私の日記(平成24年10月)

10月1日(月)
 午後から、マンション体育館で、管理人さんとの卓球は5連敗とワースト記録になる(それ以降、管理人さんが病気になったり、我が家で父を介護しなければならなくなって、管理人さんとは卓球出来なくなった)。その後の卓球参加者は3名、昨日の学校の運動会(順延されたのだが)の代休ということで、子ども達が体育館に遊びに来た。その子達が出来ないのに卓球をしたいと言うので一緒にしたが、まあ、どう見てもピンポン部以下だった。

10月2日(火)
 午前中、ゴルフ練習場に行き、M氏(次回の幹事)とHGSO会のコンペの打ち合わせ等を行い、とりあえず日程とゴルフ場を決め、メンバーに連絡してもらうことにした。皆さんそれぞれお忙しいようなので…。午後のバドミントン、先週始めたH氏からチャレンジ参加したいとのメールがあって参加してもらうことにしたら、今度は参加予定だった違うH氏が熱をだしたとかで急遽お休みとなり、S氏が来るまで男2人でバドミントン練習をした。私も最初そうだったが、H氏はサーブに苦戦し、今日の練習でもマスターしたとは言い難かった。オーストラリアが利下げを発表し、豪ドル・円は急落、損失が拡大する。利下げはもうしないと聞いていたが…。

10月3日(水)
 平日の午前中、マンション共用施設である集会室を開放しており、今日は私とM氏が世話人を担当をした。記録ノートを見ると、少ないものの毎日何人かの人が訪れてくれているようだ。

10月4日(木)
 マンション麻雀同好会、今まで初心者麻雀は、麻雀をしている後ろで私が見ながら、気付いたこと説明するという方法で勉強してきたが、ゲームに集中しているせいか、その際に教えたセオリーを一向に覚えてくれず、同じ間違いを何度も繰り返し、効果がないので、この方法はもう止めることにした。経験者麻雀グループ5名の2位抜けという方式で参加して、久しぶりのY氏の圧勝だったが、私も勝った。

10月5日(金)
 マンションゴルフ同好会で奈良白鳳カンツリークラブへ行く。新しい参加者を迎えて7名と久しぶりの2組になったので2台の車に分乗して、往路は高速道路を利用したが、それでも1時間15分と少し遠い。しかし、電動カートのセルフプレイのお山のゴルフ場で、昼食・おみやげ(玉子)付きで5490円と破格の安さは魅力的だ。コースも凝っている。スタッフは少なくて過剰なサービスは期待出来ないが、そんなに混んでもいなかったし、不平はない。快晴・無風と絶好のコンディションにもかかわらず、結果は、64(IN)+63(OUT)=127と近年まれに見る悪いスコアだった。先週の奈良パブリックゴルフ場で90台だったのにこの原因は何でしょう。帰りは奈良市内中心部を通って阪奈道路経由と一般道を帰ったので日はすっかり暮れてしまった。しかし、K氏に奈良市が大都会だと認識を改めてもらったのはこの経路で帰った意味もあったようだ。疲れた…。

10月7日(日)
 父を実家に迎えに行き、弟を入れて我が家で家族三人麻雀をする。父の歩行はかなり怪しく、麻雀でもチョンボを連発し頭脳的な面でも衰えも見せていたが、最後には意地の大三元(役満)を上がって、我々を驚かせた。6月に会場を我が家に移して以来の連敗を父はストップし、逆に私の連勝もストップした。
 夜は、マンションの人達と交野の造り酒屋が経営している無垢根亭に食事に行く。日本酒といってもいろんなお酒があるのに驚く。ここちよく酔いました。

