私の日記(平成22年10月)

10月1日(金)
 高島彩アナウンサーが今日で「めざましテレビ」を卒業。年内にも退社と言われているが、その後はフリーアナウンサーになるともいう話もない。結婚という逃げ道で、しばらくは休養か。人気ナンバーワンの女子アナが画面から消えるのは寂しい。

10月2日(土)
 夜、父から母の容態が悪くなったという知らせが病院からあったので、今から来てくれないかという電話がある。話をよく聞くと、医師も帰っているというし、そんな危険な状態でもなさそうなので、明日、少し早めに実家に帰ることにした。

10月3日(日)
 いつもより早く、実家に行き、急ぎ病院へ行く。父は昨夜眠れなかったとかで足元がふらついていた。病院へ行くと看護師さんが床ずれの治療をしていたのでホッとする。全然重篤ではない。看護師さんの説明によると誤飲性肺炎を起こしたが、今は落ち着いているとの話だった。少し安心して病院を後にしたが、覚悟はしておかなければならないだろうという話になった。昼の食事時の父の無神経な発言に、また私が怒りだし、弟がなだめ役に回った。本当にこの日は麻雀を中座して帰ろうと思った。

10月4日(月)
 お昼の卓球、U氏に3勝2敗と僅差で勝ち越し。その後、3人で卓球をしていると小学校へ行く前の子ども達が体育館に遊びに来た。子どもというのは夢中になると危険が見えなくなるみたいで怖い。電話がかかる度に、特に発信者が父だったりすると、母の容態が急変したのかとドキッとする状態で、父は電話をかけてきて、今日も病院へ行ったが、母の容態は安定していると看護士さんの説明があったとかいう話をする。

10月5日(火)
 10月からゴルフスクールを復活すると言っていた二人が今日来ていなかったので、仲の良かったI氏はゴルフ止めるのだろうかと少し寂しがっていた。よく分からないが家庭の事情というものがあるのだろう。木曜日に予定されていたマンションの男性陣の麻雀は欠席者が多くて4人のメンバーが揃わず中止することになった。いつの間に私が世話係に?初心者(女性陣)麻雀のアドバイザーではあるけれど。

10月6日(水)
 マンションのゴルフ同好会(4名)で、奈良パブリックゴルフ場へ行く。1時間強と少し遠いが、今日はサービスディで昼食・コーヒー(紅茶)付きで6,000円と非常にリーズナブルなのである。電動カートのお山のゴルフ場なのに手引きカートの河川敷ゴルフ場より安いのだから…。ま、その分、人件費を節約しているので、過剰なサービスは望むべくもないが。コースも自然を生かしていて結構難しくて楽しめる。秋晴れのいいお天気で条件は文句なしだったが、後半、OBを連発し、結果は48(OUT)+58(IN)=106だった。

10月7日(木)
 マンションの初心者麻雀。別に高度なことは要求していない、麻雀の基本を説明しているだけなのだが、まあ、何度言っても覚えない人達だと感心する。頭が固い?年齢のせいだとは思いたくないが。

10月8日(金)

 マンションのカラオケ同好会、1ヶ月に1度なのに既にマンネリ化してきたので、来月は外へ出ようかという話になった。H氏が明日用事があるので帰るという話から11時には終わった。このくらいの時間で終わるのがいい。

10月9日(土)
 先週、母が危険であるようなことを話したのでーその危機は脱したのだがー姪が母の見舞いに行くという。そこで、頼まれて、大阪のマンションに車で迎えに行き同行することになった。病院に母を見舞うと「珍しいなあ」と声を出し、ある程度の意思の疎通が取れたので、父も見舞いがいがあったと喜んでいた。父を二人の子どもは好きでないのだが、この姪はなぜかおじいちゃんが好きで評価をしている。それは父にとって非常に有難いことである。

