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『稲垣吾郎の謝罪会見』【映像がなくても厳しいと思いますので、辛くなりそうな人は回避してください】 作成:01年8月26日 作成:Kazuyo 更新日:09年5月2日NEW

『吾郎君の足跡をたずねて・・・マジョルカ・パリ旅行記』 作成:01年6月10日 作成:Kim 更新日:06年12月08日




『稲垣吾郎の謝罪会見』 作成:01年8月26日  更新日:09年5月2日

このたびは、お忙しい中、お集まり頂ききまして、本当に有難うございます。このたびは、大変、皆様にご迷惑おかけしまして、深く反省しております。そして一社会人として、人間として、自分自身未熟者だったと、心の弱さがあったと、本当に深く反省しております。申し訳ございませんでした。

(弁護士の方による事件の説明。および今は捜査段階であり、事実関係に関する部分は話をできない旨、取材陣に説明。)


−どうして、駐車違反で現場から逃げようとしたのか?

まぁ、その状況というのは、今仰ったように、事実関係の話はこれからということなんですけど。ただ、僕自身、そのときの気持ちというものが、まぁ、いろいろな状況において、少しパニックをしていたというか、ちょっと人に囲まれてたみたいな状況に御座いまして。

−周りに居た方々は気づかなかった人が多かったようだが?

はい、あの…パニックという言葉は人それぞれの聞こえ方があると思うんですけど、あの、少し数名の方に追いかけられてて。ちょっと自意識が強かったのか、まぁ、その辺を自分も今言ったとおり、少しパニックしていたという事もありまして…。

−当日、そのとき、車をとめて、買い物に行かれていたと?差し支えない範囲で。

はい、あの、丁度休日だったので、まぁドライブがてら、あの、まぁビデオレンタルショップにビデオを返却して。でまぁ、本屋さんに買い物をしに行く途中で…。結局、何も買い物をしなかったんですけれども、街を、そう…、ぶらついていたというか…、はい。

−車を停めてはいけない所だという認識はあったのか?

それは、それはあの、十分承知しておりました。

−何分ぐらいの間だったのか?

実際はその…、交通違反としての、まぁ、あの、自分の停めていた時間というのは、約20分から30分ぐらいです、はい。

−今改めて二日間、拘置されている間に、まずどんなことが頭をよぎったか?

そうですね、やはりあの、こう、僕らなんかのやっている仕事というのは、少なくとも人の見本になったりとか、模範になるような・・・そういった立場に居るにもかかわらず、こんなことになってしまって。自分を過信していた訳ではないんですけれども、もしかしたら自分の中にそういう弱さや…人としての未熟な部分というのがあったと…。

−あの、逃げたい、その場から立ち去りたいという気持ちが、かすめたんですか?

申し訳ございませんでした。

−沢山のファンに影響を与えてしまった事については?

それは本当にファンの方々には、本当に、本当に申し訳ない気持ちいっぱいで。特に、今日もそうなんですけど、昨日も名古屋ドームの方に、コンサートに応援しに来て頂いて、その事を考えると、本当に残念で、本当に悲しくて…。

−SMAPのほかのメンバーに対してはどんな想いか?

メンバーである中居君、そして、木村君、で、剛に慎吾・・・まだお話はできていないんですけれども、本当に、本当に申し訳ないというか…。

−これからファンの方へどうやって償っていくのか?

あの、現段階では、今後の活動というものは、僕自身はこれから会社の人間なんかと相談しあって決めていくことだと思うので、そういう活動に関しては、まだ僕もまだわからないし・・・わからないんですけれども。ただもう、本当にファンの方々には、今のこの気持ちをわかって頂けるように自分自身、深く反省して、やっぱり早く、本当の自分の気持ちとしては、やっぱり、木村君、中居君、剛、慎吾と一緒に仕事をしたいので。まだ、現段階ではそういうことを言える立場ではないことも分かっているので。そういった気持ちです。

−SMAPのメンバーで居られなくなるという不安はあるんでしょうか?

はい。

−釈放されてからメンバーへ連絡は?

はい、えーと、今、あの、丁度、終わったと思うんですけども、名古屋ドームの方で、僕の分まで4人で頑張ってもらっているので、丁度、コンサートの最中だと思うので、電話はできなかったんですけど…。

−留置されている間はどんなことを考えていたのか?

それはやっぱり、何度も同じことになっちゃうんですが、ファンの方々、そして日頃お世話になっているスタッフの方々、やっぱりメンバー、家族・・・そういった自分の周りの人間の顔がなんか思い浮かんできて…。

−眠れませんでしたか?

はい

−ほとんど寝てない?

