私の日記(平成20年12月)

12月2日(火)
 ゴルフスクールはやめたのだが、ゴルフの練習は定期的に火曜日にしようと決め、ゴルフ練習場に行った。スクール仲間とも会う。その時言ったように、今の私が習わなければならないのは、技術を上げることよりも、心を強くすることだ。練習場では本当に上手なのだが…。午後のマションの体育館での卓球は、最近には珍しく7名もの人が集まり卓球台も3台使用した。

12月4日(木)
 きさいちカントリーでのゴルフだったが、12月とは思えない絶好のゴルフ日和。私が為替で大損する前の小金持ちの時に購入して、使う機会がなかったショットナビポケットというGPSで距離を測定する機械を初めて使った。グリーンオンを狙える近距離の測定には重宝した。午前中は昨晩の為替のディトレードで損をした影響か、慣れないショットナビポケットの操作に気を取られたか、とにかく調子が出ず、特にパットがおかしかった。午後になってからは何とか調子を戻して、59+50=109という成績だった。

12月7日(日)
 実家へ弟と一緒に帰る。今後、麻雀は実家ですることになり、私のマンションではすることはないだろうとの見通しから簡易麻雀卓を実家へ持っていった。そして今日は私の一人勝ちとなった。母の百人一首は今日は調子が良くて正答率が高かった。

12月9日(火)
 朝、ゴルフ練習場に行く。練習場では本当に上手く打てる。練習場で会ったI氏が12日の四条畷での参加メンバーと聞いていなかったのにすっかり行く気になっていた。ゴルフの予定を入れすぎてどこかと混同したようだ。しかし、あまり人のことは言えない。私も毎週ゴルフに行く身分ではなくなったと言いながら、誘われるとついOKをして、毎週のゴルフとなっている。午後の卓球は今日も7人もの人が集まって3台の卓球台を使用した。しかし、今日は、学校から早く帰ってきた小学生が体育館に集まって遊び始めたので、卓球は早い目に切り上げた。

12月12日(金)
 ゴルフクラブ四条畷でのゴルフ、12月とは思えない温暖な気候だった。今日の圧巻は17番ホール、ここは崖越えの名物ホール、2打で崖越えに成功してグリーンオン。いいショットもあるのだが、それが続かないで、結果は56+53=109という成績だった。帰って為替市場を見るとドルが89円台と十数年ぶりの超円高になっていた。アメリカの自動車産業救済法案が廃案になる見通しとなったためらしい。いつまで続くのだろうこの超円高。あまりにも安くなり過ぎていたので、反動で一旦は円安になると思っていたが、そうならずに一直線でこんなに早く80円台を見るとは。

12月14日(日)
 実家へ弟と一緒に帰る。我々が、麻雀をする前に部屋の掃除をするというと、父は一昨日掃除したからしなくていいという。「有難う、頼むわ」と言えばいいものを…。こっちは実際にゴミが目に付くから掃除をしようと言っているのだ。今日は我々兄弟と父が衝突してばかりだった。麻雀では弟が父に「大三元」を私に「国士無双」と二度も役満を振り込むという珍しい展開だった。帰り、所用があって姪に貸している大阪のマンションに立ち寄ると、すっかり姪の家になっていた。なんだか淋しかった。

12月15日(月)
 ゴルフクラブ四条畷での予定を枚方カントリーに変更してのゴルフ。今日は天候も体調もよく、いい感じでラウンド出来た。結果、49+50=99と枚方カントリー3度目の挑戦で100を切った。

12月16日(火)
 本年最後の卓球で4名が参加した。先週と違い、3時まで小学生も遊びに来なかったので、時間一杯楽しめた。いつも途中で疲れるのに今日疲れなかったのは、午前中にゴルフ練習をしなかったせいかもしれない。

12月21日(日)
 今日は弟家族と一緒に実家に帰り、年末の大掃除をして、両親の快気祝い兼忘年会を行なう。帰りの運転があるのでそんなに飲めなかったが…。その後、恒例の麻雀や母との百人一首もした。昨年から始めた年末の甥や姪たちとのゴルフは今年はそれぞれ忙しいということで取り止めになった。私も今年は為替で大損をしてお金に余裕もないし、それはそれでよかったのかも。

12月22日(月)
 ゴルフクラブ四条畷でのゴルフ。スタート時には雨が残って、雨具を着てのラウンドとなった。何が良くなかったのか分からないが、この日の出来は良くなくて、61+56=117という成績。これが今年最後のゴルフだが、先週の枚方カントリーで止めておけばよかった。最近、いつも一緒にラウンドしているゴルフスクール仲間の人たちが全体的に上達して来て、少し先行していたメンバーには焦りが…。

12月28日(日)
 マンションのサークルの忘年会を、かつてのサークル仲間で、近所に引越したT氏宅で行なう。このサークル活動も最近は不活発になってきていて、同じマンションに住んでいるのにメンバーの人たちと会うのは久しぶりだった。

12月30日(火)
 従兄(いとこ)が、すい臓ガンで危ないという連絡をもらったので、弟と一緒に泉佐野の病院まででかける。1ヶ月前に背中が痛いといって入院して、その時にはもう手のほどこしようがなかったとの話だ。病室に見舞うと、か細い声で「すまんのう」と言った。子どもの頃、夏休みに二色の浜海水浴場でよく遊んでもらった従兄で、たった3歳年上なだけである。この人の結婚式では、親戚を代表して父がスピーチをすることになっていたのだが、病気で入院中したので、私がスピーチしたというエピソードもある。そのうちゴルフを一緒にしようという話もしてたのに、とうとう出来ないまま終わった。今年は、為替相場で大損をして、会社も休業に追い込まれるという本当に不幸な年だったが、人生が終わる不幸よりはずっとましである。そして、人生にはいつ終わりがくるかもしれないのだ。楽しむ時に楽しんでおかないと…。