10月8日(月)
 朝、父から2度の電話、嫌な予感がしたら、2度目の電話は人を見送った際、玄関で倒れて頭を打ったので病院に連れて行ってくれという内容だった。幸いヘルパーさんが来る時間だったので運よく見つかって、家の中へ入れてもらったらしい。言葉ははっきりしていたので、動かないように言って、実家のある堺まで車をとばした。実家に着くとヘルパーさんもいてくれ、たいしたことではなさそうだったが、頭を打っているので病院に行った方がいいと判断した。ヘルパーさんが近くの脳外科専門病院を教えてくれたので電話をしたが出なかったので、祝日だから仕方がないのかと思ってやむなく救急車を呼んだ。救急車はさっき私が電話をしても出なかったその病院へ連絡をつけた後行ってくれた。救急隊員の人からは、病院は祝日でも原則電話にでるので、軽症の場合は救急車を呼ばずに、直接連絡をつけて行くように、と言われた。病院でCTとレントゲン撮影をしてくれた結果、外傷だけで骨にも脳にも異常がないと言われ一安心だった。家に戻って、健康保険証を探したがどこにもない。先週保険証を使って、定位置の手帳にはさんだというのだが…。転倒の原因が昨年と同様内科的要素の可能性もあるので、かかりつけの内科医に相談しなければならないのだが、先週の金曜日に行ったばかりで先生は1ヶ月お休みだという。その時に最近のおかしい状況を話しせんかい!主任のヘルパーさんから電話があり今後の対応について話をする。

10月9日(火)
 父の転倒はたいしたことではなかったのだが、外傷の手当に今日も来るように言われたので、朝早くから、家をでて父を病院に連れて行った。簡単な消毒をしただけで、自然治癒するのでもう通院の必要はないと言われ、まずはホッとする。病院で、健康保険証を紛失したことを話すと、再発行され次第持って来て下さいと言われ、預り金としてお金を支払う。そこで、堺市に電話で手続きを聞き、必要な書類を整えて出向いて、健康保険証の再発行を依頼した。後日書留郵送ということである。これで今日中に仕事が終らなかった。ケアマネージャから電話があり、今回の介護保険の認定が要支援であった場合、見直しの申請をしてもらうこととした。室内でもまともに歩けず、転倒ばかりしているのに、要支援というのはおかしい。父は父でそういう状態でありながら、ヘルパーにお世話になる回数を減らしたいと言う。何を考えているのか。

10月10日(水)
 いつでも予約がとれるということで油断をしていたら、HGSO会メンバーと約束していたゴルフの1週間前になっていたので予約をとり、参加メンバーにも集合時刻等を連絡した。ゴルフ行くで!父のことを考えていたら気分が滅入る。気晴らしをしなくちゃ。長い間勤めているマンションの管理人さんが体調不良で検査入院したとかで、代わりの管理人さんが来てくれている。マンション集会室開放の世話人を今日は1人で担当する。ライブラリーの本を探しに何人か知らない人が来てくれていた。いい傾向だと思う。

10月11日(木)
 午後、マンション麻雀同好会、今日は経験者グループがメンバー不足なので私がプレイヤーとして参加。父の心配がある中で勝てると思っていなかったらその通りになった。初心者グループでO氏が大三元(役満)をアガる、役満は前回の四暗刻に続いて今年2度目という快挙である。しかも、初心者グループの方が半荘4回を、同回数の経験者グループより早く終えた。私が見ていない方がスムーズ?

10月12日(金)
 朝からマンション体育館で2週間に1度の太極拳をして、そのまま引き続いてバドミントンをする。H氏はマイラケットを購入してやる気満々だったが、もう一つ上達しなくて…。慣れるには少し時間がかかるかもしれない。午後、父から電話があり、頭が痛く調子が悪いというので、どうせ病院へは清算に行かなければならなかったので、明日、病院に連れていくことにした。

10月13日(土)
 朝早くから家を出て実家に行き、父から話をよく聞くと、頭が痛いというのは外傷の痛みらしく頭痛や吐き気等はないとのことだったが、念のために父を車に乗せて病院へ行く。脳神経外科ではこの日もCTを撮ってくれたが、予想どおり異常はなく、昨年、転倒の原因になったカリウム欠乏症も疑われたので、更に内科も受診した。血液検査や心電図検査をしてくれたが、カリウム等の欠乏はなく、転倒や衰弱の原因は結局分からず、しばらく様子を見ましょうという話になった。偏食による栄養失調も疑われるので、食事はバランスよくしっかりとるように父に言っておいたが、加齢による機能低下ということならどうしようもない。父が母を愛していたとはとても思えないが、配偶者を亡くした後の孤独感という心理的影響はあるかもしれない。