はい

−稲垣さんとしては、一からやり直そうという気持ちですか?

はい、それはもちろんあります。

−自粛という形はメドというか、どの位までと考えているか?

ごめんなさい、現段階では、全然、あの、自分でどのぐらいとかやっぱり言える立場でもないので。

−コンサートに参加したいだろうが、例えば、年内一杯は・・・という気持ちはありますか?

もう本当は、気持ちでは、1日でも1分でも1秒でも、実際にファンの方とお会いして気持ちを伝えたいという気持ちはあるんですが、やっぱり、こういう立場なので、本当はそういうことは言っちゃいけないと思うんですが…。だから自分の中でそういうメドというものも正直言って、考えられていません。

−メンバーとはこれからどう話をするか?

まぁ、どういう形とかは、まだ考えていんですが、やっぱり電話で話すとか、そういう手段でしたら、やっぱり実際にお会いして、会って、話をしたい。

−ひょっとしてSMAPにいられなくなるという恐さがあると仰いましたが、SMAPとはどういう存在か?

そうですね、僕にとって、本当にもう、その、僕そのものなので。僕自身がそこにあるというか・・・ごめんなさい、なんか曖昧な表現なんですが・・・自分の生き方そのものだと思っていますので。はい、そのぐらい・・・。

−事務所の年長グループのSMAPの中にあって、処分に関してどう考えているか?

あの処分というのは僕自身、考えられる事でもないし、自分で想定することでもないので。それはやっぱり今僕がやらなきゃいけないことというのは、この先の事というよりも、今この現時点での、その、反省する気持ちというか誠意というか、そういうことの方が大切だと思うので・・・今日もみなさんにお忙しい中、お集まり頂いたんですけど・・・。

−今回の出来事は何を与えたと思うか?

そうですね・・・・・・・・・やっぱり今までも、自分は、自分自身は真っ当に生きていたつもりでも、結果、こういうことになってしまったわけですから、まぁ、一番最初にも申し上げたんですが、そういう自分の弱い心だとか、まだまだ未熟な点だとかそういった部分を改めて痛感し、もっともっと・・・もっともっと強く、やっぱり大勢の方が見ているわけですから、人の見本となるように、やっぱりSMAPとして、やっぱり夢を与えられるように、大勢の方に、そういう風に、まぁ…メンバーとともに、これからも生きていきたいと思ってます。

−少し自分が甘かったと痛感してるか?

はい、そのとおりです。痛感してます。

−昨日の夜はどのぐらい睡眠をとったか?何か食べたか?

昨日の夜は、あの、ほとんど寝ていません。一睡も。警察の方から頂いた物を少し口にしたぐらいです。そしてあの…先程、少し頂いたぐらいです。

−仕事で迷惑を掛けた部分について、責任を甘んじて全部受けようという覚悟は?

それはもちろんです。

−現状、今、SMAPをやめるつもりは?

うん、やっぱり、今の段階ではその、辞めるとか辞めないとか、まぁ、そういったことが頭が・・・ごめんなさい、先程質問されたので、つい答えてしまったんですけど。どっちか、これはどっちか、あれはどっちかみたいなことは、判断できる状況ではないので。まぁ自分の心境もそうですし、立場もそうなんで。

−1人でドライブしていたのか?

1人でドライブしていました。

−他の友人が一緒だったとかは?

一人で…全く一人です。

−じゃぁ、最後にメッセージお願いできます?

はい・・・(立ち上がって)えー、本当に僕自身、悔やむ思いで一杯で、あの…気が動転しているんですけども、ファンの方々、こういった形で裏切ってしまったという事は、本当にもう取り返しのつかないことだと思っておりますし、本当に今、一刻も早く、皆さんに謝りたいという気持ちで一杯です。そして・・・できれば一刻も早く、一分一秒でも早く、ファンの方々の目の前で、この気持ちを伝えたいということが一番なんですけども、実際にお会いできない方も大勢居ると思います。そういった方々には、この場を借りて、本当にお詫びしたいと思います。申し訳御座いませんでした。


[その他、以下、主なワイドショーから抽出した、上記コメント以外の吾郎の言葉です。順不同]

−車を発進させて婦警さんに車が当たったときにどういう感情を持ったか?

(弁護士が代弁)その辺りにつきましては、誠に申し訳ありませんが、捜査中の事でもありますので、勘弁して頂きたいんですが。

−とんでもないことをしてしまったと思った瞬間はどこか?

まぁ、やはり警察・・・そのすぐ直後では、気づかなかった自分もいけないんですけども。

−警察に連れて行かれたときに、とんでもないことをしたと思った?