10月12日(火)
 ゴルフの練習に行くと、I氏も例の二人組もスクールに来ていなかった。上達しないまま止めるのか。M氏とはゴルフの話より親の介護のことで話が弾む。もっと楽しい会話がしたいよね。

10月13日(水
 少し時間が出来たので、久しぶりに散髪に行く。最近は髪もあまり伸びないような気がする。夜、父から、母の件で明日病院の方へ来てもらいたいと言ってきたので同行して欲しいという電話があった。昨日、父が病院に行った際は、調子がよさそうだったと言っていたのに。

10月14日(木)
 マンションの初級者麻雀は自分達で(点数計算も)やってもらうよう話をして、午後、実家へ帰ってから病院へ行く。医師から、母は普通に食事を摂ると頻繁に誤飲性肺炎を起こすので、直接血管に栄養剤を入れる簡単な手術をしたいとの話があった。いわゆる延命処置ではないということで、父が同意したので、私にも異論はなかった。
 今日は、チリの落盤事故で坑道奥のシェルターに閉じ込められていた33名の救出作業が24時間以内に無事完了するという歴史的な事件があり、外為市場では1ドル=80円台を記録し、歴史的な最高値も見えてきた。

10月16日(土)
 一番新しい眼鏡が壊れたので、その前に使っていた眼鏡を暫定的に使っていたが、退職後買った遠近両用眼鏡は3代とも、しばらく使うとプラスチックレンズが傷だらけになり、近く用はとても使い難い(しかもとても高価だった)ので、今度はどんな眼鏡にしようか迷っていた。それに、夏場のゴルフでは、当然UVカットレンズなのだが、眼が日焼けするのか、痛くなることが多いので度付きサングラスの必要性も感じていた。そんな時、チラシに魅力的な眼鏡が載っていたので、買いに行くことにした。その眼鏡は普通の眼鏡の前に同型のサングラスをかけられるというもの。店でプラスチックレンズは傷つきやすいのでガラスにしようかと話したら、今はもうガラスレンズはほとんどなく、しかも重いですよと言われ、傷つくのは空拭きするのがいけない(表面に付着した小さな埃が傷の原因になる)らしく、水洗いして下さいとも言われた。また、近くを見る場合は、眼鏡をはずせばよいだけのことなので、遠近両用レンズはやめた。私の度数のレンズも在庫があるということで、約1時間後には出来た。かけてみると明るくてよく見える。やはり前の眼鏡は傷で曇っていたのだ。

10月21日(木)
 マンションの初心者麻雀メンバーで昼食会をして、そのまま麻雀のため集会室へ。経験者グループも久しぶりの麻雀である。奇声をだしたり、騒がしいのは女性グループと相場が決まっているが、ここでは男性陣の方が騒々しい。初心者グループもかなり慣れて、スピーディになり、4時間で半荘3回できるようになってきた。途中まで、手順的にも大きな間違いはなかったようだったが、後半なると疲れがでてきたのか、牌の捨て間違いが目立つようになってきた。でもI氏やT氏が他流試合で男性陣に勝ったという話を聞いて、それはそれで立派だが、どんなレベルの人達とやったのかと思ってしまった。

10月23日(土)
 枚方マンション管理組合連合会の交流会に個人会員のM氏と共に参加する。各マンション毎の説明の際、本来なら会員のM氏が発言すべきところを、みんな男の人が発言しているからという訳の分からない理由で、オブザーバー参加の私が発言することに。今日の会合でもそのとおりだと納得する話が多く、管理組合の理事さん達に是非聞いて欲しいと思った。

10月24日(日)
 実家には結構頻繁に帰っているが、実家での麻雀は久しぶり。お昼にお酒が入ると、父と弟はまた喧嘩である。最近、帰る度に父と子ども達は喧嘩をしている。実家から帰って来ても、怒りが収まらなかったり、とても疲れたりする。母はよくこんな人と長年連れ添ってきたなと思う。もしかすれば認知症は逃げ道であったのかもしれない。

