3月1日(月)
ゴルフアベニュー(ショートコース)に3人で練習に行く。ここは一人で来ている人も多いが、まだ一人では来にくい。この日、アイアンショットはだふりが多く、パターはショートしてばかりと、あまりいいところがなかった。途中、かつてかかわりをもっていたNPO法人理事長のY氏から電話があり、業務の話の後、4月からはフリーになるので、また、ゴルフに行きましょうという話があった。
夜、ポンドが急落して、1年以上持ったポンドの売りポジションをやっと決済した。売りポジションで1年以上も持っていたので、支払のスワップが相当の額になっていたが、それを支払っても少しだが収益があった。一時はポンドが急騰して相当の評価損がでていて、どの程度で損切りしようかとずっと悩んでいたが、わずかでも収益を得て決済できたのでほっとした。結果として収益はでたが、今回の取引も失敗ではある。
3月2日(火)
父から電話があり、母は今日もしんどいと言って朝起きず、ディサービスに行かなかったという話だった。ケアマネージャさんに母の介護のことで相談したいと電話をしたら、木曜日に実家に来てくれるということになった。その後、ゴルフ練習に行き、帰りに郵便局に寄って、年金申請書に年金受給口座の確認印というのをを押してもらうと粗品をくれた。午後は管理人さんとの卓球が終わると、久しぶりにO氏が来てくれたので卓球をするが、親の介護の話になり、お互い大変だという話をした。
3月3日(水)
マンション管理について勉強会をしていたメンバーで次期管理組合役員に立候補することを考えていたが、諸事情により中止することにした。しかし、今後とも勉強会は継続拡大し、状況をみて将来立候補も考えることにした。
夕方、NPO法人理事長Y氏から決算書類の作成についての照会があったので、少し調べて回答した。
3月4日(木)
午前中、母を皮膚科に連れて行く。雨のせいか周辺の駐車場になかなか空きがなく、やっと見つけて車を止めてクリニックへ入るともう治療は終わっていた。午後、ケアマネージャさんが来てくれて、今後の母の介護について相談する。現在利用しているディサービスは当面休止し、介護ベッドを入れることと訪問看護を依頼、また訪問リハを検討してもらうことにした。
夜は2週間に1度となったマンションの人達との麻雀。この日の最後に、このメンバーで初めて役満(大三元)を上がった。四人打ちの役満なんてずいぶん久しぶりである。
3月5日(金)
ゴルフクラブ四条畷での誕生日ゴルフ。還暦なんてずいぶんお爺さんの人というイメージがあったが、自分がその年齢になると全然そんな感じはない。ゴルフ仲間の人達から赤いキャップなどお祝いの品をもらった。朝は小雨だったが、午後にはいい天気になった。ゴルフの出だしは連続パーで、今日はどれだけのスコアが出せるのかと思ったが、練習を重ねているのにショートゲームでつまづき、結果は51(OUT)+50(IN)=101という成績だった。お昼、ワンドリンクのサービスが付いていたのでビールを飲んだのもよくなかったのかもしれない。
3月6日(土)
姪達が還暦のお祝いをしてくれるというので、大阪のマンションに出かけ、姪の手料理をご馳走になった。妹の方の姪も大学受験終了後、ここに来ていたということで一緒にお祝いをしてもらった。後日、義妹からも還暦祝いをもらった。
3月7日(日)
実家に帰ると母は寝たままだったので、父と二人で起こして着替えをさせる。二人でも大変なものをなぜ出来ると父が言い張るのか信じられない。弟も母の衰弱に衝撃を受けて父に強く言った。この日は父も弱気になってきたのか、介護のプランについてはお前に一任すると言った。麻雀どころではない。
3月8日(月)
昨年は収入がほとんどなく所得税額もゼロなのだが、FXの損失を今年まで繰り越すためには必要な手続きなので、所得税の確定申告書を税務署に提出した。その足で社会保険事務所に行き、老齢厚生年金の請求書を提出しておいた。請求してから年金証書の送付までに2ヶ月、実際の年金の支払はその50日後というのが標準との説明を受けた。今は加入記録はコンピュータに入っているのに、なぜそんなに時間がかかるのかとても不思議である。