10月14日(日)
 父のことで精神的動揺もあり、髪も伸びてきていたので、気分転換に散髪に行く。日曜日だから混んでいるだろうと思っていったら意外と空いていた。

10月16日(火)
 午前中、ゴルフ練習場に行き、M氏とHGSO会のコンペについて打ち合わせをする。父の状況次第では私の参加が危ないことを断っておいた。午後、バドミントン、来ると思っていた男性陣は不参加で6名で行う。今日は空振りが目立った。その終了後、ケアマネージャーさんから父のことについて電話があった。

10月17日(水)
 奈良パブリックゴルフ場にゴルフに行く。私も気晴らしをしないと…。しかし、いつどんな電話があるか分からない不安の中のゴルフではあったが。天気予報では午後から雨だったが、プレー開始時に既に雨が降っていたので、最初からレインウエアー着用となる。パー5の6番ホールでは2オンしてイーグルチャンスにつけるが、惜しくも外し、ゴルフ人生初のイーグルとはならなかった。OBもあってハーフ(OUT)を50で回ったが、他の3人も51、52、52と大接戦だった。昼食時に豪雨になったので、話し合いの結果、後半のラウンドを諦めることにしてバッグを引き上げたら、雨は止んできた。天気予報では次第に雨足は強くなるとのことだったので、未練はすてたが、その後雨は降らず、やっていれば普通にラウンド出来ただろう…。
 昨日のケアマネージャさんからの電話を受けて、父に対し、今後の生活について@ヘルパーの回数を増やして今までどおり実家での独居生活を続ける、A私と同居して在宅介護を受ける、B有料老人ホームに入所する、のどれを選ぶか、次の日曜日までに考えておいてくれと言っておいたら、その日のうちに電話があり、出来るだけ実家で頑張るという回答だった。

10月18日(木)
 何がきっかけだったのかよく分からないが、円安・外貨高になってきて、私のポジションの持っている豪ドル・円で収益が出てきた。父のことがきっかけで、有料老人ホームをネット上で探しているが、一時金が何千万円もしていた昔に比べ比較的リーズナブルな有料老人ホームも出来ていて、自分の将来のこともあり、なんとなくホッとしている。午後はマンション麻雀同好会。H氏が途中退場のため、経験者グループでプレイヤーとして参加、途中、父からの電話が入ってから全くつきに見放されてしまった。前半の貯金があったので勝つことは勝ったが。

10月19日(金)
 午後からのバドミントン、O氏も参加して今日は5名。バドミントンは入り口が易しい手軽なスポーツである。そりゃ、極めればどんなスポーツでも難しいでしょうけど。マンションの共用施設として体育館のあるのは本当に有り難い。スポーツで汗を流した後、すぐお風呂に入れて、これがまた爽快なのだ。共用施設として展望大浴場があればもっとよかった。わざわざスポーツクラブの大浴場に通っている人もいるくらいだから…。雑配水管清掃は当初の予定だった日曜日の希望が多かったらしく、急遽今日にしてもらえませんかということになった。こっちもその方が良かった。日曜日は直後にマンションの大規模修繕委員会が予定されていたので。

10月20日(土)
 私の印象では、父はもう生きるか死ぬかというような状態に見えるのに、麻雀ゲームが出来るパソコンが壊れたので修理して欲しいとの呆けた電話があった。実家で独居で頑張るという返事はもらっていたが、客観的にみてとても父を一人にはしておける状況でない。理想は私が実家で同居するのがいいと思うが、実家はそんな生活できる環境ではないし、無理をすれば私が潰れてしまうので、次善の策として嫌だけど大決断して父に私の家に来てもらうという話をして了解を得た。弟にも連絡すると、これで安心できると大変喜んでいた。ケアマネージャさんは不在だったので、転居のことの伝言をお願いしておいた。また、父の居室予定の部屋にエアコンを設置するよう手配した。