そうです、はい。

−怪我をした婦警さん対しては、どういうふうに考えているか?

それはもう本当に・・・本当にもう自分は、もう人間として情けなく、本当に申し訳ないという…自分でも本当に、その点に関してはやはり一番深く反省しております。

−逮捕されたときに頭によぎった事のいくつかを。

まぁ、やはりあの、一昨日の地点で、明日名古屋でコンサートがある・・・楽しみにしているファンの方々、わざわざ遠くからいらっしゃるファンの方々、やっぱりコンサートというのは本当に年に一回、実際に会って、同じ空気を吸って、同じ時間を楽しんでっていう、まぁ、SMAPの活動の中でもすごく大きなイベントなので、明日の名古屋の事を第一に考えました。

−最初に木村さんがね、オープニング前にスタートに立って、ちゃんとお話してコンサートがスタートしたんですけども。

・・・。

−そういうメンバーの気持ちはちゃんと心に響いてますか?

・・・はい、響いてます。

−おそらく昨日コンサートが始まる時間、とても気になったと思うが、何を考えていたか?

僕が言えるような立場ではないのかもしれませんが、やっぱりコンサートの成功を祈っておりました。

−これからまだコンサートは続くが、他のメンバーに対してはどう思っているか?

あの、・・・まず、まぁこういう状況でも4人はコンサートを実行し、ステージ上で僕の、僕よりも早く、まぁ本当は僕がしなきゃいけないことなんですけども、ファンの方々に、まぁ今、初めてお聞きしたんですが、頭を下げ、それでコンサートを、まぁ、行ったわけなんですが、それに関しては本当に申し訳ないという気持ちとメンバーに対しての。あとは、感謝の、ありがとうの気持ちがいっぱいです。

−今夜はメンバーに連絡を取りますか?

はい、できれば。

−どうやって?

まぁ、本当は会って、あの、コンタクトを取りたいんですけれども、ちょっと状況が今、分からないので・・・何らかの形では、はい。

−処分が出るまではどうやって過ごそうと考えているか?

すみません、何も考えられません。

−今、メンバーに連絡を取ろうと仰いましたが、どんなことを伝えたいと思っているか?

それは先程から言ってるように、やっぱり、本当に申し訳ないというお詫びの気持ちと感謝の気持ちです。


KAZUYO'S COMMENT:
レポ部屋にあげておこうと思ったのですが、読み直してやはり厳しいですね(苦笑) もう、あのときの謝罪会見の様子が蘇ってきて涙してしまいました。今回の剛の謝罪会見と比べてはいけないと思いつつも、何から何まであまりにも違いすぎます。事務所の対応の早さと会見までの準備の良さの違いとか、マスコミからの質問もその口調の違いも・・・。吾郎が回答している途中で、畳み掛けるように怒声のように矢継ぎ早に質問されて、吾郎はもう本当に小鳥のように震えているだけでした(涙) 不謹慎とは思いつつ、吾郎ファンが「綺麗だ・・・」と呟いてしまったのは、だからこそなのですが、やはり辛いものは辛い。

このとき、吾郎はまだ27歳でした。会見の受け答えの様子を読んでもらえればわかりますが、事件に関することは一切口にできず(反論、言い訳はできない状態だったんです)、それでも真摯にわかりやすく自分の気持ちを素直に答えています。何度も泣きそうになりながらも(メンバーのことを話すときが、一番辛そうでした)、一粒も涙を零さず最後まで何度も頭を下げて、ファンや関係者、スタッフ、そしてスマップのメンバー、警察、マスコミ全てに謝罪の言葉を伝えていました。

事件のことを説明する会見ではないと冒頭で弁護士が伝えたので、その件については一切話すことができなかったので、起訴猶予と決まったときにはちゃんと報告があると思っていた。なのに、やはり事務所からも報告はなく、それが今でも世間が事件のことを誤解したままだと個人的には思っているので、非常に悔しいですね。さらに、吾郎のときは、処分が決まってからも、まったく今後のことが明確にされず、スマップに戻れるのか、復帰はいつになるのかわからないまま年末まで過ごすことになりました。

あれから8年。いまさら、また蒸し返されて叩かれると誰が思ったでしょう。でも、これを機会にしっかり世間に真実を知ってほしい。吾郎は、今までひと言も弁解をせず仕事をすることで誠意を見せてきた人です。そして、きっとこれからも吾郎はそうしていくでしょう。吾郎ファンは、辛いけど、そんな吾郎を誇りに思っていいと思います。だから、ファンができるだけのことを今後もやっていきたいですね。


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『吾郎君の足跡をたずねて・・・マジョルカ・パリ旅行記』 作成:01年6月10日  更新日:06年12月08日

