることにした。そこは会社でもあるので、少し仕事のチェックすると、うっかり忘れている事項があった。
 なお、実家ではインターネット接続ができないので、外為市場の動きは、ケーブルTVのデータ放送と携帯電話で確認し、頻繁に見ることが出来なくなっている状態だが、この日は外貨が上昇し、スワップ金利を含むと少し益のでるところまでになってきた。

5月5日(月)
 介護用品のショップへ母の風呂用のイスを買うつもりで行ったら、色んなものがあるので、とりあえず、カタログをもらって帰ってきた。布団での寝起きも辛そうなのでベッドも考えなければならない。
 夜、マンションのサークルの飲み会。修繕積立金の不足が話題になって、何とかしなければならないという話だが、支出の増えることは誰でも嫌がるし、難しい問題だと思う。カラオケと会話でいつの間にか夜の12時前になっていた。

5月7日(水)
 ケアマネージャが近くで体験ディサービスの出来るところを紹介してくれたので、今日、母はディサービスに行った。難しいことも言わないで。見学も出来るというので、途中からその施設に行って見学をしたが、塗り絵をしたり、手足の運動をしたりで、母は生き生きしていた。ディサービスは介護する側の負担軽減ということはもちろんあるが、本人にとっても社会と接触できるいい制度だと思う。帰って来ると、初めてのことだっただけに、何日も入院していたような感覚で、やっと退院できたと言っていたが、施設の人は親切で、お風呂も広く気持よかったと嫌がっている風ではなかった。

5月10日(土)
 施設とディサービスの契約を行った。また、ケアマネージャも来てくれ、調べてくれたところによると、市役所職員の聞き取り調査が、すべて自立という風な誤った事実認定をしており、介護保険の区分変更の申請を行うというので書類を作成した。そして、今回の調査時には私が立ち会うことにした。また、介護用品の購入には、介護保険が適用されるものもあるという話を聞いた。

5月11日(日)
 NPO法人の理事会。私はもう理事ではなく、会場を貸す正会員という立場なのだが、理事長が早めに来て、資料を見てくれというので、見ると誤りが1箇所発見され、それを訂正した。あいかわらず、理事会では、夢のような現実離れした話をしている。

5月13日(火)
 久しぶりにゴルフスクールに行ったら、知らない生徒さん達が増えていた。ゴルフスクールは無理すれば通えるが、6、7月はお休みにすることにしてその手続きをとった。卓球も久しぶりに行ったら、卓球メンバーのM氏が病気で入院したという話である。今年は私の周辺でよくないことがよく起きている。

5月17日(土)
 朝方、足の悪い母がトイレでペーパーホルダーを手摺代わりに持とうとしたらしく滑って倒れた。たいしたことはないというので、寝かせていたら、昼前になって痛みがあるという。病院の整形外科へ電話をすると今日は診察は午前中までで、しかも予約制だという。直近の予約を尋ねると月曜日の1時だというので予約した。この1時を7時と聞き間違えるなど、私もこのごろおかしい。トイレにも一応手摺は付けてあったのだが、不十分であったようなので、急遽、一部の手摺をトイレに付け替えた。今日は少し早く帰ろうかと思っていたが、弟が来るまで待って帰った。

5月19日(月)
 義妹の車で母を病院へ連れていって診察を受ける。レントゲンも撮り、単なる打撲で骨折等の問題は無いという話だったが、旧来からの悪いところはもうどうしようもない(手術をするには高齢でリスクが多すぎる)という風な説明だった。薬はシップ薬だけ。まあ、不幸中の幸いではあった。父の入院している病院でもあったので、父と母は約1ヶ月ぶりに再会した。しかし、父の話を聞いていると、母に対するあまりの思いやりの無さに、腹が立って、病院で喧嘩しそうになった。義妹が止めに入った。
 また、日曜日に入れ歯が壊れたというので、歯科医へ連れて行って修理してもらうと共に、入れ歯があっていないようなので、新しいものも作ることにした。車に乗せるのは相当の苦労である。本人はもっと大変だろうが…。

5月20日(火)
 今日は完全休養日で、ゴルフスクール仲間が企画してくれたゴルフ倶楽部四条畷での私を励ますためのゴルフに参加する。1ヶ月ぶりのゴルフだ。後半途中、I氏が、グリーンのフラッグをクラブと共にカートへ持って行こうとする珍事件が発生し、笑いのつぼにはまって集中力が無くなってしまった。結果は49+55=104という成績だった。あの珍事件さえなければ…。 

5月22日(木)
 実家は、老夫婦が住むには危険な箇所が多く大改装が必要だと思うのだが、急激な環境の変化は高齢者には良くないという話もあるので、そこをどう調整するか迷っている。月曜日、ケアマネージャの話をヒントに母の寝床の横にソファーを置いた。すると、寝る時にはうまくソファーに手をついてから横になり、トイレに行く時もソファーを使って立ってトイレに行った。ちょとした工夫がうまくいくとうれしくなる。
 母をかかりつけのクリニック(内科)へ連れて行って診察を受ける。内科的には問題はないようだ。医師に認知症の話をし、専門医を紹介してもらおうと思っていたら、今日、検査をしましょうということになった。医師から、後で私だけが呼ばれ、30点満点で20点以下であれば認知症を疑うという検査で9点しかなく、認知症ですと言われた。MRI検査を予約し、薬(アリセプト)も処方された。父にもその結果は告げた。

5月23日(金)
 今までもらっていた薬(主として消化薬)は服用していなかった母だが、今朝、認知症と高血圧予防の薬を飲むように促すと素直に服用した。ディサービスにも素直に行き、帰宅後感想を聞くと、大勢の人がいるので気を使うが、施設の人は非常に親切だと言っていた。

5月25日(日)
 NPO法人の総会。役員は辞めたが義理もあって一応正会員なので参加する。実際の開始時刻は、16時30分なのに、文書に記載された開始時刻は14時だったので、14時から来た人は2時間30分も待った。理事長は、話をする機会のあった人には話したり、訂正の葉書をだしたというのだが…。いろんな意味で加齢というのは恐ろしい。総会が終わった後の懇親会で酔ったし、明日は堺の実家へ行くということもあるので大阪のマンションに泊まった。

5月26日(月)
 入れ歯を作るため、再び母を歯科医へ連れて行く。これで済むかと思ったら、出来上がってから調整のためにまた来なければならないという。今日は甥に手伝ってもらって、母が盗み食いし難いように冷蔵庫を移動し、室内、トイレ、風呂に手摺を追加したり、位置を修正したりした。これで、かなり使い勝手はよくなったと思う。しかし、こんなことをするまでにもう1ヶ月以上も経っている。

5月27日(火)
 今日で当面最後となるゴルフスクールの後、腰痛でゴルフをリタイアしていたM氏の復活応援ランチということで、元ゴルフスクールメンバー8名集まっての昼食会。時間制限のほぼないバイキングだったので、食べるは、喋るはで、12時から15時30分頃までいた。そしてM氏の復帰第1戦のスケジュールも決まった。参加出来ないのは残念だが…。

5月28日(水)
 母の介護保険の区分変更の申請をしたので、市役所の職員が調査に来てくれた。私も母と同席して、現状を伝えた。

5月31日(土)
 今週の実家3泊4日は長かった。月曜日も行ったし。母は夜間悪い足で頻繁にトイレに行くので、こっちも睡眠不足で、私が認知症になったのかと思うような忘れごとをしてばかり…。疲れた重い足取りで帰路に着く。サラリーマン生活を辞めてからのこの5年間がいかに恵まれた時期であったかということを痛切に感じさせられた。