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'17年08月放送分 |
第260回放送 17.08.03 |
第261回放送 17.08.17 |
第262回放送 17.08.24 |
第263回放送 17.08.31 |
♪番組の説明 祝・7年目突入!!『ゴロウ・デラックス』とは…? SMAPで一番おしゃべり好きの稲垣吾郎がMCを務める業界唯一無二のブックバラエティ 毎週1冊(課題図書)、巷で話題の本からベストセラーまで様々なジャンルの本を深く紹介!! さらに、 大御所作家先生からまだテレビに出ていないニューキャラまで幅広いゲストをお迎えし、トークする番組。 |
第261回放送 '17.08.17 24:58〜 ゲスト:岩下尚史 【課題図書】「告白 三島由紀夫未公開インタビュー」 オープニング。 吾郎:こんばんは。 外山:こんばんは。さぁ、今夜なんですが、日本の文豪の素顔に迫る特別企画をお届けします。吾郎さん、解説者として番組でお馴染みのあの方が登場して下さいます。 吾郎:はい。久々にお会いするけれども、まぁ、今回の解説者には相応しい方ですよね。 外山:本当ですね。 さて、今回の課題図書は、「告白 三島由紀夫未公開インタビュー」。これは、最近(2017年1月)にTBSで故・三島由紀夫氏のインタビューが録音された磁気テープが発見され、それを書き起こしたもの。このインタビューは、1970年2月に行われたもので、亡くなる9ヶ月前のものだったことで話題となっているものです。 TBSで発見されたものであることもあり、今回のゴロウ・デラックスでは、本の紹介だけでなく、そのテープに録音された実際の故・三島由紀夫の肉声も放送されました。 吾郎:これはすごいことでしょう? 外山:でも、これ、見つかって最初は本当に三島の声なのかっていうのが分からなかったらしいんですけども、色々検証した結果、三島由紀夫のものだと分かった、本人と断定されたんですよね。 吾郎:なるほど。 外山:今回、その謎に包まれたテープ、借りてきました。実物を。 吾郎:本当ですか? 外山:はい。 吾郎:TBSだけに? 外山:そうなんです。 吾郎:TBSで発見されたから? 外山:はい。 吾郎:使える、みたいな?じゃぁ、ゴロウ・デラックスで? 外山:ちょっと特別に借りてきました。 その実物の磁気テープがスタジオに用意され、ここでゲストの岩下尚史さんをお迎えします。 外山:岩下さんは実際にこの音源はお聞きになったんですか? 岩下:はい。先日聞きました。 吾郎:びっくりしましたか、発見されたときは? 岩下:しました。三島由紀夫が亡くなってから、戯曲も小説も評論もインタビューも細々としたものも、決定版の全集に入ってますが、それでもう、全てだと思ってましたら、やっぱりこういう新しいものが発見されるっていうのは、まず、どんな事を言ってるんだろう?特に亡くなる9ヶ月前ですよね。それで聞きましたら9ヶ月後の思いを素直にその…、話しておりましたからね。 吾郎:ねぇ? 岩下:ですから、そういう意味でも非常に貴重なものだと。 吾郎:ちょっと早く聞きたいですね。 外山:そうですね。書き起こしたものは(課題図書で)読みましたけど、実際の声は初めてですからね。 で、テープの冒頭を少し再生。 このインタビューを受けている日の朝、今書いている小説が完成したということを語る三島氏の声が流れます。 吾郎:おお・・・こういう声をされてるんですね。 外山:ねぇ? 吾郎:この日は三島さんはどういう状況だったんですか? 岩下:あの・・・(この日に書き上げたという小説)『暁の寺』っていうのは、最後の代表作になる『豊饒の海 4部作』の3作目ですね、それを書き上げてこのインタビューを受けたということですね。 ちなみに、この4部作の最後の1冊『天人五衰』を書き上げた翌日に、三島は自決してます。岩下さんは、今回のインタビューを受けた時点で既に、三島は確実に決意していたのではないかと仰ってました。 吾郎:そう思いながらこれを(今回の課題図書を)読むとね。 