2001年2月10日に放映された「ショパン 二つの愛の物語」(日テレ)は、吾郎ファンであり、かつショパンの音楽を愛する私にとって、この上もなく心揺さぶられる番組となりました。99年にもマクセルスペシャルとして「鶴田真由のショパンへの手紙―天才作曲家を愛した女達」(CX)という番組が放映されましたね。ショパンという題材からしても、一般的にこのテの番組には綺麗な女優さんを案内役に据えるのが常套手段と思われますが、今回、稲垣吾郎を起用したプロテ゛ュ―サーはの英断は、実にお見事だったといえるでしょう。  
時折、ショパンとかぶってみえるほど苦悩に満ちた青年の横顔を見せたかと思うと、次にはナレーターや解説者として、知的な語り口を披露する。さらに視聴者との融合を図るかのように、ひとりの現代の若者として素になってコメントしたり、、、。さすが役者稲垣!1人で何役もの表現をみせてくれました。     
もちろん、さすがにギャラクシー賞を受賞するだけあって番組自体のクオリティも本当に高かったのですが、その全般にわたって稲垣吾郎がでしゃばらずに、それでいて静謐で高貴な雰囲気を漂わせながら存在してくれていたのは本当に嬉しかったです。(問答無用!どうせファンだもの、なんとでも言わせて)

そしてこの番組にいたく触発された私は、ついに今年の3月、4月にパリ、マジョルカ島への旅を決行いたしました。時間的にも物理的にもかなり制約があったうえ、紙数の関係もあり全てをご紹介できませんが、すぐには旅立てない方のために、そしていつかこちらに旅行に来られる方のご参考になればとレポを書きました。いっしょに楽しんでいただければ幸いです。  
今回の旅行の目的はひたすら吾郎くんの足跡を辿る旅です。私を支えるものは、吾郎君が立ったと同じ場所に立ちたい、彼が感動したものをこの目で見たいというミーハー心だけです。一方、同行者M(主人)の目的は「日テレへの挑戦」でした。今回の映像のあまりの美しさに感動したMは、テレビと全く同じ映像を撮るという意気込みのもと、「ショパン〜」の録画ビデオまで持参し、それと比べながら自分なりの「ショパン〜」を撮ったようです。ただ彼の唯一の誤算は被写体が「稲垣吾郎」ではなかったことでした。完全主義のMとしてはフラストレーションばかりが募る旅となったのでした(合掌)。

ではショパンのビデオを見ながらレポを追ってください。(便宜上マジョルカ篇とパリ篇に分かれています)


☆マジョルカ篇☆

★番組冒頭: パルマ沖、船上の吾郎くん
マジョルカ島へ向かう船、潮風に吹かれる吾郎君の憂いを帯びた表情

普通はバルセロナから空路30分でマジョルカ島にはいりますが、当時、ショパンとサンド、そしてサンドの子供であるモーリスとソランジュが船で入港したのを踏まえてわざわざこの絵をとったのでしょう。あとから出てくる同じく船上の映像をごらんください。遠くのスカイラインの中にパルマの大聖堂のシルエットが見えます。  

★バルデモーサ修道院: ショパンの部屋に入り、プレイエル社製ピアノを紹介する吾郎君
「ここにあるのは実際にショパンが弾いていたピアノの中で今残っている数少ないひとつだそうです。」
修道院の中にはショパン関連の部屋がいくつかありますが、このピアノのある部屋はもとはショパンの寝室だったところです。この修道院に来た当初、マジョルカ製の粗末なピアノ(あとで出てきます)しかなく、ショパンはパリからこのピアノが届くのを待ち焦がれていました。

★パルマの大聖堂(La Seu): 正面入り口
ここは吾郎くんが「観光スポットとしては今回NO.1」とお勧めしているところです。17世紀頃に完成したといわれる正統派ゴシック寺院で、正面に美しいステンドグラスの薔薇窓をもつ荘厳な建物です。このショパンの旅からの帰国後に執筆されたと思われる映画評(anan)の中で、吾郎君が「NYといえば聖パトリック寺院を思い出す」と書いてありました。94年にレコーディングのためにNYに行き、木村君といっしょに夜ホテルを抜け出して、隣接していた寺院に行ったというエピソード(94・7明星)がありましたね。私はこのパルマの大聖堂を見て聖パトリック寺院を思い出したのだなと思いました。とてもよく似ています。ここは建築だけでなく、所蔵品なども見るべきものが多く絶対にはずせない観光スポットです。  

