ゴロウデ・ラックス'17年07月放送分

 

'17年07月放送分
第251回放送
17.06.01
第252回放送
17.06.08
第253回放送
17.06.15
第254回放送
17.06.22
第255回放送
17.06.29



♪番組の説明

祝・7年目突入!!『ゴロウ・デラックス』とは…?
SMAPで一番おしゃべり好きの稲垣吾郎がMCを務める業界唯一無二のブックバラエティ
毎週1冊(課題図書)、巷で話題の本からベストセラーまで様々なジャンルの本を深く紹介!!
さらに、
大御所作家先生からまだテレビに出ていないニューキャラまで幅広いゲストをお迎えし、トークする番組。


 

第259回放送 '17.07.27 24:58〜
日野原重明さん追悼

一礼。

吾郎:こんばんは。ゴロウ・デラックスです。2017年7月18日、聖路加国際病院名誉委員長の日野原重明さんがお亡くなりになりました。享年105でした。この番組にも2年前にご出演して頂き、色々なお話を聞かせて頂きました。
外山:105年という長い歴史の中で、日本の医療会のために尽くし、数々の改革を成し遂げた方です。さらにその人生の中には、日本の歴史的事件にも大きく関わり、社会に対しても影響を与えた方でした。
吾郎:今夜は日野原重明さんを偲んで以前ご出演して頂いた際の未公開部分の含め、105年の生涯を振り返りながらお送りいたします。まずはこちらをご覧下さい。


改めて、日野原さん出演の放送日は2015年10月22日。課題図書は『10月4日 104歳に 104句』という詩集でした。絶えず新しいことにチャレンジし続けた日野原さんでしたが、この課題図書は98歳から始めた俳句をまとめたもの。
ここから番組では、その放送の再編集された映像が流れます。

吾郎:どのぐらいのペースで作られてるんですか?
日野原:そうですねぇ。毎日3句か4句か5句。1日にですね。今まで俳句なんかねぇ、作ったことなんか無かったんですよねぇ。「俳句でもやってみようかな」っていう気もちになったんですよね。

それから頭の中にどんどん俳句が浮かんでくるようになったんだそうです。

   ヘリに乗り マンハッタン見下ろす 百二歳

当時、ヘリコプターに乗ろうと思ったものの、年齢制限が99歳までだと言われた日野原さん、そこで「実際は102歳ですが、まぁ、99歳にやって下さい」と電話でお願いすると、「いいですよ」と返事があり、乗ることができたそう(汗)。

また、課題図書から少し離れて、サービス精神旺盛な日野原さんは、スタジオで用意された聴診器で、吾郎さんと外山さんを診察する真似事もして下さいました。


ここで、日野原さんの半生を振り返るVTR。

  1911年 山口県山口市に生まれる。

1914年が第一次世界大戦が勃発するという、歴史的に見るとそんな激動の時代に、6人兄弟の次男として生を受けました。

  1932年(20歳) 京都帝国大学医学部に入学。
  1933年(21歳) 大病を患い1年間休学。
  1941年(30歳) 聖路加国際病院に赴任。

外山:日野原先生、永六輔さんの主治医だったこと、覚えてます?
日野原:ああ、あります。
外山:ねぇ?
吾郎:そうなんだ。
外山:永さんがね、小さい頃、体が弱かったんですって。で、入院してて、日野原先生に見ていただいたっておっしゃってました。
日野原:そうです。
吾郎:へぇ〜。
外山:よかった、本当だったんだ。
日野原:色んな人を見ていますね。

  戦後 渡米。
  1954年(43歳) 帰国後、日本初の人間ドック開設メンバーとして奔走。

人間ドックも、今は当たり前すぎてずっと昔からあったような気になってしまいますが、その日本での開設に関わっていたのも日野原さんなのです。

吾郎:僕も人間ドック行ってます。
日野原:ああ、そう?
吾郎:年に2回、ちゃんと行ってます。
外山:えっ、年に2回?!
日野原:ああ、長生きするよ!
吾郎:年に2回の方がいいって言われて。


ここで、一旦;

吾郎:日本の医療界に革命を起こした日野原先生、その後、彼の考え方を根底から変える出来事に遭遇します。それは日本中を揺るがしたあの事件でした。

という吾郎さんの本日の番組用のナビゲーションが入り、日野原さんの半生について紹介したVTRは続きます。

日野原先生が実際に遭遇した2つの事件。
1つ目は1970年に起きた『よど号ハイジャック事件』。そこに日野原さんは乗客として乗っていたんだそうです。一度は死を覚悟したという日野原さん、番組内では当時の映像も流れ、解放後、インタビューに答えているようすも映されてました。そして、そのときに思った事・・・

日野原:ああ〜〜〜〜、私たちの命はですね、与えられてんだから、これからの私は誰かのために尽くそうという風に思ったのがこのよど号における大変な収穫だったんですね。
外山:その場にいらっしゃった?!
吾郎:計り知れないよねぇ・・。

そして、もう一つ日野原さんが関係した歴史的事件が1995年の『地下鉄サリン事件』。このとき日野原さんが院長を勤める聖路加病院にも大勢の患者が搬入されてきました。ここで、日野原さんは、一般の外来を全て断り、逆に搬送されてくる全ての患者を受け入れたのです。

日野原:普通はね、救急の患者があるとね、5人は入れるけど、もう、いっぱいだからよその病院に行けって言うんですよ。私はみんな入りなさいって言った。大変だと思ったけれどね、私は聖路加国際病院を、新しい病院を建てた(改築した)時に、ラウンジの壁やらチャペルの壁の中にね、酸素を送る線と吸引する線を入れた。その線を壁の中に入れたんでね、それでサリンの手術ができたんだね。


1996年、当時は成人病と言われていた病気を、『生活習慣病』と呼称を変えたのも日野原さん。確かに大人になったからなる病気というわけではないですもんね。


番組では日野原さんのご自宅にもお邪魔しました。さすがの豪邸・・・。いや、そりゃそうだわな。
ご自宅には104歳のお誕生日会をやった後の飾りや花が部屋の中に。また、文化勲章を貰った時の写真なども飾ってあります。また、家の中には膨大な量の本が。公的機関の資料棚よりも多いぐらいの量が並んでます。ご自身が書かれた本や、日野原さんが好きな人物にまつわる本などなど、半世紀以上かけて収集した資料が並んでます。


そして、スタジオに持ってきて頂いたのは、10年間の予定を書く手帳。2013年から2022年まで、今の時点で10年先まで予定が入っているのは素敵ですが、中には『美智子皇后様お誕生日お祝いの会』なんていうのも書かれています。毎年必ず呼ばれるんだそうです。

吾郎:いいですね、何か10年後まで約束が自分自身ともできている。
日野原:そうですよねぇ。
吾郎:なんか、元気になるし。生きる糧になるし。


さて、そんな日野原さんの今後は・・・・?