午後には実家に帰る。介護用ベッドが入り、訪問看護の看護師さんもケアマネージャさんと来てくれて母の様子や風呂場の状態を確認した上で、週2回サービスを受けることになった。父は、こんな状態でも、ベッドが入ったので、しばらく様子を見てその後にヘルパーを頼むことを考えると言ったが、もうそんな悠長なことは言ってられないとその考えを否定した。ケアマネージャさんには、ヘルパーによる朝晩の介護を依頼したところ、認定の見直し手続きをして、どの程度の利用枠が残っているかを計算してプランを立てて見るという話になった。
3月9日(火)
朝、ゴルフ練習に行くと、なぜか右腕が痛い。多分、昨日、実家に帰って、母を介護した際、体を支えるために右腕に力が入ったんだと思う。午後の卓球はずいぶん久しぶりにI氏やM氏が来て3人だった。ケアマネージャーさんから電話があり、今の認定のままでも朝のヘルパーによる介護は可能だということだったので、とりあえず、早急に手配してもらうようお願いした。
3月10日(水)
ケアマネージャさんから、今日、ヘルパーの責任者が実家へ母の様子を見に行くとの連絡があったので、父に伝えると、私にも来てくれと言う。花粉症の最盛期になる前に散髪に行っておきたかったので、午前中散髪に行き、午後には実家に帰る。明日から、毎朝、ヘルパーを入れることにして契約したが、行って良かった。契約書等に住所や名前を何枚も書かされるので、父はこういうことも負担になるのだ。明後日も初めての訪問看護で契約書類を書くことになるが、父には書くのが負担だったら、後日私が書くので、預っておくよう言っておいた。
3月11日(木)
連日実家に帰り、今日は母を皮膚科と内科に連れて行く。今日は私が駐車場に入れにいっている間に、皮膚科の受診に入っていて、皮膚科の先生と話が出来なかった。食欲がなく元気がないので、予定を1週早めて内科に行ったのだが、内科の先生は検査をしないと分からないというし、質問にも見当違いの答えが帰ってきた。月曜日に来てくれた看護師さんの見立てが正しいような気がする。ケアマネージャさんは病院まで来てくれ、介護と医療ですみわけしている制度があるということで先生と相談してくれた。ケアマネージャさんが、今朝、ヘルパーが介護した状況の報告から、夜も、ヘルパーを入れた方がいいと言うので、父にも了解をとった上でその方向での手配をお願いした。
3月12日(金)
H.G.S.O会のゴルフコンペを阪奈カントリークラブで行う。天候には恵まれたが、前日の雨のせいか、地面の状態は良くなかった。私の調子も良くなく、61(IN)+55(OUT)=116という成績で、今回からは本会独自のハンディを採用して8位だったが、ニアピン賞を一つとれたので、まあ今日はこれでよしとしなければ。ゴルフは精神状態のウエイトが大きい。やはり心配事を抱えている時はダメ。
3月13日(土)
朝、父から電話で、今日から晩のヘルパーも入ることになったとの連絡があった。更に、お昼にヘルパーを入れて食事の世話や洗濯・掃除等の生活支援をしてもらえれば、在宅での介護を継続出来そうな気がする。これで少しホッとした。
午後、有料老人ホームフェスタin大阪2010に参加する。配布用のパンフレットを見ると、費用はとてつもなく高額だったが、講演の中で、サービスは劣るが低額な有料老人ホームもあるということを知った。主催している全国有料老人ホーム協会に加盟しているホームは会社もしっかりしていてサービスもよいかわりに費用が高額だということだ。講師の、入所するなら元気なうちから入ることを考えた方がよい、との意見には衝撃を受けた。確かに足腰が立たなくなったり認知症になって、介護が必要になってからでは、自分で入所は出来ない。それと特別養護老人ホームの入所待機者が多いことは知っていたが、現在、有料老人ホームの設置にも行政からの規制がかかっていて、そのうちお金を出しても有料老人ホームに入れない可能性もあるという話も衝撃的だった。親の介護の参考にと聞きにいったが、まさに自分のことの話だった。
3月14日(日)
実家へ帰ると、ヘルパーが来ておらず、母は寝たままだった。父の話によると今日はヘルパーはお休みとのこと。そんな話は聞いていないが。父と二人で母を起こして着替えをさせる。途中、父と弟がつまらないことで、喧嘩となり、父は文句ばっかり言うのなら来るなと言う。一旦は弟もそれなら帰るという雰囲気になったが、そこは何とか場を収めて、いつものように麻雀をした。父には子ども達が毎週麻雀をしに来てくれているという有難さが分かっていない。
