ゴロウデ・ラックス'16年7月放送分

 

'16年7月放送分
第211回放送
16.07.07
第212回放送
16.07.14
第213回放送
16.07.21
第214回放送
16.07.28



♪番組の説明

祝・4年目突入!!『ゴロウ・デラックス』とは…?
SMAPで一番おしゃべり好きの稲垣吾郎がMCを務める業界唯一無二のブックバラエティ
毎週1冊(課題図書)、巷で話題の本からベストセラーまで様々なジャンルの本を深く紹介!!
さらに、
大御所作家先生からまだテレビに出ていないニューキャラまで幅広いゲストをお迎えし、トークする番組。


 

第218回放送 '16.07.28
永六輔さん追悼

今回の放送は、『永六輔さん追悼』です。番組冒頭、吾郎君一人がカメラに向かってメッセージ。

吾郎:こんばんは、ゴロウデラックスです。2016年7月7日、永六輔さんがお亡くなりになりました。享年83でした。この番組にも、今から2年前にご出演いただきまして、色々なお話を聞かせて頂きました。今夜は、永六輔さんを偲んで、番組にご出演いただいたときのことや、携わってきた様々なお仕事をVTRで振り返りながらお送り致します。まずはこちらをご覧下さい。


最初に流れたVTRは、2014年4月24日、外山さんが初登場の収録;

〔2014年出演時の映像〕

吾郎:いや、普段ね、なかなかテレビに出られないというお話を聞いたことがあるんですけど、今日はなぜ来て下さったんですか?

という吾郎君の質問に対して、外山さんが久々にテレビに出るというので、それを応援するためと。ここのやり取りは、当時の放送で流れてました。


永さんのラジオ・テレビとの関わりを人生を振り返るため、未公開映像も交えながら紹介されます。

1933年4月10日 東京・浅草の生まれ、中学生のときにラジオ番組に投稿し続けたのをきっかけに、放送作家としてスカウトされ、この業界に入ります。

〔2014年出演時の未公開映像〕

永:台本書くでしょ、GHQ、マッカーサー指令軍に持って行って、「これを放送していいですか?」って許可をもらって、それから放送するんですよ。
吾郎:それでフリートーク、できない・・・
永:これはダメっていう風に検閲されてる中に、僕が書いたコメントがいっぱい。
外山:あ、本当だ!×ってついてる!
永:昔、全部放送は台本があった。ニュースも、全部あったの。
吾郎:はい。
外山:話す内容も、フリートークも。
永:フリートークも全部。それを(台本を)届けて、「大丈夫です」ってハンコをもらって、それで放送してたの。フリートークっていうのを始めたのは、僕と(大橋)巨泉と前田武彦。
吾郎:そっか・・・検閲とか、色々ね、問題もあっただろうし、喋っていいこととか色々。許可もあったんでしょうね。


そして、あるときから、「台本を書くより自分で出た方が早い」と、自ら番組に出演するように。テレビもほぼ最初から関わっていらっしゃいます。


〔2014年出演時の未公開映像〕

外山:永さん、だって、さっき、照明がね、こんな明るいんだねぇ、って仰ってましたけど、テレビ、作った方ですよね?
永:ふふふ(笑)
外山:元々?
永:実験放送やってました
外山:実験放送ですよ。
永:テレビに出た人で、火傷した。
外山:火傷?
永:照明が熱くて。
吾郎:これが?眩しいですけど。
永:着ているものが、色が変っちゃう、焦げて。
吾郎:そんなに照明当ててたの?
永:そうしないと映らないの。
吾郎:あ、映画の照明どころじゃないんだ。
永:じゃない。
外山:へぇ〜。じゃぁ、危険じゃないですか?危険だし、倒れた人もいるし、救急車が来たときもある。
吾郎:そんな?!実験放送だね、本当に。
永:
外山:テレビの本放送が開始されたときっていうのは、どれぐらい(世の中に)あったんですかね、テレビってね?
吾郎:
永:テレビ?1000台無かった。あの、『夢であいましょう』で言うと、渥美清が出てるでしょう、黒柳徹子がいるでしょう、で、坂本九が出てるでしょう?ジャニーズも出てる。それ(番組を)やってるときに、自分の家にテレビがあったのは坂本九だけ。
外山:へぇ〜
永:あとは喫茶店に見に行った。
吾郎:タレントさんでも、テレビに出るようなスターさんでも持って無くて?1000台無かったの?
永:無かった。
吾郎:それでテレビやろうと思ったって、すごいですね。えっ、テレビがこんな当たり前の時代が来るっていうのは思ってたんですか、当時から?
永:いやぁ〜、思ってなかった。