日野原:次のオリンピック(2020年)のときには私は109歳になる。私はオリンピックでも聖路加国際病院ではね、色んな仕事があって、選手村ができるし、選手のことの健康管理やなんかをしなくちゃならないんですが、だから今からね、109歳までね、何とか元気で。で、109歳のオリンピックのね、大切な仕事を成就するってことがあるんでね。でもね、オリンピックでね、私の生涯がですね、終わるんでなしに、まだね、関所であってゴールはもっと先にある。そういう意味でね、非常に先のことをいつもいつも考えながらね、生活をしている。
吾郎:大切ですね・・・

一体、日野原さんの人生のゴールとはどういったものだったのか・・・番組最後には、2001年に日野原さんが書かれた本『生き方上手』を吾郎さんが朗読。『自分の寿命を自分のためだけではなく、他人のために使ったか』・・・如何に他人のために生きる事ができるか、それが日野原さんの生きがいであるというようなことが記されていました。


番組の最後には再び吾郎さんと外山さん。

吾郎:日野原先生は105年という自らの人生をもって長寿・健康を体現された医師でした。
外山:先生のように常に前向きに、そして健康を意識して日々を生きていきます。
吾郎:今夜はゴロウ・デラックス特別編をご覧頂きありがとうございました。 日野原先生、どうか安らかにお眠り下さい。

一礼。


(17.07.30 up)



 

第258回放送 '17.07.20 24:58〜
ピエール瀧「ピエール瀧の23区23時」


今日はいきなり外ロケ。しかも夜です。

外山:さぁ、吾郎さん、今夜はロケです!
吾郎:あはは(笑)。外の吾郎は久々。
外山:本当ですね。時刻はですね、9時ちょうどですね。今日は(渋谷区)初台にやってまいりました。

って言われても、東京人しかわからない(T_T)。・・・って、この番組は基本、関東ローカルだからいいのか、別に。

吾郎:いいですね。心落ち着きますよ。初台は僕があの…、生まれて初めて一人暮らしをした場所なので。
外山:うーん。
吾郎:このあと、だって、僕の初めて一人暮らししたマンションにも・・・
外山:えっ、行っていいんですか?
吾郎:行けるんでしょ、何か。
外山:あ、ちょっと連れてって下さい。覚えてます?だって随分前でしょ?
吾郎:いやいや、だってもう、庭ですから。


今夜のゲストはピエール瀧さんで、課題図書は「ピエール瀧の23区23時」。散歩が趣味のピエール瀧さんが、東京23区を全て夜に散歩したという内容を綴った体験記。

吾郎:すごいテーマですよ。
外山:ねぇ?本当に歩いてましたからね。
吾郎:で、僕、本当に夜散歩も好きだし、もちろん、朝散歩も好きなんですけど、散歩も大好きなんで。そういう気持ちは分かるなって思いましたし。
外山:うん。
吾郎:はい。ただ、まぁ、この方には敵わないですよね。
外山:すごいですね。全部行ったんですもんね。じゃぁ、ちょっと・・・
吾郎:どっかいらっしゃるんですよね?
外山:瀧さん、そうなんですよ、いらっしゃる・・・あ・・・あははははは(笑)

今夜のゲストのピエール瀧さん、普通に道の植え込みに腰をかけて座ってます。これって、今夜のゲストとは思えない登場の仕方(笑)

瀧:あ!どうも。こんばんは。
外山:こんばんは。
吾郎:どうも。普通にいますね。

聞くと、目の前のお店の看板に『ライス大盛無料』と書いてあったのが気になったんだそうで。。。って、何のこっちゃ。

改めて、今夜のゲストはピエール瀧さん(50)。ピエール瀧さん自身、19歳で静岡から上京したときに最初に住んだ土地が初台だったそう。なんとなく共通点があるようなのです。その共通点である初台を今夜はゴロウデラックスのメンバーでお散歩です。

早速歩き出しながら;

外山:まず、吾郎さんが住んでた辺り。行ってみましょう。
瀧:家あんのかね。当時、***?
吾郎:いやもう、20歳の時、住んでたんで。20年以上行ってないです。
瀧:今、あるかどうか、まだ・・・
外山:瀧さん、何年前ですか?
瀧:俺は1986年に上京してますから、もう、30年前ですかね。だってあそこの・・・
吾郎:新国立劇場・・・
瀧:あそこが昔、病院の跡地でした。
外山:へぇ。
瀧:病院の跡地で、何か本当に何か、やばい感じの絶対ここ、お化け出るでしょ、って感じのとこだったの。
吾郎:病院だったんですか。
瀧:そうそうそう。

東京はよくわからなくても、新国立劇場は『象』を観に行ったので、それだけで何となく分かった気になったりするかなσ(^^;)

その後も、このお店は当時はあったとかなかったとかそんな話をしながら更にお散歩は続きます。

瀧:まぁ、この辺は入れ替わるだろうねぇ。
吾郎:入れ替わりますね。あ、(当時もドラッグストアの)『セイジョー』はあった!
瀧:あはは。あった。セイジョーはあった。そういうの嬉しいよね。
吾郎:嬉しい!・・・あ、ビデオ(レンタル)屋があった、ここに。
外山:へぇ。
吾郎:インド料理(のお店)になっちゃったけど。
外山:えっ、ここでビデオ借りてたんですか?
吾郎:借りてた。だからセイジョーのこと覚えてるんですよ。
瀧:あ、なるほどなるほど。



