私の日記(平成24年4月)

4月1日(日)
 父との家族麻雀は雰囲気を変えようと弟の提案で堺駅近くの雀荘でやったが、雰囲気が良くなく、今後は利用しないという話になった。しかし、私はついていて珍しいメンゼン大三元(役満)をあがったりしての一人勝ちだった。父は歩行が頼りなく駐車場で転倒しそうになった。弟と共に、母の入院している病院へ寄ると母のベッド周りが慌ただしかった。医師から、肺炎をまたおこしているようで、抗生剤の投与をするとの説明があった。一旦、家に帰ると、午後9時頃に病院から何が起きてもおかしくない状態なので電話はいつでもとれる状態にしておいて欲しいとの連絡があり、午後10時頃には、状態がよくないので来てもらった方がいいとの連絡があった。夜中、弟と父を車に乗せて病院へ行ったが、こんな時に父は疲れているので行かないと言ったので弟と喧嘩になった。

4月2日(月)
 深夜、しばらく三人で病室にいたが、寝不足は高齢の父には負担になるということで、一旦、実家へ帰ることにしたら、誰かが残った方がいいと看護師さんに言われて、弟が残った。父を実家へ車で送り、病院へ戻るまでの間に母は帰らぬ人となった。万一の際の葬儀は近くの葬儀社(メモリアルホール)を予定していたが、急なことだったので名前も電話番号も分からず、病院から葬儀社まで車をとばして葬儀を依頼し、まずは寝台車で遺体を実家まで運んでもらうようお願いした。それらの措置がすんで葬儀社との簡単な打ち合わせをして、少しお酒飲んで眠り始めたのが、午前4時頃だった。
 朝からは、お寺さんや親戚への連絡、葬儀社との本格的な打ち合わせをすませた後、礼服を取りにいったん家に帰った。少し時間があったので風呂に入って仮寝をしたら少し体が楽になった。母のエピソードなどを葬儀社の人に話をしておいたら、それを見事に会葬御礼に書き込んでくれたのは感動ものだった。午後4時から納棺式があって遺体を実家からホールへ移動させ、午後7時から通夜となった。どこで聞いてくれたのか昔の母の俳画仲間の人が参列してくれたのには驚いた。父は悲しみに耐えられないのか、荘厳な式の最中に何度もどうでもいいことを話しかけてきた。香典は故人の遺志により辞退したため、親戚筋からいろいろ言われたが、故人の遺志で押し通した。会場の横にはベッドルームと畳の間があり、そこで弟と甥と私の三人が寝た。

4月3日(火)
 火葬場の都合で、葬儀・告別式が午後2時と遅い時間になったので、朝から時間をもてあますことになった。葬儀社の人に確認して、横の畳の間で父を入れて麻雀をしたところ、いい感じに時間が潰れた。葬儀・告別式でお経がはじまると父はまた居眠りをして焼香になった際係りの人に起される始末である。火葬場へ行く道中は春の嵐となった。おとなしかった母の積年の怒りか何かだったのかもしれない。精進上げの際、父が挨拶をしたが、「亡き妻」というところを「亡き母」と間違えた。母のことを妻と思っていなかったのだろう。骨上げに行くとそれはものの見事に灰になっていて、悲しみの気持ちは昇華した。初七日法要までをホールですまし、実家で葬儀社の人が満中陰法要までの仏壇前の飾り付けをして、大きなトラブルもなく長い1日が終った。弟は悲しみが深かったせいかずっと酒に溺れて無理に陽気に振舞っていたのが痛々しかった。

4月4日(水)
 葬儀直後だったがそれほど体調も悪くなかったので、以前から予定されていたマンションの人達との京都花見散策に出かける。道中、弟と父からたいしたことのない電話が入った。ホテルで昼食、メインの食事よりもデザートバイキングの方がずっと魅力的だった。その後、京都府立植物園へ花見散策。ここは公的証明書があれば、60歳以上は入園料が無料になり、そして今日の参加者は皆60歳以上なのだが、その証明書を持参したか否かで明暗が分かれた。長い散策はさすがに疲れました。

4月5日(木)

 マンション麻雀同好会、来週は私が参加出来ず、経験者グループ、初心者グループともに人数不足ということだったので、M氏夫妻に揃っての参加をお願いして快諾してもらった。相当疲れていたのでどうかと思っていたが、麻雀は快勝だった。

