11月1日(木)
バタバタしていていつの間にか大量の洗濯物が出来ていたのでまとめて洗濯をして、その後買物に行き、車のガソリンも満タンにしておいた。午後のマンション麻雀同好会に経験者グループで1回だけ参加させてもらうため、1時間程留守にしたが問題はなかった。帰ってきてから、父は手すりも持たずに歩こうとして、部屋のなかで転倒する。手すりや周辺の物につかまれとずっと言っているのだが、認知症のせいか、元気な頃の自分のイメージで行動する。
11月2日(金)
朝から父を病院に連れて行く。かなり歩行困難だがなんとかタクシーを使って病院へ行って帰ってきた。下痢と便秘を繰り返して今は便秘ですと訴えたら、便秘になりやすい薬を減らして4週間分出してくれたが。従前かかっていた医師から処方されていた血圧治療の薬が切れたので、その種の薬も数を少なくして処方してもらう。帰って来ると下痢のようでトイレへ駆け込んでいた。午後から、実家のある堺市へ行き、市役所で転出関係の手続きを行い、新聞販売店に立ち寄って未払いの新聞代を支払い、実家でCATVの撤去作業に立ち会う。そして実家から必要な荷物を積み込んで帰ってきたが、夜、父がおかしなことばかり上から目線でえらそうに言うので喧嘩になる。喧嘩になると、猫なで声でご機嫌をとろうとするので、それを無視すると、すねて大好きな風呂も入らずに寝てしまう。認知症になっても従前の人格延長線上だと言うがそのとおりだと思う。母も晩年認知症であったがもっとかわいかった。適当な有料老人ホームを探そう。
11月3日(土)
お酒を飲んで一晩寝たら、父のことはまあ病気なんだからと私の心も落ち着き、昨日実家から運んできた荷物で父の部屋を安全で使い勝ってのいいように模様替えをする。あまり頻繁な模様替えは良くないが…。その荷物の中に弟が母の位牌を持ってきてやれと言うので、位牌があったが見向きもしなかった。午前中に弟が来ると、父は麻雀をしようと笑顔になった。長く考える場面や牌を落とすシーンも多かったが、なんとか半荘1回を無事やってのけて、しかもプラスで終えた。前の甥とやった時のようなおかしなチョンボはなかったので、少し良くなっているのかもしれない。しかし、非常に疲れた様子だったので、麻雀は1回でやめ、弟もお酒を飲みたいのを我慢して三人で昼食をとった。
11月5日(月)
父は少し調子が良くなってきたと思っていたら、今朝は、腰の調子が悪いと不機嫌そうな顔をしていた。そこでコルセットを付けさせたら、楽になったと言っていたのに、いつの間にか自分で外していた。午前中、市役所の支所に行って、転入の手続きをとったが、介護保険の区分変更申請もしたい旨伝えると、その手続きは市役所の高齢社会室対応となるということで、その足で市役所へ行って手続きをとった。後は調査員の来訪を待っての対応ということになる。午後からマンション体育館で卓球をしていたら、雨が降ってきたり、宅配便があったりで、中途半端で止めなければならなくなった。その宅配便は折りたたみ式ベッドで、注文から配達までずいぶん時間がかかったが、これでやっと今夜から私もベッドで寝れる。役所関係の手続きも終えたし、今日はいろんな意味で一段落の日である。
11月6日(火)
今朝、父の調子は良くなかった。首が回らないし、背中が痛いと言う。そんなこんなで朝食も遅くなって、ゴルフ練習場に行くのも遅くなった。認知症介護経験者のM氏は同じような経験をしていてよく分かってくれるのでついつい話が長くなる。ゴルフの練習をしていると父から携帯へ電話である。まあ何かあれば電話をするように常々言っていて、これで緊急事態には電話出来ることは確認できたが、内容は、まったくトンチンカンな話だった。認知症の進行が早すぎる。その後、帰って一緒に昼食をとり、マンション体育館でのバドミントンに参加する。私が外にでていると退屈なのか、すねているのか、ベッドに入っていることが多い。世話になっている身の上なのに、今後の生活について話をしようと言い、自分の方針を述べるなど全く上から目線である。私の知っている認知症のイメージとかなり違う。
11月7日(水)