と、散歩ばかりしているとゴロウデラックスではないので、しっかり朗読もあります。でも、さすがに今回の朗読は、課題図書に掲載されてる写真をバックに、吾郎さんの声だけ別録した映像を流してました。


一方で散歩は続きます;

外山:本当に23区、行ったんですよね。
瀧:本当に行った。
外山:すごいですよね、あれね。
瀧:俺、北区とか歩いた事なかったもんね。
吾郎:僕、今でも散歩好きなんですよ。
瀧:あ、本当に?
吾郎:今、普通に朝とか、早朝散歩が好きで。はい。
瀧:なるほど。だいぶもう、あれだね、おじいちゃん方面に・・・
吾郎:そうそうそう(笑)
外山:(吾郎さんは)朝、5時ぐらいから歩いてるんです(笑)
瀧:起きちゃって?
吾郎:はい。大好きなんですよ。
瀧:それはそれで気持ち良さそう。
吾郎:でも、夜いいですね。朝でしょーって思ってたんですけど、普通に考えて。
瀧:夜の散歩の利点は、暗いんで、様子がわかんなくなってくるの、周りの。
外山:はい。
瀧:半径50mぐらいしか見えないから。
吾郎:それが予期しない出会いがあるんですね。
瀧:そうそうそう。
吾郎:普段は明るかったら曲がらない道も曲がれちゃう。

暗くてよく見えないというのが、それが面白いんだと瀧さん。


散歩にいい季節は、やはり春。夏の夜もいいと言いながら、冬は無理と断言されます。真冬、2月にやろうとしたものの、寒くて1月下旬〜2月はやらないことにしたんだそうな。歩く気が失せるのに、辛い思いしてやってもね(苦笑)

途中、車が沢山止まっている空間が。駐車場?と思いながら、その場に居た男性に声をかけると、タクシー会社なんだそうです。朝8時出勤で朝方4時まで働いているんだそうな。この男性は、深夜割り増し料金になる時間帯(21時半以降)の前に少し休憩しているところだそうです。

そんな風に会話をしながら、更に歩くと『朝4時半より飲めます』という看板が掲げられた飲み屋が。どうやらタクシー会社で働く人が、仕事終わりに飲むようなお店なんじゃないかとピエール滝さんは推察してました。
たぶん、実際にそいうことなんでしょうね。


更に歩いていくと、今度は本当の駐車場で、滝さんが変な箱が置いてあるのを見つけちゃいました。
それをスタッフさんに開けさせる吾郎さん。まぁ、確かに怪しいけど、酷いなぁ(笑)。ちなみに中身は工具類。忘れ物なのか何なのかよくわかりませんが、中身を見ると、工具にはイケマさんという名前も書かれてたりしてました。そこでピエール滝さん、スタッフから紙とマジックペンをもらって、『イケマさんへ。忘れちゃイケマせんよ!!』というメッセージを箱に入れて、元通りに置いて、3人は去っていきました。
【後日談】
当然、その後、どうなったかは気になるのですが、番組スタッフが待ち伏せしたのか、イケマさんのコメント取りに成功。最初、メッセージを見て「すげーイタズラされてんな」と思ったそうです(笑)。


さて、ようやく吾郎さんが初めて一人暮らしをしたマンションに近づいてきました。

外山:もうすぐですか?
吾郎:いや、まだもうちょっと。
瀧:(通りにコインランドリーがあって)使ったんじゃないの、コインランドリー?
吾郎:(当時も)あったけど、コインランドリー、使ってない(笑)
外山:ほらぁ〜。行かないんです!
瀧:本当?!
外山:だって、吾郎さん、行かなそうだもん。
瀧:使った事無いの?
吾郎:うん。あの、そのマンションに、元々、ビルドインで付いてる・・・
瀧:ああ・・・
吾郎:乾燥機つきの洗濯機があったんで、“ドイツ製の”。

と、嫌なやつ風に言う吾郎さん。

外山:ほら、20年前にドイツ製ですよ。
瀧:アイドル、すごいねぇ〜。
吾郎:まあまあ、結構なマンションなんですよ。
外山:へぇ〜
瀧:じゃぁ、あ、そうか、電気とか水道とか止まった事無いでしょ?
吾郎:無いです、無いです。
瀧:流しで体洗った事?
吾郎:無いです!なんてったってアイドルなんで。

高校生の間は合宿所に住んでいた吾郎さん、そこを卒業(?)しての一人暮らしとなります。

吾郎:高校生の頃、合宿所にいて。
瀧:ああ、そっかそっか。
吾郎:ジャニーズの合宿所が原宿にあって。で、まぁ、卒業してから、ま、一人暮らししようかな、、、
外山:と思って。。。
吾郎:17〜8歳のときに。で・・・うち(実家が)板橋だし、何となく新宿とかこっちよりになっちゃう。世田谷とかって感じにはならなくて。実家にも近いし。
瀧:はいはい。
外山:え、間取りとか家賃はいくらぐらいで?
吾郎:まぁ、ワンルーム、で、まぁ、少し広めではあったんですよ。
外山:高かったですか、家賃?
吾郎:家賃、いくらだったかなぁ・・・でも、15万ぐらいはしたかも。
外山:えっ、当時で?
吾郎:(うなづく)
外山:えっ、当時で?
瀧:12畳とか?
吾郎:そう。30何平米とかあった。
瀧:ああ、そうか、10畳以上…
吾郎:うん。

なんて言いながら歩いているうちに、目的地が見えてきたようです。

吾郎:見えてまいりましたっ!こちらですねぇ。。。

とはいえ、ご近所様の迷惑になってはいけないと、完全に映像がぼかされてしまい、どこだかさっぱり分かりません(汗)。

瀧:なるほどぉ。デザイナー感出てんね。当時、ここ、超最新だったでしょ?
吾郎:当時、超最新です。

さて、そのマンションの中に入らせていただきます。普通なら一般住宅に入っちゃダメでしょうけど、管理会社の協力で、特別に入口部分だけ、中に入れて頂きます。

吾郎:うわぁ〜、変ってないわぁ〜。
瀧:えっ、これ、何?
外山:えっ?こんなになってんの?