岩下:若いときから、自分は四十五でもう、死んじゃうってことは、若いときから周りの人達には言ってたそうです。 吾郎:四十五でね。 岩下:はい。あの、随筆にも書いております。女は三十五までで、男は四十五までだというのが、三島由紀夫の若い頃からの思いだった。 吾郎:来年ですよ、僕、四十五だと。武士の方みたいな、武士みたいだね。 岩下:はいはい、そうですね。 吾郎:生きながらにして、死に方を探してるみたいな。 岩下:そうですね。 吾郎:そういう、やっぱり、武士道精神みたいなものが似てるんですよね。 岩下:そうですね。美学でしょうね、はい。本人の。つまりそれは、自分は天才だから、その、天才と美に仕えなければならないっていう一生でしょうね。 吾郎:すごいね。 外山:いや・・・ ここで改めて三島由紀夫の生涯を振り返るVTRが流れます。 1925年、東京都新宿区に生まれた三島由紀夫の父は官僚であり、厳格な家庭に育ちます。ただ、体が弱かったこともあり、本を読んだりしていて、そこで文章を書くことについても才能を開いていきます。 1941年 16歳のときに処女作『花ざかりの森』を執筆。1947年、大学を卒業した後、大蔵省で働き始めますが、1年足らずで退職し、小説家となります。 やがて、1949年に書いた『仮面の告白』がヒットし、『潮騒』(1954年)、『金閣寺』(1956年)、『鹿鳴館』(1957年)、など話題作を出していきます。 この中で、岩下さんは『潮騒』を書いた頃が、三島由紀夫の作風が変った時期だと言います。 吾郎:何か、世界一周でギリシャかなんか行かれて書かれたって書いてますよね、このインタビューにも。 岩下:太陽・・・それまでは夜の世界だったの。 吾郎:そっかそっか、変ったんですね。 1952年、三島は世界一周旅行に出ており、エーゲ海の太陽、ギリシャ彫刻の裸体の美しさに魅了されて帰ってきました。 吾郎:どう変わったんですか? 岩下:それまでの日本の小説家とかインテリっていうのは、やっぱり、夜の世界で知性ばっかりだったでしょ? 吾郎:ああ。 岩下:ただ、ギリシャに行って、太陽の下でギリシャ遺跡の対称…ね。外形の美しさに目が開いて、それで、あんまり知性だけに偏るよりは、ちょっと変ったっていうか、元々持ってたらしいんだけどそういう思いは、だけど、段々(作品として)形に出てきたんではないですか? そうして、30歳のときにボディビルを初め、肉体改造をし、自分自身を変え始めます。 ただ、そうして作風が変ったことで、作家としては売り上げが落ちていくという結果に。 岩下:ただね、私なんかはそんな、やっぱりいいんですよ、『午後の曳航』なんて(作品としても)良いんですよ!吾郎さん、泣きますよ。 と、吾郎さんに問いかける岩下さん。 吾郎:本当ですか? 岩下:四十過ぎたら。切実よ。 吾郎:そ・・・そんなに言われたら(←若干、引いてる)。 岩下:えっ、吾郎さん、独り者ですよね? 吾郎:はい。 岩下:あのね、大体、あんたも夜帰ったら、家で泣いてるでしょ? 外山:あははは(笑) 吾郎:はいはい。 岩下:ね、砂を噛むようですよね、四十過ぎた男は。 吾郎:四十過ぎて、男で、一人だと、夜帰ったら泣いてますよ、大体。 って、適当に岩下さんに合わせて言ってる??(汗) 外山:(笑) 岩下:泣いてますよ! 吾郎:みんなそうですよね。 岩下:そうですよ。 外山:へぇ〜 岩下:私は16年泣いてるんだから。 吾郎:あははは(笑) 外山:ええ!!! 結局、どういう部分で泣けるのかはよく分からず話が終了しました(汗) 話が少し脱線しましたが、音源の続き・・・死生観について語った部分が流れます。 インタビューの中で、「肉体が出来たらね、この肉体の中に死がちゃんと座る場所を見つけた」と語ってます。それまで死というものは体の外にあったものだが、完璧な肉体が出来上がったことで、死ぬ準備が出来た、ということを意味するようです。 その言葉の意味を紐解くために、晩年に書かれた随筆『太陽と鉄』の一節を吾郎さんが朗読しました。 三島が言う死は、ただの死ではなく、『浪漫主義的な悲壮の死』、悲劇に準じて死ぬことを指します。 外山:自分の中では完璧に納得できてる? 岩下:うん、できてる。