10月21日(日)
 朝、父から電話があり、昨日午後からと言っておいたのに、待っているがいつ来てくれるのかという話である。しかも、私の家に麻雀をしに行くように思っていたらしく、同居とは認識していなかった。最近おかしな言動が多くなっており、認知症かもしれない。再度説得してこちらから頼むという形で何とか同居の了解をとった。
 午前中、マンション大規模修繕委員会に出席する。委員会では勉強も重ねており、大規模修繕についての委員の認識も深まってきていい感じで進行している。
 午後から弟家族と一緒に実家へ行き、ご近所の人達にもご挨拶してから、荷物も運んで父を引越しさせる。客間として空いていた奥の6畳の間を父の生活スペースにする。実家の父のベッドは運べなかったので、今まで私の使っていたベッドを父用にした。そのため、新しくベッドを買うまで、私の寝床はフローリングにマットレスを何枚か敷きその上に布団とまるで野戦病院である。実際生活してみると、これで一人で頑張るとよく言ったものだと思うくらいすべてのレベルが低下している。長い1日だった。そして疲れた…。これからしばらくはブログが父の介護日誌のようなものになるかもしれない。出来るだけ自分の世界も保っておきたいと思っているが…。

10月22日(月)
 明日に予定していたゴルフは天気予報で雨ということだったのでK氏の要望もあり、父の状況次第では私の参加も微妙だったので、後の2人の了解をとってキャンセルすることにした。朝、今までお世話になっていたケアマネージャーさんから今後のことについて話を聞き、介護事業者の方へはケマネージャさんから連絡してもらうことになった。昨日実家の新聞を止めるのを忘れたので、これも朝に電話連絡した。また、朝から、布団類を干し、父の衣類をまとめて洗濯する。午前中、エアコンを設置に来てくれた。電話の移設やケーブルTVの解約については、インター上から手続きをする。午後、マンション体育館での卓球のため2時間ばかり部屋を留守にしたが、父には何の問題もなく、勝手にルーフバルコニーで日向ぼっこをしていて気持ちよかったと言っていた。昨日、一生懸命探しても見つからなかった先日の血液検査結果の用紙はなんと父がその裏を引越し用のメモ書きに使っていたものだった。それを見ると(見方はインターネットで勉強した)完全な低栄養・タンパク質不足である。戦後じゃあるまいし、年金も沢山もらっていてヘルパーもつけていたのに、栄養失調とは情けなくて涙が出る。原因が分かって一安心なのだが、なぜ内科の先生がそれを指摘して正しい処方を示してくれなかったのか納得がいかない。

10月23日(火)
 朝から豪雨でゴルフの延期は正解だった。その予定がなくなったので、聞いていたバドミントン部の特別企画に参加させてもらうことにした。だだ、昼食を共にして、その後バドミントンをするだけの話であるが…。父の状況は、タンパク質を含む食事をさせているせいか、精神的なせいかよく分からないが、一昨日、昨日より確実に良くなってきた。夕方、HGSO会コンペのことで幹事のM氏から電話があった。父のことでバタバタしていて、この電話がなかったら、組み合わせとか、集合時刻等を、もう一人のM氏へ連絡するのを忘れるところだった。

10月24日(水)
 甥が休みになったということで、頼んでいた手すりの設置工事をしに来てくれた。これでまずは一安心だ。今日はベッドも購入したが、配達まで10日程度かかるといわれた。工事が終った後、父がせっかく甥が来たのだからと麻雀をしようと言い出し、父の状態を測るためにもいいかなと思ってやってみた。チョンボが2回と頭の状態はまだまだ。それなのに甥には「早くしろ」と偉そうに言う。父らしくなってきたと言えばそうなのだが…。少し良くなってきたと喜んでいたら、昼間の麻雀で疲れたのか、夜は下痢で体調を崩す。

