
特集記事その2
〜オットー・スコルツェニーの華麗なる変身〜
ウィーン生まれのオットーは学生時代に13度の決闘を行い、そのため、写真でもお分かりの
通り左頬に大きな傷を持つ。
彼が31歳の時、オーストリアはドイツと合邦し、彼は武装SSに「アドルフヒトラー」連隊で少
尉に任官し、頭角を表す。やがて特殊部隊「フリーデンタール」の指揮官に任命され、1943年
7月にはムッソリーニ救出作戦を成功させたのだった。
通常作戦時の軍装
その後もハンガリーのホルティ摂政の息子の誘拐(ミッキーマウス作戦)など重要作戦を成
功させたオットーは、総統より「グライフ作戦」の命令を下された。と同時に中佐に昇進する。
その作戦とは、パイパー軍団などが行う「バルジ大作戦」に際し、アメリカ兵に扮装して米軍
後方にて破壊工作を行うというものだった。
グライフ作戦時
アントワープへ向け進撃中
米兵に扮したオットー達は電話線を切断し、デマを流し、連合軍では次第にパニックが広が
っていった。自軍の合言葉を答えられなかった第12軍司令官ブラッドレーも営倉に入れられ
た。
時には日本軍にも??
戦後、捕虜収容所を脱走しスペインで実業家として成功したちゃっかりさん。

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