と、びっくりの瀧さんと外山さん。そして入って真っ先に目に入ったのが自転車。

瀧:チャリ(自転車)売ってんの?
吾郎:あの、ここ自転車無かったんです、当時は。自転車置き場じゃなかった。オシャレなエントランス。

当時のエントランス部分の写真が画面に映されます。中央が吹き抜けになっていて、上に上がっていく螺旋階段があったり。1階の中央には結構、背の高い植木の作品(←何と言ったらいいの?!)が配置されてます。

瀧:あ、すごいじゃない。こんな感じ?
吾郎:そう。
瀧:すごいもんね。(中央が)吹き抜けになって、上まで。
外山:オシャレ。
瀧:上から割って、ジャッキーチェンが落ちてくるやつ。

確かに映画のシーンで出て来そうな造りです(笑)

吾郎:エレベーター使ってなかったんです、僕、2階なんで。(螺旋階段を登りながら)あ、この手触り変ってない、当たり前だけど。
瀧:何か、甦るものある?
吾郎:はい。
瀧:ちょっと一人にしてあげよう。

と、一人にされたら、階段部分の手すにひじを掛けて、モデル立ちする吾郎さん。やりたかったのねん(笑)。いや、これがまた似合うからいいんだけどさっ!

そして、完全にモザイクがかかってますが、吾郎さんが当時住んでいた部屋の入り口まで行ったりしてましたが、これ以上はNGですよね。仕方ないので、管理会社さんから頂いた中の写真で紹介を。

吾郎:部屋によって、みんな形が違うんですよ。
瀧:ああ、各部屋ね。
吾郎:鏡張りの部屋であったりとか。前面鏡張りとか。こっち側も鏡張りのすごい部屋だったんですよ。
外山:えっ、鏡張りだったんですか、吾郎さんの部屋。
吾郎:僕の部屋、まぁまぁ鏡ありましたね。
外山:鏡だって、もう、、、落ち着かない。
瀧:ラブホテルしか頭に浮かんでない(笑)。今、言おうと思って引っ込めたでしょ?
吾郎:だけど、ちょっとラブホテルっぽいよ。根本的に…。
瀧:その感じはあるよね?
吾郎:うん。
瀧:90年代の…
吾郎:90年代のこの…。
外山:いやぁ〜、素敵だわ。吾郎さん、何かこの…、イメージどおりな感じで。
吾郎:格好いいなぁ、って思っちゃって、何か背伸びしたんですよ。

そして、そのマンションの駐車場、そこに行ってみると、コインパーキングになってました。当時はマンション専用の駐車場だったそうですが、今はマイカーを持つ人が減ったのか、コインパーキングになってました。
中に入っていって;

吾郎:僕、そこに停めてましたよ、車。僕ね、ここに車停めてました、初めて買ったマセラティ。
瀧:ええ!!!!!!
外山:(笑)
瀧:初めて買った車、マセラティなの!?!?
外山:もう、アイドルですからね。
吾郎:すいません。
瀧:マジで?!
吾郎:あそこにマセラッティ置いてた、僕。
外山:へぇ〜。
瀧:マセラッティ、ガって停めて?
吾郎:はい、マセラティ ダーザガート・スパイダーってやつを。
瀧:あははあ(笑)。マジで?
吾郎:すいません。(←本当に申し訳無さそうにしている)
瀧:俺、原付だったなぁ。

ついでに、もう一箇所、その駐車場が空くまでの間、半年間借りていた駐車場を見に行く為に、再び散歩開始。

瀧:ここ、何年住んでたんですか?
吾郎:でも、2年ぐらいですね、はい。
外山:えっ、それで初台からは出ちゃったんですか?
吾郎:初台からは出て、えっと、また渋谷区内ですけど、代官山の方に行ったりとか、その後、参宮橋の方に行ったりとか。
外山:へぇ〜。瀧さん結構長い間住んでたんですか?
瀧:初台?初台はええ・・・1年ぐらいか。姉ちゃんと住んでたんです、ここ。
外山:ああ〜
瀧:姉ちゃんと住んでて、そっから姉ちゃんとセパレートして、僕は隣の駅の幡ヶ谷ってとこに移動しました。

そうして、その駐車場(マンションの1階って感じの場所ですが)にやってきましたが、シャッターが下りていて、中の様子は全く分からず。でも、まだその場所も残っていたようです。


この後は、ちょっと距離はあるようですが、ピエール瀧さんが初台で30年前に住んでいたアパート(西新宿方面)に行ってみることに。

途中に、電気グルーヴを結成したデニーズがあったりと、なじみのあるエリアになってきました。それでも、かなり風景が変っていたようで、地図アプリを頼りにしながら、ようやく到着。

瀧:ここじゃねーかな?
外山:ここ????
吾郎:駐車場になっちゃったパターン??
瀧:そんな気がする。
吾郎:覚えてます?
瀧:曲がってからそんなに歩かなかったから、(住んでいたアパートがあったのは確かに)ここだわ。
外山:へぇ〜
瀧:2階の一番、こっち側(道路側)だったから、この辺に階段があって、タンタンタンタンタンって上がると、ここだった気がする。角部屋。今は都庁が見えるけどね、あのとき無かったからね。ここだわ。駐車場になってた。あはははは(笑)
吾郎:うわぁ〜。ちょっと見たかったですけどねぇ。
瀧:いやでも何か、久しぶりに来たけど、なんだろう・・・すげー差を感じる。あはははは(笑)
吾郎:・・・(汗)
瀧:だって、(吾郎さんのマンションは)しっかりあって、あんなんだとねぇ。でもね、久しぶりに来れて、ちょっと嬉しい。
吾郎:ね。いや、だってさぁ、当時の自分からするとさ、20年経ってさ、これって自分がやらせてもらってる番組でさぁ、仲間たちと行けるなんて思ってないじゃない。
外山:ねぇ。