10月26日(金)
 朝、電話の移設工事に来てくれたが、希望する父の部屋には端子がなくて設置出来なかったので、やむなく居間に置くことにした。短縮ダイヤルもセットし直して、これで私が外出中でも、父が電話に出られる状態であれば、携帯へ電話出来ることになった。父の体調は良くならず、その上、安心しきったのか、認知症の症状もでできて、トンチンカンなことばかり言う。それに都合が悪いことは嘘をつくし…。私がバドミントンをしていてお昼をとるのが少し遅くなったら、勝手につまみを探してお酒を飲んでいた。こんな体調が悪いのに酒かよ、父の体のことを考えて食事でバランスよく栄養を取れるよう一生懸命努力しているのに、ダメだと言っている酒を飲むなんて…酒は隠したが、一気に嫌になった。腹が立ったのでしばらく父を一人にしていたら、夕方、干してあった掛け布団を取り込んでいたのには驚いた。えっ、歩行困難だったのに、どうして?

10月27日(土)
 父の下痢が治らないので、朝から近所の病院へ初めての診察を受けに行った。お腹のレントゲンや血液検査等をしてくれたが、腸の活動が活発でないくらいの所見で、とりあえず1週間分の整腸剤を処方されて終った。熱はないと思っていたが少し熱もある。父は病院から帰ると相当疲れた様子で午後はベッドで寝ていた。転倒の心配がないので安心だが、ベッドで寝ることが本当に本人にとっていいことなのかはまた別問題だろう。夜、弟から有力な有料老人ホームの情報が入る。最終的にはそういうことも考えておいていい。

10月29日(月)
 転居届って市役所にだすだけでよいと思っていたら、父のような年金や恩給の受給者はそれぞれに住所変更届を出さないといけないらしい(最近住基ネット確認で不要になったとのこと)。先週に病院で処方された薬のせいか、昨日から首や腰に貼ったシップ薬のせいか、父は熱も下がり比較的元気になった。しかし、下痢が終れば今度は便秘のようでこれはこれでまた心配である。父は元気になったが、私が既に介護疲れのようで、今日銀行で出金後、カードと通帳だけを受取って、現金を持って帰るのを忘れかけた。昼、買物前に義妹が父のご機嫌伺いに来てくれた。午後のマンションの卓球は6名と比較的盛況で、いい気晴らしになった。父は気持ちのいいお風呂にとにかく入りたいらしく、午後になるともう風呂の時間か、と何度も同じ事を言う。そして早めにお風呂に入って就寝してくれた。と思ったら、しばらくすると酒を求めて徘徊、酒は隠してあったので飲むことはなかったが、少し元気になるとこうなんだから…。

10月30日(火)
 午前中、ゴルフ練習場に行くと、I氏が同じ初心者のY氏やH氏がゴルフスクールに来なくなったのを淋しがっていて、自分もそろそろやめようかと思っているという話。上達しなくても続ける方がいいと思いますが。明日のHGSO会のコンペ、幹事M氏はめまいもなく参加できそうだというし、私も今の父の状態なら参加出来るだろう。一緒に回るのが楽しみだ。午後からバドミントンもやって、気晴らしになったし、いろんな人に父の介護話を聞いてもらって、イライラ感もなくなってなんだか落ち着いた。父も少し元気になって私が外出している間、自分のパソコン(MSX)で麻雀ゲームなどをしていた。

10月31日(水)
 父には認知症があるように思うのだが、「同居をしていても、出来るだけ自分の生活は自分の生活、子ども生活は子どもの生活と分けて暮らすのがいいと思うので、ゴルフに行くならいつでも行ってきて」と時々しっかりしたことを言う。その言葉に甘えて、阪奈カントリークラブでのHGSO会第11回コンペに参加した。介護疲れを吹き飛ばしてくれる楽しいゴルフだった。結果は56(IN)+57(OUT)=113という成績で、この会独自のハンディキャップ制により、3位入賞だった。優勝はグロス135だったが久しぶりの参加でハンディが非常に多いM氏となった。今回の参加者が従前より7名と少なく、終了後存続について話し合いが行われたが、参加出来る人達だけで継続すればいいではないかということになった。少し帰宅は遅くなった.。帰ると父はベッドで寝ていたが、昼食もしっかりとっていて、これで一安心。家を空けても問題なさそうだし、見守るけれどなるべく干渉せず自由にさせる方がよさそうだ。