10月25日(月)
 HGSO会の第7回コンペを枚方国際ゴルフ倶楽部で行う。私は皆勤賞ではないが…。幹事さんがこの会独自のハンディを見直し、今まで優勝したことのない人の優勝が十分期待された。天候は途中から雨、午後は本格的になり、雨具の着用となった。私は第1ホールでバンカーショットをOBしたのがケチの付き始め、OBを連発してボールを7個も失った。ティグランドでの待ち時間が長くて待ちチョロがあったり、グリーン上へ後ろの組から打ち込まれたりという事件もあった。結果、56(OUT)+56(IN)=112で8位。優勝は過去優勝経験のあるH氏だった。遅くなったので、表彰式や会食はそこそこに、次回の幹事を決めて引き上げた。疲れた。

10月27日(水)
 ベータのビデオデッキを粗ゴミに出す。修理も考えたが、修理したものはまた同様の故障をすることが多いし、このデッキそのものがもうかなりの時代ものなので、修理は諦めた。撮り貯めたテープもゴミとなる。VHSビデオのテープもデッキが壊れないうちにDVDなどへダビングしておかなければならないとは思う。しかし、少し前に、ネガフィルムからデジカメデータへ変換する機械を買ったが、一向に変換作業は進んでいない。面倒なのだ。それと同様のことが起きるだろう。レコード音源のパソコンデータ化はなんとかやったが、カセットテープからCDへのダビング・パソコンデータ化もやりたいとは思っているが。どうなるやら。時間は一杯あるんだけど。

10月28日(木)
 急遽決まったきさいちカントリーでのゴルフ。道中、元職場の後輩が痴漢で捕まったという話を聞いた。話を聞くと状況から見て冤罪のように思うが…。しかし、一旦、逮捕のような事態になるとたとえ不起訴・無罪になってもいいことはない。ゴルフは、早朝2番目のスタート、しかも雨、最近ゴルフの調子が良くないのにこの条件で、いい結果が出るわけもなく、59(竹)+57(梅)=116という成績だった。また、このゴルフ場は利用しすぎて、あまり楽しくもなく、今日はいろいろ用事があったのに、無理してゴルフをすることはなかった。最後の料金の支払が機械に変わっていたのは驚いた。それが終わって、迷惑をかけたマンションの初心者麻雀に顔を出すと、麻雀をすることになり、トップとビリという結果だった。何度も言うが、麻雀は「運」のゲームなので、いくら先生役と言っても勝てるとは限らないのだ。

10月29日(金)
 実家へ帰り、父と共に病院へ行く。母の病状が安定してきたというので、転院という話である。入院の原因となった床ずれは完治していないが、今の病院はそんなに長く入院させてくれないのだ(約3ヶ月)。入院当初は、父も退院後はまた在宅で介護をすると言っていたが、最近になってそれはしんどいという話をしたら、今の病院が次の入院先を世話してくれた。在宅介護があるかもしれないということで、レンタルを継続していた介護ベッドや車椅子の契約は解除することにし、一方で父のベッドを購入することになった。一緒に買いに行こうかと言ったが、適当なのを買っておいて欲しいとのことだった。

10月30日(土)
 午前中、父に頼まれたベッドとカーペットを買いに行き、配達は1週間後ということだった。来週の金曜日が介護ベッド等レンタル用品の引き上げとなっていたので丁度いいだろう。
 夜、I氏から卓球仲間だったT氏が今日亡くなったとのメールが届く。卓球だけではなく、ゴルフの練習にも一緒に行き、マンションのゴルフ同好会の発起人の一人だった。最後に会ったのは今年3月に卓球に来てくれた時となった。癌が手遅れだったらしい。ご主人の死も突然だったという話を聞いていたが。身近な自分より若い人がそんな簡単に死ぬなんてショックである。母などを見ていると生命力のたくましさのようなものを感じていたが、人の命のはかなさを改めて感じた。