資料2
「旧幕時代の鉱山技術」平井栄一
 『佐渡金銀山史話』 麗三郎 1956 の補章一より金銀製煉法(p.516-521)を抜粋。
 (備) 平井栄一(1895-1956) 元佐渡鉱山採鉱課長(技師)、相川郷土博物館館長 『佐渡鉱山史』編著(1950)

第三節 金銀製煉法
 佐渡に於ける製煉法の概要を、前記「飛渡里安留記」中の「鏈粉成方金銀吹立方取扱大概書」によって記述する。

水筋吹立
 前節で水筋(自然金)と汰物(硫化銀鉱)の淘汰採取法を述べたが、水筋は表面が錆び易く水中に保存すれば変色しないので此名称が与えられた。これを製煉するには、水をよく絞り紙に包み、目方をかけて記録したり符印するなどして、諸役人の手を経て床屋に送られ、床屋役人は符印を改め帳面引合せ目方掛改めた上いよいよ仕事にかかる。

大床
 水筋二十目以上は大床で吹立てる事になって居り、是は炭を細かに砕いて笊で通したものを固め、これと粘土を水に溶かしたものとで炉を作る。炉の上に炭を置き先に鉛を入れ鞴を差して十分に熔かし、湯の状態になった時水筋を紙に包んだまま炭の上に置き、その上に火をのせ暫く蒸すのである。これが自然に焼結した時鞴を差すと、金は熔けて鉛の湯と一緒になる。これを筋金湯折という。次に火を除き藁箒で水を掛けた後柄実(゚)を取除けるが、柄実には尚金分が含まれて居るから再度絞り返えす。さて炉上に残った湯を冷し採上げて之を灰吹床で処理する。

灰吹床
 灰吹床と云うのは真中に鍋を置き、その中に灰を入れて炉を作り、炉の中え筋金湯折を入れ火を置き鞴を差し、よく熔けたところで火を除き、鞴羽口のところえ横に火箸のような棒鉄を渡し、此上に大きな炭を渡しかけ炭の上に火をのせ、尚亦炉の囲りにも火を並べ湯色が見えるようにする。このようにして鞴を差せば鉛は次第に灰に沁み込み筋金は炉の内に溜るから、火を除いてこれを採り上げ焼塩の中に入れて暫く蒸すと黄金色を呈するのである。
 次に二十目以下の水筋は直接灰吹床の中で処理するが、始め水筋の目方に応じて鉛を入れ吹き熔かし、水筋を紙包のまま投じて吹立てる事、前に述べた通りである。吹立てた金は目方を掛け記録し諸役人を経て買石に渡され、買石は筋金所え持参し、筋見の者が鑑定し手続きを経て吹分所へ納入するのである。

汰物吹立、須灰床
 選鉱作業で採取した汰物はそのまま吹立てるが、硫化物の多い鉱石の場合は、一応釜で焼立て量を減じて汰物と一緒に吹立てる。ここでも役人が目方を掛け記帳し監督をする。さて作業は須灰で作った炉で行われ四度に吹立てる。初め炉滓と柄実をまぜて熔し、よく熔けたところで火を引き水を打って浮いている柄実を取り、鉛と鉄を挟み込む。鉛を入れるのは吹減りしない爲で、また鉄を入れるのは柄実炉滓をよく吹き熔かすためである。取除けた柄実は砕いて火の上にのせ吹き熔し再度柄実を取る。これまでの二回吹を地吹と唱える。この時汰物をのせ鞴を静かに差すと汰物は熔けて地吹と一緒になるから火を除き水を打ち柄実をとり、この柄実を砕いてもう一度炉上に返して吹き立てるのであって、都合四回吹き立てる事になる。最初へぎとった柄実を「どぶ柄実」といい、次に「黒柄実」「間の柄実」、最後のものを「赤湯柄実」という。これらを総称して一番柄実と名づけ次の地吹に用いるのである。

灰吹床
 このようにして吹き立てると銀は鉛の中に熔け交りその外のものは柄実となる。この銀鉛の湯に、床蓋と称する径六寸の藁製の蓋を置き、その上から水を掛け冷し、全く冷し切れば取り出すのである。これを「おり地」と云う。これを灰吹床へ送り、筋金吹立と同様の作業をする。ここでも床屋役人の秤量、記帳を経る。出来上がった銀塊を山吹銀といい、炉滓は前述のように地吹に用いる。山吹銀は役人が目方を改め鑑定を行う。
 次に柄実の処置について補足しなければならぬ。それは一番柄実を地吹に用いて操作して生じた柄実を二番柄実といい、これを別に貯えて置いて適当な量に達すると絞り返すのである。床一挺に三貫目程吹立てて銀一枚を得るといわれ、汰物吹立と同じ方法によるものである。炉の中に炉滓と鉛を入れ炭火を掛け、よく熔けた後六七百目位の柄実と鉄を入れ鞴を差し、都合五度に吹立てて下り地を得るのであるが、その都度柄実の名称が異なって並柄実、三番柄実、山下柄実などと称せられ、最後の柄実は銅床屋で利用される。
 また勝場の内にある塵芥、古叺、草履、草鞋などにも鉱石が附いて居るので、一ヶ年分溜め置き、大盥で洗い笊で篩って吹立てる。これを「呑掃吹」と唱え遺利を追求したものである。
 以上説明の外に品位の低い鉱石を荷吹床を用いて収銀する場合もある。初め焼結して焼汰物とし、床一挺分焼汰物三貫五百目を銀一枚に吹立てるのであるから、一番柄実吹立と大体同じで、ここから出た柄実も亦遺利を得る。此荷吹に対して良品位の汰物の処理を小吹と称した。