3月16日(火)
先週のゴルフがよくなかったこともあって、ゴルフ練習には行く気がしなかった。いくら練習をしてもうまくならないような気がして。家にいてもしかたがないので、なんとか行くことは行ったが、あまりいい感じではなかった。午後の卓球は好敵手I氏が来てくれたので、いい汗をかいた。
3月18日(木)
母を皮膚科へ連れて行く。今日は私も診察室の中に入った。毎週診察に来いという割には、たいした治療もしないし、十分な説明もない。最近は医師不信である。午後からは母の介護保険の認定調査(見直し)に同席し、父と共に母の状況を説明した。父は前の日曜日弟と喧嘩をしたせいか、最近、母の介護のためにいろんな人がくるせいか、少しゆっくりしたいということで、次の日曜日の麻雀は中止することになった。私も毎週2回以上実家に帰るのはしんどい。
3月20日(土)
やっと第2京阪道路が全線開通した。これで堺の実家へ帰るのも早くなるし、京都・滋賀方面のゴルフ場も近くなる。プロ野球パリーグ開幕、開幕戦、オリックスが楽天に完封勝ち。
3月21日(日)
朝、すごい風が吹いていて、黄砂もすごかった。春の嵐。しかし、今年は花粉症の症状が軽い。今日から高校野球も始まった。
3月23日(火)
午前中、ゴルフ練習に行く。最近、このゴルフ仲間がそれぞれスランプに陥っていて、ゴルフが楽しくないという。一人I氏だけが、次のゴルフいつにしようと言っているが。そして、その仲間の話題が親の介護の話というのも悲しい。午後、久しぶりにT氏が卓球仲間を連れて来てくれたので、今日も卓球を楽しめた。来週からは春休みになり、体育館が子どもに占拠されるのでお休みになる。
3月25日(木)
実家へ帰るのに、ほとんどが高速道という第2京阪道路+近畿道+阪神高速(東大阪線、環状線、堺線)のルートを初めて使った。東大阪ジャンクションまでは早かったが、阪神高速東大阪線が大渋滞で、通行料金はいつもの2倍かかったのに、時間は40分も遅くなった。事故があったという表示だったが、阪神高速東大阪線が常時混んでいるようなら、このルートは意味がない。実家へ着いて、あわてて母を病院(皮膚科・内科)へ連れて行く。先々週、足の不自由な母の通院は大変なので、医師の往診と訪問看護で通院しなくてもいいようにお願いしたいという話をしていたら、検討してもらえることになった。ホッとする。帰りも阪神高速東大阪線に渋滞情報が出ていたので、阪神高速守口線のルートで帰って来た。
3月27日(土)
NHK朝の連ドラ「ウエルかめ」の最終回。最近の連ドラを見ながら書き手(脚本家)の力量不足を感じるのは私だけだろうか。このドラマもヒロイン役の倉科カナさんが美人なので途中から見だしたが、ドラマそのものの内容はたいしたものではなかった。
3月28日(日)
日曜日なら空いているかもしれないと、今回も第2京阪道路+近畿道+阪神高速(東大阪線、環状線、堺線)のルートを使って実家へ帰る。所要時間が木曜日は1時間40分もかかったのに今日は45分という速さ。これなら高速料金を支払う値打ちはある。母はかなり元気になってきたし、百人一首の正解率も高かった。やはり素人の父では十分な介護が出来ていなかったのだろう、ヘルパーさんや看護師さんに感謝である。だのに、父は他人が出入りするので気を使って疲れるという。
3月30日(火)
大津カントリー東コースでのゴルフ。第2京阪道路を交野北から入り今回は京都方面に使う。寒くて一部には雪も残っていたが、次第に暖かくなって快適なゴルフとなった。スコアは53(石山)+50(南郷)=103。この日は参加費無料のハーフコンペが行われていて、1位〜10位までとそれ以降5位ごとのとび賞に賞品が出ることになっていた。ラウンドを終えて帰ってくると、先に終えた組の人達が騒がしい。なんと後の組の私とH氏がそのとび賞に入っていて、賞品として黒田庄の和牛をもらった。8名参加で2名も賞品がもらえるなんてH..G.S.O会も運がいい。夕食はそのお肉となったが、1食ではとても食べきれない量であった。久しぶりのいいゴルフだった。なお、最近、低迷が続きゴルフ引退の危機にあったM氏もこの日復活したという話である。