今回はロケですが、それでも最後に山田君のハンコはあります。今回は凝った作品になってましたが、どうやら結構、時間があったようです。予想以上に長い間、お散歩してたんでしょうね。ならば、楽しい時間が過ごせたようで何よりだわ(笑)



(17.07.23 up)



 

第257回放送 '17.07.13 24:58〜
南谷真鈴「自分を超え続ける」

オープニング。

吾郎:こんばんは。
外山:こんばんは。さぁ、今夜は史上最年少づくしの冒険家の方が登場です。
吾郎:はい。そういえば、以前、史上最高齢で、こう…大冒険した三浦(雄一郎)さんがゲストにいらしたじゃないですか。
外山:そうですね。あの方は最高齢。
吾郎:最年長。
外山:今回は最年少ですから。

今夜のゲストは史上最年少で『探検家グランドスラム』を成し遂げた人物。・・・って、そもそも『探検家グランドスラム』とは?という話なのですが、エベレストを含む7大陸最高峰を盗聴し、および南極点・北極点を踏破することを言うのだそうです。この『探検家グランドスラム』、世界でも50人ほどしか達成していない偉業なんだそうで、今年の4月、今夜のゲストがその偉業を史上最年少で達成したというのです。

その人物とは、南谷真鈴さんという女性(現在20歳)で、2015年、高校生の頃から計画を初め、2年4ヶ月で達成してしまったのです。

そんな南谷さんが出された本が「自分を超え続ける」という今夜の課題図書です。

吾郎:もう、すごいしか言えないですよね。
外山:こういう方がいらっしゃるんですね。
吾郎:19歳ですよ。
外山:ねぇ?
吾郎:19歳で世界7大陸最高峰。
外山:そうそうそう。
吾郎:月9とか初めてやったのが19歳ですよ。
外山:へぇ〜。
吾郎:楽しみですね。

ってな流れで、今夜のゲストを南谷さんをお呼びします。

外山:山に登ってるという風には思えないようなしなやかな感じで、ねぇ?
吾郎:そうですよ。さきほどそこでご挨拶させて頂いたら、『ウォ〜、吾郎さん、やっぱりウェービーヘアー!』って言われました。
南谷:あははは(笑)

と、天真爛漫な感じの南谷さんですが、改めてその業績をVTRで紹介。

  1996年12月20日生まれ 現在20歳
  ■ 探検家グランドスラム
    →世界最年少で達成
  ■ 7大陸最高峰制覇
    →日本人世界最年少・世界2位
  ■ エベレスト登頂
    →日本人最年少

と、最年少づくしなのですが、その行程も;

  2015年1月 アコンカグア(南米大陸)
  2015年8月 キリマンジャロ(アフリカ大陸)
  2015年12月 ビンソン・マシフ(南極大陸)
  2016年1月 南極点
  2016年2月 カルステンツ・ピラミッド(オセアニア)
  2016年3月 エルブルース(ヨーロッパ大陸)
  2016年5月 エベレスト(アジア大陸)
  2016年7月 デナリ(北米大陸)
  2017年4月 北極点

と、非常に短期間に踏破されてます。特に2016年は登頂している山の数も多いですが、これらはもちろん、1日で登頂できるはずもないので、戻ってきたらすぐに次の山に向けて出発というような、過密スケジュールをこなしてました。

外山:そんな頻繁に登ってて逆に大丈夫なんですか?だって、ちょっと間を空けないととか、そういうのが無いんだ、山は?
吾郎:だって、これ(課題図書)にも書いてあったけど、今僕らがさ、急に飛行機でさ、エベレストまでさ、このまま連れて行かれたらさ、すぐ死んじゃうでしょ?
外山:うん。
吾郎:ってか、エベレストじゃなくてもダメだよ。
南谷:今の空気の3分の1なので、今の吸っているペースの3倍ぐらいでずーっと息してないといけない。寝る時も。
吾郎:・・・(>_<)
南谷:一番のトレーニングはやっぱり山を登ることであって。あの、高度順応っていうのは、こう…山を登って、今、東京みたいなところに登ってしまうと一週間で高度順応の、まぁ、順応したのが徐々になくなってしまうので。
外山:そっか。
南谷:次から次へと山を登っていたら、気付いたらこのペースで登っていたっていうのも2年間で終わった理由でもあるんです。


まず、この中で、『カルスツテンツ・ピラミッド』・・・オセアニアの最高峰(標高4,884m)で、最もテクニカルだと言われている山。どうテクニカルなのかというと、とにかく岩。地面から岩が生えているような、そんな山なんだそうです。実際にそのときの映像が映されてましたが、吾郎さん、「恐い」を連発。

吾郎:これさ、下見たらさ・・・(映像を見て)ああもう、絶対無理だ。
南谷:あははは(笑)
吾郎:絶対、無理!!

中には岩と岩とをロープで繋いで、そこを綱渡りして歩くような場所もあります。

吾郎:恐くないんですか?
南谷:恐いですよ。
吾郎:これなんか、マンガマンガ!ジャッキーチェンの世界!

いわゆる登山のイメージとは掛け離れた映像に;

吾郎:でもなんか、マリオとか、テレビゲームの世界だよね?