金銀吹分
 水筋を吹立てて筋金となったものを面筋金と呼び、汰物を吹立てて銀となったものを山吹銀と称することは前に述べたが、この山吹銀の中にはまだ金が含有されて居るから、金銀の分離を行わなければならない。この作業をするところを分床屋といい買石の経営であったが、後吹分所に改められた。ここで製出された金を分筋金と唱えた。面筋金を分離した残りの銀を灰吹銀と云い若干の含金があったので、宝暦十年再吹分をした結果経費を差引いて利益をあげたが、明和の末から安永の始にかけ経費倒れとなったので一時中止した。その後また復活して分離を完全にするために鉛その他の添加量を増加して行われた。

分床
 吹分の方法は、先ず山吹銀一貫二百目を一と吹の予定で秤量し、分床で処理する。分床と云うのは、へな土(粘土)を水で解き炭灰を練って塗り、前日から炭火を入れて焼き乾かし、山吹銀を入れ鉛五百八十目を加え吹熔し、硫黄をかけ小枝で廻し、藁で編んだ床蓋をして箒で水を打ち冷せば薄い銀の皮となる。これを鉄板製の器でへぎ取り、また水を打って薄い皮をはぎ取る。これを片皮という。片皮を採った後は固まり出すから、火を掛け硫黄を入れて吹き返し幾度も繰返して欠減のないようにする。また片皮をなるべく薄くはぐのは、金分を含まない銀分だけを掬い取るためである。このような方法で十二三度繰り返すと炉中に金分だけが残る。これを「地分け一番筋」と称し大概三百目から四百目位であるが、まだ銀分が含まれて居る。
 さて地分け一番筋を取上げた後、片皮を再処理するために鉛を入れて吹き熔かすのであるが、片皮には硫黄が多分に含まれて居るので、別に硫黄は加えないで吹き熔かし、例によって水箒でたたいて片皮を作り、何度も片皮を取上げると炉上金塊が残る。これを「地分け二番筋」といい百五十目から二百目位である。二番筋を取上げた後「地分け三番筋」を取るのであるが、これは地分け二番筋の片皮の外に、床前に散在した塵埃を吟味してこれも材料にする。吹入してよく吹熔けた時鉛を加え柄実をとり「地分け三番筋」を得る。三番筋は八九十目から百二三十目位迄になる。

薬抜床
 次に「地方け三番筋」を取上げた後、片皮は全部薬抜床と称する分床と同じ構造の炉で処理して、硫黄その他を除去し純銀に近いものとする。これを湯折と称し灰吹炉によって灰吹銀に製するのである。これらの操作をすべて「地分け」と唱えるのであるが、この「地分け」製品から更に純度の高いものに仕上げる為めに、炉の操作を繰り返し詰筋を作る。また柄実は別処理によって夫々金属分を回収するのである。

筋床
 金銀の分離は中々面倒で、前に述べた詰筋を更に筋床で操作する。筋床は後藤灰といって極めて細末の灰で作った炉で、詰筋を吹熔かし山銅(銅のこと)と鉛を入れ、羽口先から長い炭をかけ鞴で吹き熔かす手段は前述の通りで、出来上った筋金塊は塩焼して目方を改め筋金所え渡し筋見役が鑑定する。分筋金(汰物から製出した筋金)は面筋金(水筋から製出した筋金)に比して純度が稍々低いとされて居たから、鑑定の結果不合格品は吹直しをしなければならなかった。また筋床で筋金吹立の時、鉛は灰に沁みこみ炉滓となり、銅は柄実となるので夫々に処理されるのである。

灰吹銀の吹立
 一方銀の方は前に述べたように、「地分け三番筋」を取上げた時の片皮(銀)は、薬抜床で硫黄を抜きとり湯折となったものを再処理するのであるが、これを処理するには灰吹床え後藤灰を銅釜の中で床作りをする。普通の灰吹床は鉄の釜を用いるがこの場合は銅釜を用い、これを後藤炉作り(後藤庄三郎という小判製造師の名から取ったもの)と唱えた。水箒で炉内に水分を与え湯折を入れて吹き熔かす手順になるが、分筋床で筋金を取ると同様である。即ち長い木炭を羽口先から湯折の上え渡し、静かに鞴を差し加減を見計い山銅を少しづつ加える。湯折(鉛と銀の湯)の中の鉛やその他のものが灰にしみこみ、湯色が澄んで来る。これを「かぶる」と云う。それから鞴を強く差し火を刎ねて小枝で湯をまわし、面鉛(何の意味か不明)を少々入れて湯廻しをする。そこで固まったものを水箒で冷やし鋏でとり上げ、鉄鎚で耳打をして炉滓を落し、水桶に入れて冷やすと灰吹銀となるのである。目方を改め吹分所の極印を打ち後藤座に送って鑑定する。合格品には後藤座の極印を打ち一包五百目宛に掛改め、役人の名前を記し符印をして吹分所の庫に納め、適当の時に御金蔵に上納するのである。灰吹銀吹立の過程として吹床近くに散在したものを吹立てる事は汰物吹立の時と同じであり、柄実は銅製煉に利用することはいうまでもない。

「金子勘三郎家資料目録-佐渡国笹川十八枚村- 付 飛渡里安留記 下 (砂金山稼之事)」(佐渡金銀山遺跡調査検討準備会)

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