4月6日(金)
 朝から実家へ帰り、葬儀社の人と清算や葬儀後の諸種の打ち合わせをし、その後父と昼食を外食でした。午後、葬儀社への費用の支払(振込)に近くの郵便局へ行くと、父名義の口座から子どもの私が振り込むのには委任状がいるというので、また実家へ戻って父を連れていって手続きをすませた。その後、母の死亡に伴う役所関係の手続きに行く。これらの手続きは14日以内と時間的にはあまり余裕がないので出来る時にやっておかなければならないものだ。市役所に、国民健康保険証を返納し、その際に葬儀をした際に支給される葬祭費の受給手続きをし、介護保険証も返納したが、国民年金関係は年金事務所まで、戸籍謄本や住民票を持っていかなければならないという。市役所で戸籍謄本や住民票をとって、少し離れた年金事務所へ出向いて手続きをした。これらの手続きを行いながら、死亡届さえ提出すれば、役所間の連絡ですべての手続きを終えるようにし、保険証等の返納は郵送でもいいことにすべきだろうと思った。他の手続きがまだ残っているがこれらはあわてないので折をみて行う。

4月9日(月)
 朝、甥からゴルフ出来ないかという電話があって、特に用事もないので、急遽、大阪パブリックゴルフ場でゴルフすることにし、10時30分の最終スタートになんとか間にあった。ラウンド中、M氏から木曜日のゴルフは成立したのかという電話があったので、揃っていることを伝えた。昼食時、食堂のおばさんに「お久しぶりですね」と声をかけられた。一時期よく来ていたので顔を覚えてくれていたらしい。しばらく練習していなかったので、ドライバーの調子が悪かったが、後半にはバーディもあって、52(IN)+46(OUT)=98で回った。

4月10日(火)
 午前中、ゴルフ練習場に練習に行くと、ゴルフスクールで随分久しぶりにY氏とH氏の初心者コンビに会う。やはり冬は寒いのでお休みしていて4月からスクール復帰ということだ。M氏からぎっくり腰をやったみたいで今日の練習は休むが、軽症なので明後日のゴルフは行けると思うとのメールが入ったので、決して無理をしないようにと返信しておいた。昨日調子の良くなかったドライバーも練習場ではいい感じで打てた。

4月11日(水)
 朝、M氏から腰痛が治らないので、明日のゴルフはキャンセルしたいとの電話があった。やっぱり。三名で行くことにしてゴルフ場に連絡したら、前日キャンセルの場合はキャンセル料が発生するという。そこで、明日のことなので無理かもしれないと思ったがO氏に連絡したところ、行けるということだったので参加をお願いした。
 午前中に実家へ帰り、父を連れて郵便局で母の簡易保険の死亡保険金の受取手続きをしたら、長らく入院していたので入院保険金も出るという。こちらは相続財産扱いになるので手続きが少し複雑らしいが、お金にシビアな父が面倒ならもういいと言ったのには驚いた。別に自分が手続きするわけでもないのに…。

4月12日(木)
 最終的に珍しい組み合わせとなったメンバーでかさぎゴルフ倶楽部へ行く。この日はレディスディでパーティに1名でも女性が入っていれば割引料金になるのだがなんとか1名入ってもらえて安くなった。ここは新しいゴルフ場で美しいところだが、池とバンカーの巧みな配置で難易度を高めている。この日は、寒くもなく暑くもなくやや風はあったが快晴で気候のコンディションは良かったが、昨日の大雨でフェアウエイはぬかるんでいたところが多かった。いい感じのショットやパットもあったが、池ポチャやバンカーとコースの罠にはまり、57(IN)+54(OUT)=111という結果だった。甥は自信を無くしていたドライバーショットで飛距離のでるすばらしい当たりを連発していた。あれだけいいショットをすればゴルフも楽しいだろう。

4月15日(日)
 家族麻雀のため実家へ帰る。今日は甥も行くということになった。葬儀の際、母へのメッセージカードをお棺に入れることになっていたのだが、弟がその想いを書いたカードを入れ忘れて、何かに紛れて実家に残ってあったらしく、父がそれを見て弟の母への深い想いを知ったと言って二人で泣いていた。昼は寿司屋で食事、甥は贅沢をさせてもらったと喜んでいた。弟はお酒を飲んで眠ってしまったため、麻雀は父と甥と私の三人でして2回しか出来なかった。父はやはり母の死に心理的ダメージを受けてはいるが、直後に比べるとかなりしっかりしてきた。帰りに、母の入院していた病院に立寄って費用の清算を済ませた。