朝、DVDラジカセの電源が入らなくなって壊れた。これもベアマックスの製品だ。父は首や腰のことは言わなかった代わり、喉を物が通りにくくて調子悪いという。確かに、錠剤の薬を水で飲んでむせていた。しかし、日替わりで悪いところが現れるというのも何か変な感じだ。久しぶりにマンションの集会室当番に出て、M氏とも久しぶりに長話をした。外為市場は米大統領選挙後の祝儀相場か、円安外貨高に動き、私のポジションの持っている豪ドル・円で収益が増大している。介護疲れが出てきたのか、夕方から眠くって眠くって…、父を引き取って以来、やってられないことばかりで、毎晩、お酒を飲む生活を続けていたが、この日初めてお酒も飲まず、「ほんまでっかTV」を最後まで見ることなく眠りについた。快眠。
11月8日(木)
朝、父は母の夢を見たという。父は少し元気になってきて、意欲も出てきて外に出たいというので、外廊下を歩いてみた。杖をついてだが、私の補助なしで歩いた。しっかりしてきたなと喜んだが、その少し元気になったのがいけなかった。午前中、私が買物に行っている間に、書留郵便の配達でインターホンがなって、(元気になったものだから)それを受けて、書留だと言われたので、玄関を開けようとして転倒していた。郵便屋さんには息子がいないので対応出来ないというような返事をしたらしいのに。訳が分からない。倒れていただけで、大きな事故にはならなかったが…。常々、インターホンがなっても放っておくようにと言っていて、前はインターホンがなっても出ようともしなかったのに。出るなと言っているでしょ、と言っても相手は認知症だから、意味のない弁解をする。転倒事件で叱られたので、午後はふて寝である。昨日の外為相場はやっぱり米大統領選挙後の祝儀相場だったようで、今日は、その反動で大きく円高外貨安に動いた。
11月9日(金)
父は昨日の転倒のせいか、腰が痛いと言って朝も普通には起きず、朝食も相当遅れたので、太極拳には参加出来なかった。お昼、少しだけバドミントンで息抜きをする。夕方には、朝・昼食もとっているのに、今日は朝から何も食べていない、という典型的な認知症の台詞が出てガックリである。下痢の要因にはストレスがあるとのことで、生活環境が変わったので相当なストレスを感じているのかもしれない.が、どう対応すればいいのか。私の方の体調も悪い。マンションゴルフ同好会のO氏から、今月のゴルフの予定は?というメールが入ったが、父の調子が日によってばらつきがあり、ゴルフの約束が出来ないので、誰か世話役になってもらって継続してもらうようお願いしておいた。夜、弟が一般回線の方に電話をかけてくると、私が別室にいたものだから、父が電話をとった。これも電話はとるな、と言っているのだが。弟は父が電話にでてくれて嬉しかったと言っていたけれど、父の状態も良く分からないで、酒に酔っている状態で会話をするものだから、父が混乱する。
11月10日(土)
認知症では短期記憶がなくなるといわれているが、昨日、明日は病院で複数の診療科を受診するので、早く起きてよ、と言っておいたら、午前7時頃には起きていた。そして、父を病院へ連れて行き、整形外科、内科、皮膚科の3科を受診する。整形外科では最近の骨折等はないとのことで、簡易コルセットとシップ薬と鎮痛剤をくれた。最近何度も転倒していて痛いというものだから心配したが、やっぱり何もないんだという感じ。内科では下痢が続くので薬を増やしてくれ、介護保険の関係もあって認知症の検査(長谷川式簡易スケール)もしてくれたが、あまり答えられず、医師から認知症ですね、と言われた。皮膚科はややこしくて、痒いので掻いた後が内出血している箇所もあり、乾燥肌部分と湿疹部に分けて軟膏等を塗布しなければいけない。お風呂に入っても出来るだけ石鹸で洗わない方がいいらしい。薬の量も増えたので、これでは父は管理しきれない。腰痛の原因が柔らかいベッドのせいかもしれないので、私のベッドと入れ替えてみる。
11月12日(月)
昨日は平穏な日で、私も十分休養することが出来たが、今朝になると父は全体に体調が悪いと訴えていた。弟が休暇をとったとやらで、1時間かけて歩いてやって来たので、父を入れての三人麻雀となった。半荘2回することが出来たが、なんと一番勝ったのが、認知症の父というのだから、我々兄弟はどうなっているのでしょ。しかも、ここに来てから3度目の麻雀であるが、1、2度目にはあきらかにおかしいことがあったが、今回はそういうことは全くなかった。新しい環境に慣れてきたのだろうか、良くなっているように見える。父には簡単な昼食を用意して、弟と2人で外へ昼食に行き、そこで飲んだお酒はものすごくおいしかった。少しのつもりだったが結構飲んで、マンションの卓球には行けなかった。帰ると父は元気だったし、いつもは8時には眠るところを、8時40分頃までTVを見ていた。三度、父の部屋を模様替え、いい感じになったのでこれを最後にしよう。私もやっと余裕が出来て、夜、パソコンゲーム(大東亜興亡史2)をした。