★城壁に沿った階段を上る吾郎くん
ここは大聖堂の隣にあるPalau de I’almudinaという旧王宮に当たる建物です。この階段を上りきると大聖堂の正面近くにでます。
このあとレストランに入って是非、かたつむりに挑戦しようと思っていたのですが、脂っこい地中海料理におなかを壊して、レストラン探訪どころではありませんでした。ゆえにレストランはパスしてバルデモーサに向かいましょう。バルデモーサはパルマから車で約20-30分くらいです。私達はレンタカーを使いましたが、観光の場合はタクシーか安くて、安全なのでお勧めです。(観光バスもあり)

★展望台にて暗い冬の海を見つめる吾郎君
ここはバルデモーサからさらに海岸沿いに10キロほど西にいったところで、海岸美で名高いマジョルカ島のなかでも特に美しいMirador de ses animesと呼ばれる景勝地です。     
さらにこの場所にいたるまでの海岸道路がまた絶景につぐ絶景でした。ただし道幅が狭く、ガードレールもないヘアピンカーブの連続なので運転にはかなりテクがいります。この道を走りながら「オートマ限定」で「すっごくぶつかるんだよね。ある意味ちょっとアドベンチャーなドライビングを見してくれる」(by 木村君)、「外見だけの車好き」(by 吾郎)には絶対に運転できないだろうなと思った私でした(ごめんね)。  
展望台といってもとても狭いところで、隣には崩れかけた中世の物見の塔(weeklyぴあの写真参照)が立っています。吾郎君が来た冬の頃と違って、紺碧の海は春の陽射に明るく輝いていました。土産物の屋台のおじさんの不審そうなまなざしを一身に浴びながら、それでも私は吾郎くんのもたれた展望台の柵に頬擦りしたり、撫で回したり、、、、いつまでもその場を離れられません(あぶない、、、、)。あの吾郎君と同じポーズで手摺にもたれてみましたが、全然絵がちがう!吾郎くんの場合、腰の位置がずっと高いんです。やっぱり凄い足が長いんだわあと変なことで感心してしまいました。

★バルデモーサ修道院遠景: 人気のない街道を歩く吾郎君
バルデモーサはマジョルカ島のなかでも最も美しい村のひとつです。スペイン特有の石灰岩からなる荒々しい山々の懐に抱かれるようにひっそりと眠る中世の僧院。糸杉、オリーブ、アーモンド、オレンジ、やしなどの南国的な木々の間に集落が点在しています。サンドが「緑はスイス、空はイタリア、厳粛で静寂な雰囲気は東洋のようです」(マジョルカの冬)と称えた静けさの中をゆっくり歩く吾郎くんの姿もまた風景画のようです。  
しかし実際はああはいかない!あの街道はパルマからバルデモーサへ行く幹線道路、歩道すらない、ギリギリの2車線。吾郎君が撮影した時はシーズンオフだったから良かったものの、ハイシーズンの春は観光バスや乗用車が狭い道をブンブン飛ばしてきますから、ビデオ撮りは命がけでした。ここから修道院までは徒歩だと約20分くらいです。  

バルデモーサ修道院はこの村の唯一の観光名所といっても過言ではありません。現在の建物は18世紀のもので、修道院、礼拝堂、市立博物館、近代美術館を兼ねています。ショパンの部屋(3室)もショパン関係のコレクションで埋め尽くされ、ショパン好きな人にはたまらない所蔵品の数々が収められています。  
まず修道院前の広場にショパンの石像(テレビジョンの写真参照)があります。そこから入り口を入ると礼拝堂があり、そこを過ぎると吾郎くんが歩いていた中庭を囲む回廊にでます。その回廊に沿って薬局、ショパンの部屋などがあります。

★ショパンに捧げられた部屋: 番組中では「サンドの部屋」と紹介されていますが、「サンドの部屋」はその隣です。 
サンドのストール、直筆楽譜の載せられたピアノ
吾郎くんがその小ささに驚いたという、このマジョルカ製のピアノは、見るからに粗悪で、ショパンがぶつくさ文句をいう声が聞こえてきそうです。ストールと楽譜はこの撮影のためにわざわざここに持ってきたもので、普段はここに置いていません。この部屋には他にスタンウエイのグランドピアノがあり、一日一回ショパンのピアノ曲が演奏されます。壁にはバルデモーサショパンフェスティバル(毎年8月開催、今年はユンディ・リイがくる予定)に参加したピアニストや作曲家の写真が一面にかけられていました。各部屋には番組の中で紹介された絵などがかけられているのですが、一番吾郎君が感動したという「死に瀕しながらピアノを弾くショパン」の絵もここにあります。  