だからそういう準備も、小説と共に“楯の会”も組んで、着々とやってたわけですから。 吾郎:まぁ、でも、それが全てなんだね。生まれたときからのというか。 岩下:そう。 吾郎:じゃなかったら、これ(三島の作品,生涯は)全部無いんだよ。死に拘ってなかったらね。 岩下:そう。大体、どれもこれも(作品は)死ってことがテーマなんですよ、どの小説もね。 という重たい話になったところで、吾郎さんってば; 吾郎:どうしましょうか、岩下さん、僕たちは。 と、ここにきて急にお悩み相談になるゴロウ・デラックス。 岩下:もうね、男が年を重ねるっていうのは、なかなかキツイ。 吾郎:いや、僕、最近、ちょっと思いますよ。 岩下:ね。体力的な事じゃなくて。 吾郎:年取ったらさ、もっと簡単に生きれたり、子供の頃描いていた40代なんて、もう、全て何か理解して、悟って余裕があって、 岩下:わかる! 吾郎:余裕があって、生き方も分かってて、 岩下:分かる! 吾郎:人に優しくて。 岩下:分かる!!! 吾郎:そうやって生きていけると思ったら、どんどんどんどん、何か、幼くなってきちゃうんです。 岩下:うん。 吾郎:どんどんどんどん頼りない、自分自身が。 岩下:そう。気付くのね。 吾郎:最近、気付くんですけど。 岩下:だからそれ、行動しなきゃダメですよ。 吾郎:本当、最近、ここ1年ぐらいですよ。 ここ1年ぐらいと言われると、やっぱり関連付けて聞いちゃうのだけど・・・。 吾郎:それは行動すればいいんですか? 岩下:行動する以外に無いですよ。 吾郎:なんですか、行動って、じゃぁ。 岩下:三島由紀夫は勇気を持ってこういう行動をした。吾郎さんは勇気を持ってどう行動するかですよ。 吾郎:それ、探してくださいよ、一緒に。 岩下:何であたしがあんたの行動を探すのよーー!! 外山:あははは(笑) 吾郎:(笑) 岩下:あたし、自分のことで頭いっぱいだよ、本当に! 吾郎:何かこう…、本当に強靭な心と肉体になってくると思ったんですけどね、40代ってね。 岩下:あんた、黙って寝てて、そんなもんね。修行が何でも、お稽古が大事なんですよ。自己改造… 吾郎:自己改造! 岩下:はい! 吾郎:僕は、僕の自己改造はじゃぁ、自分で気付かなきゃいけない。 岩下:当たり前です。いくらあんた、あたしのところ夜這いに来て教えてくださいってったって、それは… 吾郎:行かない!! 外山:あははは(笑) 岩下:えっ?! 吾郎:行かない!! 岩下:行かない、行かないって…。私は唇は許しませんけど、耳たぶは許す。 吾郎:(笑) 外山:何を言ってるんですか、もう…(笑) 吾郎:今度、耳たぶ貸してください。 岩下:右側がより感じるんです。 吾郎:(笑) って、折角の三島特集、こんな終わり方でいいのか?(笑) (17.08.27 up) |
第260回放送 '17.08.03 25:08〜 東山彰良「僕が殺した人と僕を殺した人」 オープニング。 吾郎:こんばんは。 外山:こんばんは。さぁ、今夜なんですが、2度目のご出演です。前回は直木賞を受賞されたときにご出演してくださった。 吾郎:そうなんですよ。あのときは、ほら、この方のお話はあまり聞けなかったというか。3人でいらしたんですね、又吉(直樹)さんと、羽田(圭介)さんと。2人ともちょっとアクが濃かったんで。 外山:(笑) ゴロウ・デラックスって、最近恒例となった芥川賞/直木賞受賞作家さんをタイムリーに呼ぶというのは素敵な企画なのですが、一人の作家さんについてじっくり話を聞けないというのが悩ましいところ。しかも、東山さんは、又吉さん&羽田さんと同時だったこともあり、話を伺うという意味では勿体無いなと思った記憶があります。 なので、今回は早速ゲストをお呼びして、話を伺います。 改めて紹介すると、本日のゲスト東山彰良さんは2015年、『流』で第153回直木三十五賞を受賞され、そのときにゴロウ・デラックスにも来て頂いてます。 外山:あれからもう2年ですか。直木賞・・・ 東山:2年ですね。はい。 吾郎:その後、お会いすることはありますか、あの…、羽田さんと。 