11月13日(火)
今朝、父は頭がふらついてしんどいとなかなか起きなかった。朝の調子が悪いことが多い、血圧のせいか?しかし、ゴルフ練習場には先週よりは早く行けたし、午後からのバドミントンに参加しても何の問題もなかった。ゴルフ練習場ではM氏と相変わらず親の介護の話になったが、父の状態が日によってばらつきがあるので、落ち着くまでゴルフは行けそうにないという話をしておいた。
11月14日(水)
父は今朝から快便があったということで、体調は良さそうだった。ずっと下痢と便秘を繰り返していたが、やっと今の環境に慣れてきたということか、それともヨーグルトや爪もみ療法が効いたということか。午前中、マンションの集会室当番に出席すると、結構、多くの人(知っている人ばかりだが)が顔を出してくれた。管理組合の理事長も来てくれ、管理組合の経費節減に積極的な話をしてくれたので、少し安堵する。また、H氏からかつて自分のお母さんと姉さんとで三人麻雀をして慣れているので、私の父の麻雀のお相手をしてくれるという話があった。父も退屈しているので、喜ぶと思うが…。午後、区分変更の申請をしたので、市役所から介護保険の認定調査に来てくれた。夜、サッカーワールドカップ予選、日本対オマーンの試合を見る。1−1に追いつかれてから後半いい時間帯での得点で2−1で勝つという最高の試合だった。
11月15日(木)
午前中はしんどいと言っていた父だが、午後から元気になったので、実家へ荷物を取りに帰ろうと思うが一緒に帰るか、と問いかけると、嬉しそうに行くという。で、父を車に乗せて実家へ帰り、父の気の済むように荷物を選んでもらってそれを持って来た。その際、荷物の在り処も結構正確に分かっていたし、歩行もしっかりしていた。帰ってきてから、一度自分の家に戻って改めて転居を確認出来た(未練を捨てれた?)ので、今日は良かったと言っていた。そして、夜、我が家へ来て以来、ずっと止められなかったお風呂のシャワーコックを止めていたのにも驚いた。こんなに変わるものかと不思議でしようがない。
11月16日(金)
お昼のマンション体育館でのバドミントン、今日は女性4名、男性3名と過去最大の参加人数になって、2時間程遊んだ。手軽なスポーツで少し慣れれば誰でも楽しめる。父は相変わらず腰が痛いと言っているが、体調は良くなったようである。外国為替相場は、衆議院選挙後は自民党政権になって日本の金融緩和が一層進むと見込んで(という説明)円安・外貨高になっている。
11月18日(日)
午前中、マンション管理組合大規模修繕委員会に出席する。このメンバーに専門家のN氏が入ってくれたのは非常に良かった。午後から弟が来ての三人麻雀で父は前回なかったチョンボを二度ばかりした。父と同居して4週間目になり、少し慣れていい感じになってきたと思っていたが、まだまだ、行ったり来たりというところか。父の希望で麻雀は半荘2回をしたが、まだ2回はとしんどそうである。でも雰囲気は以前の元気だった頃に戻りつつある。
11月19日(月)
朝、大規模修繕委員会の仕事を少しやってから、買物にでかける。H氏から父を連れて下の集会室に来なさいよというメールをもらったので、父に聞くと「もう少し元気になってから」と言う。午後は、マンション体育館での卓球に参加したが、最近は卓球よりバドミントンの方が楽しい。
11月20日(火)
午前中、ゴルフ練習場へ行く。ショットはいい感じだった。午後は体育館のバドミントン。12時過ぎから2時頃までやった。夜、I氏からメール、金曜日が祝日で体育館が使用出来ず、バドミントンが出来ないので、その代わりに明日のお昼、S氏とバドミントンをすることになったので暇なら参加するようにとのこと。
11月21日(水)