★薬局: 「それで当時ショパンが飲んでいた結核の薬がこちらだそうです」
順序的にはこの薬局はショパンの部屋より前にあります。ここは思ったよりも狭くて、暗くて、ちょっと「薔薇の名前」的な中世修道院の妖しさがあります。吾郎くん指差しの「結核の薬」もありました。吾郎君って直接、指をささずに手のひらを上向けて物を指し示す動作をしますよね。あの仕草とても上品で大好きです。

★雨に煙るバルデモーサの山: BGMはプレリュードNO15「雨だれ」
この山はショパンの部屋(No。4)のテラスから眺めた景色です。テレビガイドや女性セブンで吾郎くんが手摺に手をついて外を眺めている写真がありますね。彼が見つめている視線の先の辺りにこの山がそびえています。
そしてこのNo.4の部屋の窓こそが、世界中の吾郎ファンが「日テレさんありがとう!」と叫んだであろう、吾郎君がガラス越しに雨を見つめていたあの窓です。とにかく吾郎君を含めてまるで一幅の絵画のように見えたあのシーン。Mが私を同じ所に立たせて、なんとかあのシーンを再現しようとするのですが、「君じゃアップに耐えられない!」とキレてしまいました。身長155センチの私では顔が窓枠にかかってしまう。Mだと頭が窓枠から出てしまう(彼は180センチ)。吾郎くんの身長でちょうどあのフレームに収まるのです。でもあの窓にあそこまで執着している観光客って、、、。すでに監視員の人は私達のことを怖がっている様子でした。  

「雨だれ」作曲のエピソードをもう少し補足しますと、、。その日サンドは、ショパンが待ち続けていたフランス製ピアノ(番組冒頭)の税関手続きをするために子供連れで、パルマに行ったのでした。そして帰途、激しい嵐のために川が氾濫してしまい、夜中に馬車を乗り捨て、徒歩で修道院に帰りついたということでした。ショパンはあの窓に立って、サンド達がいつ戻ってくるのかと何度もあの街道を眺めたことでしょう。「病気のショパンが心配で何かあってはと思い、私達は足を急がせた。(中略) 彼の曲はあの日この部屋の屋根を叩いた雨だれの音にあふれている」(マジョルカの冬)かなりの道程を嵐の中、徒歩で戻ってきたサンドの愛にも深く驚嘆しましたが、このエピソードでも恋人を気遣うというよりすでに強い母の愛情を感じました(「陰陽師」の影響か母子モノに弱くなって、、、)。  

★中庭に面した回廊を歩く吾郎君  
これは薬局を出たところからショパンの部屋に向かう回廊です。はっきりいってありきたりの回廊なんですが、吾郎君が歩いているだけでなんでこんなに雰囲気がでるのだ!と感心しました。周りの空気をごく自然にまといつつ、より高い精神世界をその風景のなかに築き上げてしまう稲垣吾郎は本当に凄い役者です。  
余談なんですが、各部屋にいる監視員さんに吾郎君のことを聞いてみました。しかし残念ながら修道院の休みの時に撮影されたので誰も知らない。そこで持参の「ショパン」のビデオを監視員さんと鑑賞するはめに、、。「なんて綺麗な映像だろう、本物よりも映像のほうが綺麗」と大賞賛。さらに「彼はピアニストにしては、ずいぶんハンサムね」と言われたので「いや彼はピアニストではなくエンジェルボイスを持った歌手なのだ」と答えてしまいました。(文句のある人はどこからでもかかってらっしゃい!)

★マジョルカの旅:付録

○お勧めホテル Vistmar Valldemossa Hotel
世界のハネムーンホテル200の中に選ばれている4星ホテルで、有名レストランを併設しています。広大な敷地ながら部屋数はわずか20部屋、庭をゆくと、突端は展望台のようになっており、はるか眼下に地中海の夕焼けを望むことができます。(ここで「オレンジ」を合唱したのはうちの家族くらいだろう)ただし営業は2月―10月のみ。

○お勧めお土産
マジョルカというとドイツ人用ファミリーリゾートというのが一般的な印象。そのせいか海沿いのリゾート地に行くとドイツ人の好きな昆虫の標本が土産物屋にあります。そしてありました。あの「紫の蝶」が!まったく同じ種類の蝶です、ここの原産でもないのに、、、。
それから免税店で香水がヨーロッパ一安い。私はAzzaroのChromeとD&G(ドルチェ&ガッバーナ)のMasculine(いずれも男性用ですが、女性がつけてもOK)を購入しました。