東山:羽田さんはですね、去年、あの、僕がまた別の作品(『罪の終わり』)で“中央公論文芸賞”というものを頂いたんですけど、その授賞式のときにお会いしました、会場で。 吾郎:何か、息子さんたちが羽田さんのファンなんですって? 東山:(笑)。そうなんですよ。 その授賞式の会場で、東山さんの息子さん2人と、羽田さんが写っている写真が画面に出ます。この2人の息子さん(大学4年生と高校2年生)、東山さんの本は全く読まないのに、羽田さんの本は面白いと言って読むんだそうです。 さて、今回の課題図書は「僕が殺した人と僕を殺した人」ですが、前回、出演の際にあまり詳しく話が聞けなかったということもあり、まずは直木賞受賞作である『流』についての話を伺います。 『流』は1970年代の台湾を舞台にした話。主人公の秋生(チュウシェン)が、中国大陸で戦争を生きぬいた祖父・尊麟の人生をたどるという青春物語。 この小説、主人公=東山さんの父親、祖父=東山さんの祖父をモデルに書かれたもの。東山さんのご両親は、中国大陸出身で、戦争で負けて台湾に移り住み、東山さんも台湾で生まれてます。 吾郎:お父さんが『流』のモデル・・・ 東山:そうですね。本当は祖父の物語を書きたいなぁ、と思ってたんです。祖父っていううのは、抗日戦争(日中戦争)を戦って、その後、(内戦で)共産党と戦って、それで負けて台湾に移ったんですけれども、祖父の物語を書くと、恐らく1930年代とか40年代、中国大陸を舞台に戦争という背景で、結構壮大な物語になりそうな気がしてたんですけど、それを書き切る自信が無くて、じゃぁ、まず、父親をモデルにして、僕がよく知っている台湾を舞台に1作、書いてみようと思って書いたのが『流』です。 吾郎:この、『流』の書くときには、じゃぁ、いろいろと取材で実際に中国に行かれたりとかして? 東山:はい。あの、家が中国の山東省というところの出身なんですが、たぶん2009年ぐらいに、まだ当時ご存命だった祖父の兄弟分に会いに行ったんですよ。そん時で90歳超えてたと思うんですけど、父親に今、会いに行って話を聞かないと、多分、聞けないぞということで、父と2人でそのおじいちゃんに会いに行って、名前もそのままで、経歴もほぼそのままでっていうのを作品には反映させました。 外山:そうだったんですね。ね、前回そういう話を詳しく伺えなかったので。 吾郎:そうそうそう。羽田さんと又吉さんとね。 外山:そうそうそうそう(笑) 吾郎:ペンネームも、その、何でしたっけ、山東省から・・・ 東山:あ、そうなんです。ひっくり返しただけ。 外山:へぇ〜!!! 作家デビューするときに、中国名でいくか、日本人風のペンネームをつけるかを考えたときに、書きたいジャンルがエンターテイメントだったこともあり、中国名だと重くなる印象になると思い、日本風のペンネームをつけようということで、自分に縁のある山東省から『東山』としたんだそうです。 その後、家族で日本に移住された東山さん、5歳のときに移住してきたということもあり、日本語はいつの間にか話せるようになっていたと。逆に、今も日常会話程度の中国語は話せるそうですが、小説を書くほどのレベルでは無いと自分では仰います。小説ならではの、雰囲気や格調は漢字からは読み取れないと。 さて、今回の課題図書は『僕が殺した人と僕を殺した人』。1984年の台湾に親友だった4人の13歳の少年たちが、30年後、そのうちの1人が全米を震撼させた連続殺人鬼として逮捕される。誰が、なぜ殺人鬼になったのか・・・なぞを巡る青春ミステリーです。 まずは吾郎さんが、小説の冒頭、登場人物のうち3人が親友になるきっかけである喧嘩の場面を朗読。 吾郎:(この小説では)1984年にさぁ、13歳・・・そんなに僕らと世代が変らないじゃない。 外山:変らないですね。 吾郎:僕らの子供の頃とは全然、環境が違うよね。 外山:流でもそうだったし、こっちでもそうだったんですけど、人はもちろんなんだけど、風景?景色がものすごく浮かんでくるじゃないですか。 吾郎:ああ、それはすごく感じますね。 東山:はい。 吾郎:何か、匂いとか湿度とか。浮かびますよね。 外山:はい。 東山:そう言って頂けると光栄です。 