と、吾郎さん。テレビゲームでは死なないけど、実際には命懸けの世界です。

ここで山田君がやってきて、南谷さんが登山に使用する道具を持ってきてくれました。実際にエベレストに登ったザック(リュックサック)と装備一式です。ピッケルや凍傷を防ぐためのブーツ、ヘルメットや更に・・・と色んな道具が出てきますが、説明が難しい道具(何だったんだろう)が出てきたときには;

南谷:今度、山登ったときに見せてあげますよ。

と(笑)。永久に教えてもらえそうにはないですねwww


更に、登山の際の食量について。1日の食事例の現物をスタジオに用意されてます。

  ・ごはん茶碗一杯
  ・卵焼き
  ・パンにバターひとかけら
  ・エナジードリンク3リットル
  ・エナジーバー10本
  ・辛ラーメン乾燥したもの2つ
  ・ビーフジャーキー1袋
  ・サラミ5枚
  ・チーズ紙コップ1杯
  ・エナジージェル2つ
  ・エナジーグミ2つ

・・・と、外山さんが説明している声に被って、「おいしいじゃん」と吾郎さんの声。早速食べてるよ(笑)。

吾郎:エナジージェル、おいしいよ!
南谷:結構、カフェイン入ってるんですよ。何かもう、飴1つで足りないとシュンってなっちゃうんですけど、(エナジーバーは)1個食べただけで、あと1時間半はOKみたいな。
吾郎:ポパイだ、ポパイ!
外山:ねぇ?!


次は南極点に到達したときの話を。当初は南極点に行くつもりはなかったようなのですが、同じ南極大陸にある『ビンソン・マシフ』を登頂した際に、「南極大陸にいるんだし、南極点に行かないと、このチャンスは一生無いかもしれない」と思ったそう。そして;

南谷:南極点に行った後に、『あれ、北極点も行けば、探険家グランドスラムが達成するじゃないか?!』って思ったんです。
吾郎:どうせなら、(渋谷で)ハチ公も見たからドン・キホーテも寄って行こう・・・?
外山:ふふふ(笑)。でも、その感覚がすごい。
吾郎:あ、だったら、中目黒のドン・キホーテも行ったら、渋谷のドン・キホーテ全部行ったことになるみたいな。
外山:あははは(笑)。何でドンキなんですか?!
南谷:(笑)
吾郎:そういう感じだよ、ノリ的には。

南極点に到達した際の映像は、先ほどの岩山とは大違いで、こちらは360度の雪原。全く違う冒険ですね。


そもそも南谷さんがなぜ、このようにエベレストを目指すようになったのか・・・。

南谷さんは、父親の仕事の関係で生後1年目から海外生活をしており、4年に一度は国を変え、2年に一度は学校を変えるという生活でした。中国のある地域では、反日教育を行っているようなところで生活したこともあるようで、「自分って誰なんだろう」「日本人って何なんだろう」と思うことがよくあったそう。

南谷:そんな中で自分の中のアイデンティティがどんどん失われていった。

そんな気持ちになっていたときに、香港の授業の一環で山に登り;

南谷:山は私にとって自問自答する場でもあって、もう、登りながら1歩1歩、山頂めがけて登るわけじゃないですか。自分の心の中の大きな山も一緒に登れるような気がした。私の足が自分の靴に入っているところが居場所なんだっていうことを教えてくださった先生のような存在なんです。


そうして、いつか必ずエベレストに登ることを心に決めた南谷さん。だが、両親の離婚により17歳で日本に帰国。その際に、人にコントロールされるのではなく、自分で自分の人生を設計しないといけないと思い、エベレストに登るという夢を実現させるべく、それを『プロジェクト』という形にしたんだそうです。
いや、もう、すごいとしか言いようがなく・・・。



外山:もう、本当に大変でしょ。いろんな挑戦を次々達成していった南谷さんですけれども、ほっとする場所というのがやっぱり自宅だということで、何と、お宅にお邪魔させて頂きました!ありがとうございます。
南谷:ふふふふ(笑)
吾郎:あのさ、これ、スタッフ、間違えてない?どさくさに紛れてない??


とある1ルームマンション?アパート??の一室ですが、モデルルームのようにきちんと整理され、家具が置かれたお部屋です。部屋の中にはエベレスト登頂の際の証明書やトレーニング用の道具、もちろん、登山道具も置かれてます。でも、部屋ではゴロゴロ寝てるのが楽しいと。そういいながら、実際にベッドに潜るサービスまで披露して下さいました。


吾郎:かわいらしい。可愛い!そのギャップが。魅力がぎゅっと詰まってました。
外山:本当、かわいらしい。
吾郎:このギャップがすごいです。
南谷:本当におっしゃってますか?!
外山:思ってますよね?
吾郎:本当に思ってるよ。
南谷:嬉しい〜♪
吾郎:本当、本当。
外山:嘘つけない。
南谷:わかってますよ、いて座なんで。
吾郎:そうそうそう、同じだから。


さて、20歳でグランドスラムを達成した南谷さん、今、何を思うのかを書いた部分を朗読。
登山というチャレンジにより、弱い心をどんどん分厚くしていったという南谷さん。弱い自分も強い自分も全て受け入れて、心から泣いて、心から笑っていたいと言います。

吾郎:そして、今が。
外山:自分って何だろうって言ってたけど、「自分になれた」っていう。
吾郎:自分になれたんだったら、今、もう、プロローグじゃない。これから始まるんじゃない。
南谷:そう。ふふふふ(笑)
外山:ねぇ?
南谷:そうですね、その通り。
吾郎:楽しみだよね?だってまだ、20歳だし。
外山:本当。
吾郎:ねぇ。もう、お父さんの気持ちだよ。
外山:あははは(笑)
南谷:あははは(笑)

最後の山田くんのハンコは、南谷さんが山の上から手を振ってるというコラが入った作品でした。


(17.07.16 up)



 

第256回放送 '17.07.06 24:58〜
家田荘子「孤独という名の生き方」


オープニング。

吾郎:こんばんは。
外山:こんばんは。さぁ、今夜なんですが、こちらに並んでいる作品(極道の妻たち他)の著者の方が来て下さってます。
吾郎:はい。ノンフィクションの作家さんですよね。僕、何回か番組でご一緒させて頂いたことがあるんです。
外山:あ、そうですか。
吾郎:はい。面白いロケをしたことがありまして。
外山:へぇ〜。


今夜の課題図書は、『孤独という名の生き方』。家田荘子さんの著書です。

吾郎:正に、僕たちのことですね!
外山:あはははは(笑)