4月16日(月)
 マンションゴルフ同好会で、初めてのゴルフ場奈良柳生カントリークラブへ行く。ここは月曜日がセルフデーでこの日は会員の紹介なしでビジターだけでラウンド出来るというゴルフ場だ。先週行ったかさぎゴルフ倶楽部の近くだが、少しだけ近い。この日はドライバーショットの調子がよく、2オンしようと力んでOBとなった1打があったものの、48(OUT)+49(IN)=97という成績だった。ラウンドが終って車で帰りかけた頃から豪雨になったが、マンションに帰ってきた頃には止んでゴルフバックの積み下ろしに支障はなかった。

4月18日(水)
 「未来へつなごう!堺チン電の会」(堺のチンチン電車を愛する会の名称変更)の会費を郵便局から送金し、その後散髪に行く。散髪の途中、M氏から昨日ゴルフ練習場で話を聞いた25日のゴルフは都合が良くなったので参加したいとのメールが入った。今度は大丈夫?
 BSフジで平日の17時から中国で制作された三国志を放映していることを知った。長編なのでゲーム三国志ファンとしてはしばらく楽しめそうだ。

4月19日(木)
 恒例の木曜日のマンション麻雀同好会。初心者グループは人数不足で成立せず、経験者グループもやっと四人が揃ったという状態だった。初心者グループがいないので集中して出来たが、ついてなくて、今日は先週共に休んだH氏のワンマンショーだった。運転免許証がやっと郵送で送られてきた。門真の試験場で手続きすれば即日交付なのに、1ヶ月以上かかるのだ。

4月20日(金)
 平日、実家へ帰り、父と昼食を外食でした後、母の死後の金融機関での各種手続きを聞きに行く。戸籍謄本や印鑑証明書等、区役所へ取りにいかなければならない書類が多いが、戸籍謄本にはいろんな種類があるようでややこしい。入院保険金の受取りには病院の入院証明書が必要というので、病院へ証明書の発行を頼みに寄った。簡単な証明書なのに2週間程度かかるという。また取りにこなければいけない。

4月23日(月)
 朝、車に乗ろうとしたら前方バンパー部分に傷がついていた。土日の駐車中にどうやら当てられたようだ。新車なのに…。マンション体育館での久しぶりの卓球だったが、今日は家庭訪問の日とかで小学校は短縮授業で早い時間から子ども達が体育館に来たので早い目に切り上げた。

4月25日(水)
 宇治カントリークラブへHGSO会の女性3名とでゴルフに行く。めまいでゴルフが出来なかったM氏とのゴルフは1年ぶりである。スタートホールのキャディさんに両手に花やねと言われた。黄砂の影響で快晴とはいかなかったが天候も良く、昨日の練習場での好調さを維持して47(IN)+51(OUT)=98で回った。費用(食事付)が安かったせいか、昼食は少し貧弱だった。楽しいゴルフだったが、それぞれ事情があってこのメンバーで次回もラウンドすることは難しいようだ。

4月26日(木)
 マンション麻雀同好会、初心者グループが4時間で半荘3回できたのは優秀でした。またチョンボもなかったようだし。経験者グループは時間を延長して半荘4回をした。後半ついて今日は勝ちました。成績は1年集計とするが、半年集計も中間発表することになっている。

4月27日(金)
 マンション体育館での太極拳に久しぶりに参加する。意外と覚えていたのは不思議な気がした。もっとも、先生を見ながらではあるが…。いい気候で何をしても気持ちがいい。

4月28日(土)
 NPO法人枚方マンション管理組合連合会の交流会に参加するためM氏共に会場の枚方市民会館まで行く。今日は妙に暑かった。少し前まであんなに寒かったのに…。

4月29日(日)
 いい季節になったので、昨年同様、弟夫婦が無垢根亭での食事会を企画した。父を実家まで車で迎えに行き、私のマンションでしばらく麻雀をした後、甥の運転で無垢根亭へ行った。ここは酒造元が経営しているお店なので日本酒がうまい。母が生きていればこの日は88歳(米寿)の誕生日になるはずであった。父は昨年歩けなかった弟宅までの道をゆっくりではあるが歩いた。弟宅でも麻雀をしたがまた父が勝った。母の死後の麻雀は父が勝ち続けている。どうなっているの?みんなお酒を飲んで車は運転出来ず、父はとても電車では帰れないのでタクシーで帰ってもらった。大阪市内へ帰る姪も途中まで同乗した。