雑誌の特集や旅行番組などでもよく出てくる台湾ですが、観光では知る事ができない文化や情景がこの小説にはたくさん出てきます。 東山さんが取材で撮影された写真から、台湾についての紹介を。 物語の舞台となった台湾・廣州街、登場人物の一人:ユンは、両親が牛肉麺屋(ニュウロウメン屋)を営むアガンとダーダー兄弟の家に居候しているという設定。そのイメージ風景の写真を紹介。 吾郎:イメージとしては屋台みたいな感じ。外で食べてる? 東山:そうですね。外でも食べられるし、中でも当然、座る場所があって、台湾、暑いんで結構、外で食べる機会が多いかもしれないですね。 その、牛肉麺(ニュウロウメン)ですが、文字通り牛肉が入ってる麺。スープには八角などが入ってる五香が入ってるそうで; 吾郎:いいじゃないですか。僕、あの…、火鍋とか好きです。 東山:ああ、それに近い! 吾郎:ね、薬膳鍋。あれは何かいろいろと、ほら、薬膳が入ってる・・ね? 東山:入ってます、入ってます。八角とか。 吾郎:八角とかさ。 外山:(失笑) 吾郎:あれ、いいよね? 外山:なんか(笑)、吾郎さん、そういうの好きそう。 吾郎:何笑ってるの? 外山:だってさ。 吾郎:だって、薬膳、体に言いじゃん。 外山:薬膳ね。 吾郎:汗かきたいんだよ。 外山:ああ・・・ 吾郎:デトックスしたいの! と、話がそれちゃいましたが(笑)、東山さんが住んでいた廣州街は、戦後、中国大陸から渡ってきた中国語を話す人々(外省人と呼ぶそうです)が多く住んでいる街。登場人物のユン,アガン,ダーダーの3人はこの外省人たちが住むエリアに住むと設定としていたのに対して、もう一人の親友となるジェイは戦前から住む“台湾人”のエリアに住むという設定。その両者には、互いに相反する感情が存在していたような時代だったそうな。 今度は、その台湾人エリアの人たちが食するものとして登場する猪脚麺線。こちらは豚足が入った白濁スープで、悪い事があった場合に、これを食べて厄を落とすとされてきた食事だそうです。 続いて紹介されたのは、朝食。朝食は自炊をせずに外で食べるのが当然というのが台湾。東山さんのお気に入りメニューは、揚げパンと熱い豆乳で、パンを豆乳につけて食べるのだそう。ただ、味は二の次とおっしゃっていたので、日本人の口に合うのかどうか微妙なのかもしれませんが、生まれ育った食べ物ということで特別なんだそうです。 実際にスタジオに用意され、吾郎さん、外山さんも一緒に食べてました。吾郎さん曰く、「僕、好きですよ、面白い」と表現してました。給食のような懐かしい味だと。 番組で最後に紹介されていたのは『ポエ』という台湾の信仰。三日月形をした2枚の赤い木片が登場。2枚を投げて、裏と表に分かれたら神様へのお伺いが通ったと判断するんだそうです。 そのポエを使うシーンを外山さんが朗読。 とても大事なことを決めるシーン。 外山:「人を殺していいですか?」って、こう、神様にお伺いを立ててるっていう。 吾郎:ここはやっぱりちゃんと信じるんですね。世の中のことは信じてない、大人の事も信じてない、友達同士だってね、いろんな確執があるのに、これはちゃんと信じるんですね。 東山:台湾はですね、僕の印象なんですけど、物語の中では1984年なんですけど、例えば現代、日本と同じようにスマホ文化なんですよ。けれどもスマホを使ってる子達もお寺とかに行ったらこれを投げて、お伺いを立ててますよ。 吾郎:へぇ〜。 東山:そういう土地柄だろうと思います。彼らが13歳、13歳で占いで物事を決めるっていうのも、この年齢だからこそ出来たのかなぁ、なんていう風に自分では思ってますね。 吾郎:う〜ん。 外山:そういうことで13歳・・・。 吾郎:そうだったんだね。 そうして、吾郎さんもポエをやってみます。取れ高も十分なので(笑)、そろそろ番組を終わってもいいかどうかを神様にお伺いを。 吾郎:夜も深い時間なので、収録、終わらせてよろしいでしょうか? と吾郎さんが投げると、一発で“聖ポエ”(裏と表)が出ました。一発で聖ポエが出ることはあまり無いんだそうですよ。 それでいきなり番組終了になったので、慌てて登場してきたのが山田君。東山さんとポエが組み合わさったハンコでした。 (17.08.06 up) |