その、先ほど話が出た黒柳徹子さんとの交流は長く;

永:僕、この番組以外で、出てる番組の1つに、『徹子の部屋』っていうのがある。この間、『徹子の部屋』行ったの。で、若いスタッフが来て、「永さん、すいません、あのカメラが永さんを映します。上(のランプ)が赤く点いてます。あれが点くと永さんが映ります」って僕に説明してるの。
吾郎:はい。
永:じゃぁ、チャック(黒柳さん)が怒ったのよ、穏やかな黒柳君が、「あなたこの人、テレビを作った人なのよ!」
吾郎:あはははは(笑)


一方で、永さんは作詞家としても活躍。作曲家の中村八大さんとヒット曲を量産していきます。中でも水原弘さんが歌う「黒い花びら」(1959年)は、第一回レコード大正を受賞するほどヒットしたわけですが・・・;

〔2014年出演時の未公開映像〕

永:局の前の喫茶店の2階で授賞式があったの。
吾郎:へぇ〜
永:コーヒーが出てるだけ。
外山:レコード大賞の1回目は?
吾郎:授賞式がステージじゃなくてカフェ?
永:カフェ。
吾郎:何か、ゴルフのコンペみたいな感じですね。
永:誰も世の中の人、(知らない)。今だからレコード大賞って分かるけど、1回目は誰も、何だかわかんない。
外山:それで、1回目は永さんが作詞なさった「黒い花びら」、水原弘さんの、が、受賞したんですよね?!
永:そう!
吾郎:永さん、すごいじゃないですか!
永:俺、すごいんだよ!
外山:あははは(笑)
吾郎:すごいんだねぇ〜。

(あれ、この最後の「すごいじゃないですか!」の文脈が、本放送と違ってる。)

1961年に発売された坂本九さんが歌う『上を向いて歩こう』は、永さんの作曲によるものです。


時代は飛んで、1990年に、ラジオ番組『土曜ワイドTOKYO 永六輔その新世界』がスタート。旅先での出来事を語るコーナーが人気でした。2000年からは、外山さんが永さんのラジオ番組に参加するようになり、ずっと相手役をしてました。

ここからは、吾郎君と外山さんの2人だけで、永さんを偲んでのトークに。テーブルの上には、永さんのお人形。

吾郎:さぁ、スタジオには、この、お人形・・・
外山:はい。
吾郎:これ、永さんのお人形ですよね?
外山:そうです。あの、永さんが、2月からかな、ラジオに出演されてなかったときがあるんですよ。そのときにずっとスタジオに(置いてあった)。着てるものも全く一緒です。
吾郎:うん。ねぇ、16年っていうすごい歳月なんだけど。
外山:毎週土曜日やってたんですけど、本当にお元気なとき、金曜日に打ち合わせして、土曜日に放送が終わってから旅に出て、で、また金曜日に戻ってきて土曜日放送してっていうのを、ずっと毎週。それは自分で見たものをラジオで話す。見てないものは話さないっていう考え方の方だったんで、その前の週にあったことを必ず次の週にラジオで話してくださった。
吾郎:そうなんだ。
外山:そうですね。
吾郎:じゃぁ、全部、ラジオのためだよね?
外山:そうですね。
吾郎:プロ意識ですよね。
外山:うん。

2010年、パーキンソン病と診断されます。

吾郎:当時はどういうご様子だったんですか?
外山:あの、よく、ろれつが自分で回らないな、どうもっていうのはあったみたいで。
吾郎:うん。
外山:「今、言ってること分かりますか?」って毎週、聞かれたりしてたんですよね。で、分かったんで、「分かりますよ」って言ってもやっぱり自分では、永さん、ものすごく早口だったし、せっかちだし、話好きだし、いっぱい話したいのに、「おかしいな」ってずーっと思っていらっしゃったみたいで。だから、病気じゃないかと思ってるんだけど、診断されるまではそれがわからないから、何かちょっとイライラしてる感じはしましたね。
吾郎:そっか、まだ診断される前だったんだ。
外山:診断される前からちょっとおかしいなと思っていらっしゃったみたいで。