☆パリ篇☆  

パリは紹介するところが多すぎるので、ここではちょっと見つけにくい「ルプロコップ」、「ロマンティック博物館」「カーブオージェ」の3箇所を中心にしました。他はほとんどが有名なところばかりですので、説明するまでもないと思いますが、一応出てきた順に場所をあげておきます。墓地や公園、音楽博物館以外は歩いて回れる範囲に集中しているので、是非歩いてパリの雰囲気を味わってください。

パリの旅の同行者はバイオリニストとしてパリで活躍(?)中の従妹に協力してもらいました。彼女はコンセルバトワールの卒業生でフランス語ぺらぺらなんで助かりました。

★旧コンセルバトワール(パリ国立高等音楽院):2bis, rue de Conservatire 9 e ショパンがパリで初めて住んだ家:27 Poissonniere Bd.2e サロンプレイエル(初コンサートを開いたサロン):16 rue Cadet 9e

★ルプロコップ(レストラン):13 rue de l’Ancienne Comedie 6e (地下鉄最寄駅はOdeon) tel:01 40 46 79 00 / www.procope.com
ここは有名な老舗レストランですが、料金も高くないし、味も良かったのでお勧めです。ランチ時は客が少ないためか一部のフロアしか開放されておらず、私達は「ショパンの間」では食事できませんでした。夜だとそこで食事が可能なので予約の時は「サロン・ド・ショパンで」と一言付け加えるといいと思います。  
さてお食事ですが、吾郎君が召し上がった「アンドゥイエット」はかつては貧しい人々が残り物の臓物を使って作った料理なので、一般人にはクセが強くて食べられないのは当たり前。吾郎君も仕事とはいえ、なんにでも挑戦させられて大変です。これは値段も一番安かったけど、私達はパスして、この店の自慢の魚料理にしました(う〜ん、ジビエでも良かったんだけど、、ねえ、監督?(笑)。
食前酒、ハーフボトルのシャブリ、メインとデザート、コーヒーで1人当たり6千円位でした。ソムリエがいかにも新人っぽい人で、開栓時にポンと音をたててしまいました。私は思わず「ソムリエ特別篇(98スマスマ)」の吾郎君を思い出し、苦笑してしまったのですが、(横目で見張っていた)支配人がすぐに私たちのテーブルに飛んできたので、あの新人君に悪いことをしてしまいました。

★ノートルダム寺院のほとりセーヌ河畔を歩く吾郎
ノートルダム寺院
シテ島を背景にセーヌに佇む吾郎(Pont des Arts橋)
夜のパリ:コンコルド広場、観覧車の前を通過する吾郎  
余談ですが、コンコルド広場に面して超高級ホテル『クリヨン』があります。吾郎君が審査員として出演した2000年初頭の「料理の鉄人SP」でフランス代表で参加したのがここのシェフです。

★コンコルド広場とシャンゼリゼ通りから凱旋門を望む夜景
このパリの夜景に溶け込むような吾郎君の絵も絶品でしたね。別にここでこの絵を持ってくる必然性はまったくないのに、、本当に何度も言います。「ありがとう日テレ!」
ただこの場所は交通量が多く、しかもパリジャンは運転が乱暴なので私は吾郎君が車にひかれやしないかとハラハラしてました。だって「陰陽師」の最終回でも博雅はひらりとよけているのに、晴明は道に落ちてた筵にけつまずいてたし、、(笑)

★ ルーブル美術館、早朝、ガラスのピラミッドの前で
館内をごらんになったあと軽いお食事にはカフェLe Café Marly(リシュリュー側)をお勧めします。外のテラス席からは吾郎君が立った中庭を見渡すことができ、特に夕暮れ時や夜景は絶品。業界関係者が打ち合わせに使うことが多く、スターや有名人にも会えるかも。

★ロマンティック博物館:16rue Chaptal 9e  (地下鉄Blanche)  
かの有名な「ムーランルージュ」があるピガール地区にあります。入り口がわかりにくいのですが、中はとても素敵なサロンで、ショパンやサンドのコレクションも多く見ごたえがあります。サンルームにはピアノを弾くショパンの美しい彫像があり、フォトジェニックスポットです。吾郎君が暴言(?)を吐いたサンドの腕は確かにたくましかった。