父と同居をするようになって1ヶ月。バランスを考えた食事と健康法等々、私の献身的な介護の結果、父はかなり元気になってきたが、腰は痛いと言うし、話はしっかりしている時もあるのだが時々おかしいことも言う。午前中、マンション集会室の開放当番で集会室に詰めてM氏とマンション管理勉強会となる。N氏(奥さんはよく知っている)のご主人という人が集会室に来られ、M氏が話しかけたので初対面ながら私も話をさせてもらった。M氏から頂いた御座候(大阪では太鼓饅頭という)を父に食べるか聞くと、甘いものは苦手と言っていたのに、懐かしいなぁと言って食べたのには驚いた。父にお昼を食べさせてから、慌てて、体育館のバドミントンへ。今日は12時20分から1時までだったが、3人で休みなしだったので結構疲れた。父の腰痛は、整形外科での診察の結果では、悪いところはないというので、寝る時の姿勢が原因ではないかと思って、それを直して寝てもらうことにした
11月22日(木)
父は昨晩は熟睡できて、朝起きると腰の具合も良くなっているといって普通に起きた。寝る姿勢の矯正で早速効果が出た。気付くのが遅すぎた?これで父の状態はかなり良くなった。午後から、マンション集会室での麻雀同好会に久しぶりに参加する。初心者グループは3人しか集まらなかったので、3人麻雀となった。外国為替市場では円安が進行、私のポジションの持っている豪ドル・円で買値を越えてかなりの収益が出てきた。
11月24日(土)
午前中、自分のマンションの大規模修繕工事事前アンケートの配布手配をして、午後はM氏と共に、枚方マンション管理組合連合会の大規模修繕研修会に参加し、他のマンションの実際の工事現場も見学させてもらう。この研修会では得るものが多すぎて、不安になる材料も多すぎる。
11月25日(日)
姪が大阪マラソンを走るというので、応援には来るなと言われていたが、朝から弟と共に大阪市内へ応援に出かける。ずいぶん久しぶりの大阪市内である。森の宮交差点、玉出〜岸の里間、ゴール付近と3箇所で見ていたが、ランナーが多すぎたのと、5時間台と聞いていた姪のペースが意外と早かったようで、どこでもその姿を見ることは出来なかった。後で聞いた話では自分でも驚いたという4時間46分で完走したということである。すごい!その間に父の意向で一心寺に母の遺骨の納骨に行ったが、受付がものすごく混んでいて、多くの人がこういうことをしにくることに驚いた。宗教心のない私には、形式的な仏教儀式に何の感慨もなかったが、とにかくこれで一段落ではある。この日は、立ちっぱなしの時間が長かったし、結構な距離も歩いたので、マラソンもしていないのに非常に疲れて帰って来た。
11月27日(火)
ゴルフ練習場に行く前に近くの家電販売店で物を買おうとすると、製品名の書いた紙をレジまで持ってくるよう書いてあったので持っていったら、長い間待たせたあげく在庫切れですと言う。在庫切れの場合は、そんな紙をおくべきではないし、もしかしたら店員が品物を探せないだけじゃないの?前にもそんなことがあった。近いので利用していたが、この家電販売店は今後利用しない。そんなこんなでいつもより遅れて、ゴルフ練習場に行くと、2階席でさえほとんど空いていなかった。M氏は今日は早い時間帯でレッスンを受けたということで、私が着いた頃には帰り仕度をしていた。I氏が何度かゴルフを一緒した初心者のY氏とH氏がスクールをやめたと淋しそうに話していた。帰って、昼食をすませると、今度は体育館でのバドミントン。途中参加のH氏はテニスのくせが抜けないのか振り過ぎで、ラケットにシャトルがうまく当たらなくて…。
11月30日(金)
かなり長い間使っていなかった某銀行口座にATMで入金しようとしたら使えず、窓口で聞くと長期間利用がなかったので解約手続きをすることになると言う。復活手続きというのはないのかと聞いたがないとのこと。そういう手続きが出来てもいいと思うが…。印鑑を持ってなかったので、解約手続きも出来なかった。そう言えば、少し前、年会費無料の某クレジットカードも長い間使っていないので、従前は継続してカードが送られていたが、今後しばらくの間に使用実績がないと解約になるような通知が来ていた。午後からはバドミントン。四人で混合ダブルスだったので休憩する間がなく、結構疲れた。そこそこ上達して来たのでコーナンで買ったラケットでは安物すぎる?