〔2014年出演時の未公開映像〕

永:ろれつが回らなくなって、何言ってるか分からなくなる。で、そのときにラジオを辞めようと思った。僕はラジオから始めた人間ですから、ラジオを辞めようと思ったら、小沢昭一さんがね、「話があるから」って呼ばれて、でね、「絶対に辞めるな。ラジオ。口が回らなくたっていいじゃないか。そんなのどうでもいいものだ。あなたがマイクの前にいてくれれば、風情があれば、紙の音がしたり、咳の音がしたり。『あ、永六輔がマイクの向うにいるな』と思うことが大事なことなんだ」。言われたときに、僕は泣きましたよ。
吾郎:うん。でも、本当そうなんでしょうね。聞いてる方からすると。
永:そうなんですよ。
吾郎:何か、内容がどうだとかね、そういうことだけではなくてね、一緒に近くにいてくれる存在というかね。


再び、吾郎君と外山さんのトーク;

外山:リスナーの方、多分、永さんに手紙書いた事ある方だったら、必ず永さんからおハガキ来てると思います。
吾郎:返って来るんだ。
外山:はい。あの方必ず書いていらっしゃいましたから、返事を。

その数、年間、3万枚を超える年もあったそう。また、外山さんにもたくさん、手紙を書いて下さっていたそうで、今回その思い出の数々を、外山さん、スタジオに持ってこられてます。そのハガキを手にする吾郎君;

吾郎:本当だ!!家に送ってくるんだ!!
外山:送ってきてくださるんですけど。
吾郎:これはね、いつだ、2014年ですけども;
ロレツ・カツゼツ 信じられない。
タイトルの名前、あなたの名前にしたい。
弱気になってる。         えい
外山:ちょっと弱気になってるときもありましたね。
れいの 楽しかった
あなたにはよく効く薬です
      パーキンソン えい
吾郎:『れいの』?
外山:コーヒー屋さんなんですけど、一緒に行って。
吾郎:あ、でも、この間もその話してたもんね。
外山:うん。
吾郎:近くに行くコーヒー屋さんの。
外山:おそばやさんもよく行ってて。そうなんですよ。
吾郎:『れいのの珈琲、ごっつぁんです』。ごっつぁんしてあげたんですか?
外山:ここの珈琲だけは、永さん、ご飯食べに行くと必ずご馳走して下さるから、ここだけはいいですよ、って言って、行ったんですけど、そのうち永さんが連れてくる人の分まで私につけるっていう(笑)。何でだよ!っていうね、話だったんですけどね。

そして、今年、体調不良によりラジオが終了。

吾郎:そんときのね、ちょっと録音されたものもあるので。ちょっと聞いてみたいなと。2016年2月1日。
テーブルの上に置かれたカセットテープで再生。
外山さん、さすがに少し涙ぐんでました。

外山:私、すごい、このとき病室で、何ていうんだろうな、横になりながら、弱弱しいわけですよ。で、何か、泣きそうになっちゃって。だからちょっと冷たいんですけど、私の言い方が。泣かないようにしようと思って。そういうのも全部、分かっちゃうから、永さんに。
吾郎:まぁ、必死になんか、面白い事言って。
外山:そう。
吾郎:茶化してね、その場をね。
外山:あぁ、こんなに泣くとは思いませんでした、すいません。
吾郎:いやいやいやいや。それは当然というか、うん。(鳴くなってからまだ)3週間というのは、あまりにも、ねぇ?
外山:・・・。
吾郎:外山さんにとってはどんな人なんだろう。
外山:いろんなこと易しく教えて下さる方で、難しいことを易しくって、井上ひさしさんの(本に書かれていたように)。本当に色々と教えて下さったんで。面白く、深くとか。先生なんだけど、先生って感じでもないんですよね。何か、教えて頂きました、色々な事。


近しい人が亡くなったとき、どうすればいいか、『永六輔のお話供養』(2012年)より、永さんの言葉を朗読;
人の死は一度だけではありません。
最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき。
でも、試写を覚えている人がいる限り、
その人の心の中で生き続けている。
最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。
そう僕は思っています。
死亡診断書を書かれた人に僕はよく会っています。
雑踏の街や電車の中、劇場の遠い席などに、
その姿を見かけ思い出が蘇って来る。
僕がその人を忘れない限り、
その人は存在していて消えることはない。
僕たちは死者と共に生き、
自分が死ねば誰かの心に記憶として宿る。
でも、人は歳月の中で、亡くなった人のことを忘れがちです。
だから、ときどき誰かと個人の思い出を話したり、
街角でであったりしましょうよ。
それも供養のひとつだという気がします。