★ カーブオージェ(Cave Auge):116 Bd Haussmann(地下鉄St,Augustin)
tel:01 45 22 16 97
地下鉄駅を出るとすぐに角に薬局の目印(緑十字)が見え、その隣がワインショップです。店主のムッシューシパールはとてもいい方で吾郎くんを評して「キュートでエレガントな青年だったが、日本でも有名なのか?」と質問してきました。それに対して意地悪な従妹が「彼は6人組のアイドルグループの一員で一番人気のない奴だ。役者もコントも下手くそな踊りもする」とシャツのすそを持って「♪もっともっともっと〜♪」とやり始めたので、その後、おじさんとハンサムぞろいの従業員相手に吾郎くんがどれほどの役者で有名な人であるかをえんえんと講義させていただきました(おじさんは英語も堪能)。  
この問題の従妹は「若気の至り」で、93年の元旦スマコンに行ったことがあり、生で『音レンジャー』をみたことがあるというのが自慢。そりゃあ99年に初めて稲垣吾郎を知った私から見れば売って欲しいような記憶を持っているのです。ただしもう何年も日本に帰っていない彼女にとっての稲垣吾郎の印象は「木村、森といっしょに『Cry』を歌った時も口パクが一番下手くそだったメンバー」程度なんです(涙)。  
ところで吾郎君がおじさんと飲んだラフィットロッチルト1997(1435フラン=約2万円強?)も買いました(本当に金のかかる男にはまったもんだ)。吾郎君は日本のお友達へのお土産にシャトーマルゴーをはじめ高いワインばかり数本をご購入されたそうです。お土産にこの店のワインカタログをもらいましょう。

★夜のポンヌフ橋を渡る吾郎
Pont Neuf 背景はSamaritaine(パリのダイエー)

★マジョルカから戻ったショパンの住居: スクエアドルレアン9 Sq.d’oleans 9e

★音楽博物館(Musse de la Musique): 221 Av Jean-Jaure’s 19e (地下鉄Porte de pantin)
近年、再開発されたパリの新名所ラヴィレットにあり、音楽ファンでなくても楽しめる博物館です。この建物の反対側にコンセルバトワール(国立高等音楽院)が移転してきました。あのルヴィエ教授もそこで教鞭をとっておられます。ルヴィエ教授にお会いしたかったのですが、スケジュールの関係(来日していた)で無理でした。でも従妹の話だと、ルヴィエ教授は日本人贔屓の美形大好きなので、吾郎くんと会えて嬉しかったらしいです。従妹曰く、「確かにあの顔はニヤけてた!」

★ショパンの最後の家(ヴァンドーム広場)12 Place Vendome 1e
tel:01 44 77 24 00
ここは現在高級宝石店ショーメ(Chaumet)となっています。日曜閉店なので行けなかったのですが、2階にショパンの部屋(ル グランサロン)があり、予約すれば見学できます。ちょっと敷居が高いけど、、、。

★マドレーヌ寺院
表はギリシャ神殿のような立派な建物ですが、内部は電気代をケチっているのか壊れているのかいくつかシャンデリアが点いてなくて、、、暗かった。吾郎くんが撮影した時はシャンデリアも全部点灯してましたね。さすがに力の入れ方が違う。ここはビデオ撮影OKなのですが暗すぎてマリア様が取れなかったのが残念。すぐ近くにフォションがあるのですが、スミレの砂糖漬けは売ってませんでした。

★ペールラシェーズ墓地(地下鉄 Pere La chaise)
とてつもなく広いので最初、案内所で地図を入手してショパンの墓を探してください。

ここからは番組内にはでてきませんが、おまけとして、、、

★モンソー公園(地下鉄Monceau)
公園の一角、子供の遊び場になっているところにショパンとサンドの銅像があります。吾郎くんもここで撮影しましたが、排気ガスのせいか、あんまり像が汚かったのでここでの映像は使われなかったようです。しかし吾郎くんが立っていた場所から3メートルくらいのところに子供の遊具がいっぱいあって、子供がわいわい騒いでいるので、この環境でおすましして撮影というのもなんだか笑えます。吾郎君は確かテレビ誌で「中学生に囲まれた」といってましたよね?。

★エルメス本店(笑)
吾郎君が高いコートを買ったという超有名店。
マドレーヌ寺院とコンコルド広場を結ぶロワイヤル通りと交差するフォーブルサントノーレ通りにあります。この通りはいつも東洋人の女性観光客でごった返しているのですぐにみつかるはず。

★ノアンの別荘(Nohant)
今回は時間の都合がつかず足をのばすことが出来ませんでした。パリから約240キロ南に位置していますが、近くまで高速があるので車なら2時間30分くらいでいけるはずです。
パリ中捜しましたが、あの「スミレの砂糖漬け」はここまでいかないと入手できないそうです。ノアンはまた次の楽しみとして。

マジョルカ、パリのレポはこれで以上です。最後までお付き合いくださってありがとうございました。かなり急いで書いたので情報が間違っているかもしれません(特に外国語表記など)。ご旅行の際は案内書などで確認してから行ってくださいね。またいつか同じような企画で吾郎君が出演してくれることを願って、、、。

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