ということで、その家田荘子さんを今夜のゲストとしてお呼びします。家田さんといえば、何といっても、映画“極道の妻たち”の原作者というイメージが強いですね。
ちなみにオープニングで吾郎さんが話をしたように、番組で何度かご一緒しており、最近だとこの枠の前進のマイ・フェア・レディでご一緒したことがあります;

吾郎:ゲストに来て頂いて、ロケだったんですけど。歌舞伎町のディープな夜を、何か、探検する、みたいな。
家田:中華料理頂きましたねぇ。
吾郎:そうですね。まぁ、あと、ドンキホーテに行ったりとか。
外山:あ、そうですか。
吾郎:面白いロケだったんですけど。はい。


まずは、家田さんがなぜ作家になったのか?
1982年、20代のときに、女優出演した映画作品を一人で売り込み取材記者としてスカウトされるところからスタートします。

家田:(女優としては)色気と身長が足りないって言われて、なかなかプロダクションがとってくれなかったので。
吾郎:あ、プロダクションがなかったから自分で?
家田:自分で売り込んでて、その果てに雑誌社に行ったんですけど、何が流行ってんの?って聞かれたんですよ。少女売春ありましたし、薬物もありましたし、そういうことを喋ったら、「それ書いて」って言われたんですよ。風俗書く人がいなかったんですよ、当時。
吾郎:しかもまだ、20代でしょ?

そんな流れで、1986年、同じくまだ家田さんが20代のときに、『極道の妻たち』を出版。もう、これは代表作ですよね。

吾郎:これ、20代だったんですね!
外山:私もこれ、びっくりしました。
家田:まだ、23〜4の頃。
外山:ねぇ?


暴力団抗争が激化する状況で、女性目線で抗争を描くことを思いついた家田さんは、暴力団幹部に時間談判し、泊り込みで取材を行うことを決意されます。

家田:1年8ヶ月取材期間があったんですけども、全国レベルで(暴力団を)取材していたので、1つのところだけ行ってたわけじゃなかったんですよ。全部(の暴力団に)住み込みしてると、胃痙攣と神経性胃炎で、髪の毛白髪になって、後ろハゲちゃったし。
外山:えっ!?それは気を遣ってというか…?
家田:抗争の最中ですもん。どこからピストルの弾が飛んできてもおかしくないんです。
吾郎:そういうの、日本ですけど、そこまでですか?
家田:あの当時は全国で抗争が起こってて、火炎瓶投げ込まれたりとか、ダンプカーが突っ込んできたりとか、いろんなことがありました。

それでも途中で止めようと思わなかったのは、“愛した男がたまたま、極道だった”という台詞を聞いたときに、この言葉を世に出したいと思ったから。そのためには“連載”が必要であり、多くの取材を重ねる必要があったとおっしゃいます。


続いて、1991年、30代になったときには、今度はエイズをテーマにした小説『私を抱いて そしてキスして』で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されます。こちらも、エイズという病気に関して、恐がられ、世の中が偏見を持っていた時代。それをある意味、正しく世に伝えたのが家田さんの小説であったとも言えます。当時の旦那様が転勤で一緒にアメリカに行った際に、アメリカではエイズがとても身近なことに驚き、そこでボランティアをして、真摯に相手の感情と向き合いながら取材をされました。

吾郎:そういう取材じゃないとそこまでのことっていうのは…
外山:そうですねぇ。
吾郎:うん。受け取れないよね。こっちもね。自分もそうやって身を削って。
外山:そうですよ。本当に向き合わないと話してくださらないと思うし。
家田:そうですね。


1998年(40代)には、『三浦和義氏からの手紙−[ロス疑惑]心の検証』を出版されます。
そもそもは、三浦和義という人物に対する興味から、たまたま顧問弁護士が同じだったことで、その弁護士さんに「どういう人なの?」と聞いたところ、「自分で手紙書いてみたらいいじゃん」と言われたのがきっかけだったそうです。
ただ、本にはしてないと。手紙の中には『この言葉さえ無ければ…』というものがあり、家田さんとしては、本に書いていくことはどうしてもできなかったんだそうです。今の世の中だと、というか、吾郎さんのファンをやっていると、記者って都合のいいところだけを拾って書くのが当たり前なのだと思ってしまうところがありますが(汗)、そこの家田さんの信念は素晴しいですね。

家田:この言葉さえ無ければ・・・と思いながら書きたくないので、書かない。
吾郎:その場合は書かない。
家田:はい。
吾郎:その中でも何か救いになる光があればいいなぁ、と思って行かれるんですか?最初はだって、怒りの方が強いじゃないですか?
家田:あの…、“なぜ(こういう事件を)したんだろう”というところから始まりますよね。それで、あの、そうせざるを得なかった。人殺しを、人を傷つけることをしてはいけませんけども、そうせざるを得なかった理由を聞きたいと思うんですよね。



さて、ゴロウ・デラックスという番組ですので、今回は作家さんとして出演いただいてますが、家田さんは作家だけでなく僧侶という肩書きもお持ちです。2007年に修行をしてその肩書きを頂いたそうです。僧侶になったからといって、作家としてのどこに目をつけるかと言う物の見方は変ってないそうです。


そうして、僧侶になられてから出版した本の1つが、今回の課題図書でもある『孤独と言う名の生き方』。孤独と上手く付き合えない現代人に対し、孤独との向き合い方を指南する一冊です。

吾郎:外山さん、孤独を感じるときはありますか?
外山:病気になったりとかして、2日とか、人と話さないと、ちょっと寂しいな、と思いますけど。2日ぐらい経たないと・・・(笑)
家田:私、一週間平気!元々口数好くないので、一週間ぐらいは平気で。
吾郎:朝ごはんとか1人ちょっと寂しくない?
外山:朝ごはんね。朝ごはん言いますよね、吾郎さんね。
吾郎:朝って食卓、家族でしてたイメージが強いから。
外山:ああ〜。みんなでね。
家田:朝ごはん、作られるんですか?
吾郎:はい。作りますよ(笑)。
家田:すごいですね。
吾郎:うん。作ってまでやってると、何か、意外と独りだとね。
家田:作るからですよね?
外山:ねぇ?
家田:ふふふふふ(笑)
吾郎:作った方が体にいいんですよっ!!
家田:そりゃそうですけど。
吾郎:あと(他に何か)ある?夜、独りで飲みに行くのも平気でしょ?
外山:平気です。
吾郎:家で独りでいるのも?
外山:基本ね、独りですし。
吾郎:独りで・・・散歩とか?
家田:それは当たり前・・・
外山:うん・・・
家田:(笑)
吾郎:いや、僕も独りで散歩してるんですけど。
外山:散歩ねぇ・・・
吾郎:何か、近所の公園、散歩するときぐらいは、まぁ、ちょっと、話し相手がいてもいいかなってたまに思うんですよ。
家田:そういうカップルもまた羨ましいというか、ほのぼのしていていいですね。
吾郎:そうですね。でも、たとえカップルであっても、僕の場合、散歩はできないんですよ。
外山:写真とか?
吾郎:そう。
外山:ああ!それは大変!
吾郎:お忍び旅行とか、お忍びレストランとかはあっても、お忍びお散歩って無いじゃん。
外山:そっか。
家田:お忍び旅行、行かれるんですか?

と、急に取材者としてのスイッチが入る家田さん。いいぞ、沢山聞いてぇ〜!!

吾郎:お忍び旅行は・・・最近は行ってないんですけどね(滝汗)。以前は行った事、もちろん、ありますけど。
外山:そうなんですか(笑)
家田:どういったところに行かれるんですか?あははは(笑)
吾郎:お忍び旅行は・・・取材上手いですね。
家田:あははは(笑)

と、この話はここで終了しちゃったよぉ(残念)



さて、朗読タイム。“孤独との向き合い方”について書かれている部分を吾郎さんが朗読します。
孤独というと、どうしてもマイナスのイメージで語られがちですが、独りで過ごすことの楽しさ、自分らしく過ごすことができる人のことではないかと述べられてます。

吾郎さんの周りにいるお友達(具体的に“ヒロ君とかしのぶ君”と名前も出してましたが)は、みんな独りでいることが上手なんじゃないかと。だから、吾郎さん自身もそういう人たちと付き合いやすいのかなと分析してます。

家田:孤独っていうのはね、社会生活を拒否しているわけでもないし、人と一緒に過ごす事から離れているわけでもなくって、社会生活をちゃんとした上で、それをしてるからこそ自分の時間を大切にできるということだと思います。
吾郎:そうなんですよね。別に世のなかを捨ててるわけではないんです。
家田:そうです、そうです。
吾郎:ねぇ?
外山:はい。
吾郎:何で孤独って言われちゃうんだろうね、そうやってね。ちょっとかわいそうな人って言われちゃうんだろうね。
家田:本当、何か色を付けられちゃいますよね。
吾郎:うん。

そこで更に、「特に女性はね」と、外山さんに話を振る吾郎さん。いや、それが『孤独=ちょっとかわいそうな人』って思ってる証拠なんじゃないんですか?!(笑)。そこに家田さんは「頑張ってる女性ほど言われませんか?」と上手く言葉を補っていらっしゃいました。

話はそれましたが、こうして家田さんが『孤独』というものに着目したのは、実際、孤独な高齢者が増えているという状況にあるということ。1週間誰とも話をしないというような人が沢山いるという状況で、そうして自分の殻に閉じこもると更に自分を追い込むことになるので、孤独という状態に追い込まれるのではなく、自分が掴んでいくものだと考え方を改めれば、孤独=寂しいという発想はなくなるのではないかと。

吾郎:そうだよね。孤独が嫌で孤独をやってるわけじゃないもんね。僕ら孤独を掴んでいるわけだもんね、どっちかっていうと。
外山:そうですね。そういう時間、どっちかっていうと独りでいる時間っていうのが何か、大切な…
家田:はい。
吾郎:人といるとマヒしててね。
家田:そうですね。
吾郎:何か、寂しくは無いというか、満たされることはあるんだけれども、あっと言う間に時間が過ぎてしまったりとか・・・
家田:はい。
吾郎:振り返る時間がなくなってしまったりとか。
家田:ストレスを背負ってまで皆と一緒のことをしなくても、自分の時間を大切にして、自分の行き方を大切にして、で、孤独の時間をどう利用して楽しんでいくかっていうことで、その人の生き方ができてくるんじゃないかなぁ、と思うんですよ。
吾郎:そうですねぇ。


そして、本の中には言われなき偏見、誹謗中傷に負けない考え方も。家田さん自身が4度の結婚をされていて、様々なことを言われたようです。そんな思いを外山さんが朗読。

吾郎:すごいですよねぇ、あの、ネットはねぇ。僕なんか、あんまり見ないですけど。
外山:繋がってるようで繋がってないような。
家田:浅いですよね?
外山:うん、何か・・・そんな感じがしちゃう。

x家田さんも4度結婚されているということは、3度離婚されてるということになり、今の旦那様とはいい距離感でお付き合いをしているんだそうです。山行や水行も一緒に行かれたりするそうですよ。


そんな家田さんが今、取材されているのは『熟年婚活』。ツアーバスに一緒に乗ったりするんだそうです。大阪と東京のツアーバスに乗ったそうですが、全く状況が異なるんだそうです・・・ええ、当方、関西人ですし、大体、言いたいことは分かりますよwww


この日のトークはほぼ一通り終わり;

吾郎:これからどうやって生きていきましょうかね、我々、ね。
外山:そうですね。
家田:え、もう、ご自分らしくそのままでよろしいじゃないですか。
吾郎:そうですね。まぁ、そうやってやってきてるから。
外山:(笑)
家田:それが一番、楽しいことじゃないですか?
吾郎:変わらないねぇ?


吾郎さん、9月9日以降も、変わらず・・・ね・・・



最後は山田くんのハンコ。今回のテーマが“孤独”だったこともあり、番組収録中、孤独に楽屋で家田さんの似顔絵ハンコを掘ってる山田君という作品でした。テーマが山田くんになってるよ・・・



(17.07.09 up)



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