番組最後は、吾郎君と外山さんがカメラに向かってメッセージを;

外山:永さん、本当に長い間、お疲れ様でした。永さんと16年、本当にラジオさせて頂いて幸せでした。いつか、また会える日のためにですね、恥ずかしくないように生きていきます。
吾郎:はい、僕もですね、ええ、意思を受け継いで今後も外山さんと益々、素敵な番組を作っていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。ということで、今夜はゴロウ・デラックス特別編をご覧頂きありがとうございました。永六輔さん、どうそ安らかにお眠りください。


(16.08.14 up)



 

第213回放送 '16.07.21
さいとう・たかを「劇画1964」


今回はロケです。

とあるビルが立ち並ぶ街の一角。

吾郎:こんばんは、ゴロウデラックスです。
外山:こんばんは。今日はロケですね。
吾郎:夏のロケはだめですよ、僕は。
外山:(笑)
吾郎:覚えてますか、東京水路を行く?!
外山:暑かったですねぇ〜。
吾郎:ねぇ?この湿度が。
外山:そうですね、今日はちょっと。
吾郎:比較的ね、気持ちいいかもしれないですけど。

そんなとき、ビルの屋上で、ライフルを構える人影が。

吾郎:たまにはロケっていうのも気分転換にはいいんじゃないかな、って。

ライフルの銃口が吾郎の胸に向けられてます・・・。

外山:吾郎さん、危ない!!

響く銃声。

吾郎:(胸を押さえながら)あっ!!
外山:吾郎さん、大丈夫ですか!?
吾郎:だ、大丈夫だ。これのおかげで!

懐から1冊の分厚い本を取り出す吾郎君。

外山:課題図書じゃないですか!

しっかりと、本に弾がめり込んでる(風の)演出付き(笑)

吾郎:『劇画1964』。こいつに助けられたよ!よかった、ちゃんと読んでて。敵はあっちか!

そして、胸元から銃を取り出し、1発撃ち放つと・・・・銃口から

   『今日のゲストはさいとう・たかお先生!』

という垂れ幕が出てくるという茶番(笑)。Goro's Barを思い出す茶番だなwww


さてさて、改めて今夜のゲストは漫画家 さいとう・たかをさん。誰もが知る『ゴルゴ13』で有名な漫画家さんです。
以前、ビックコミックで、映画『十三人の刺客』についてコメントされてて、吾郎君のことを、吾郎君は知らないけど、役者として誉めてくれてたのを思い出しますが、ああ、あのとき買っておけばよかったかな。今、手元に資料がないわ・・・(汗)

だけど、今回の課題図書は、その超有名な『ゴルゴ13』ではなく、初期の『劇画1964』。
今回はスタジオではなく、さいとう・プロダクションにお邪魔します。ただ、このロケ日は『ゴルゴ13』の締切日だそうで、そんな緊張する日に、さいとうさんのお部屋にお邪魔します。

吾郎:失礼します。
外山:失礼します。
吾郎:初めまして、稲垣吾郎と申します。お願いします。

御年79歳、もちろん現役で漫画を描かれている、その作業場です。

吾郎:今、ちょうどされようとした作業というのは、これから何を?
さいとう:ゴルゴの扉(絵)をね、置いてあったんですよ。

作業を横で見せていただくと、簡単なコマ割がされた紙に、いきなりマジックでゴルゴ13の眉毛を描き始めました。

吾郎:下書きはされないんですね。
さいとう:そうなんですよね。私はもうね、20代ぐらいから下書きしない。表情が出なくなるんですよ、下書きをしたら。なぞることになるでしょ?
吾郎:はいはいはい。そういうもんだと思ってました。
さいとう:なぞるとね、表情が出てこないんですよ。まぁ、自分だけそう感じるのかもしれないけど。
外山:でも、頭の中でもう、出来上がってるってことですよね?
さいとう:いや、出来上がってるっていうか、まぁ、そうでしょうけどね。

いわゆる“ペン”ではないんですね。

吾郎:ゴルゴは今、何回目なんだろうね。
外山:ねぇ。先生、もう、48年?でしたっけ、ゴルゴ。
さいとう:そうですね。
吾郎:これが一番新しいゴルゴだし、それが見れてるっていうのはすごいことだよね。

やがて、15分後、扉絵のうち、ゴルゴ13のキャラクター部分が完成。タイトル等はざっくり書いて、あとは他のスタッフさんにお任せ。そして完成したのは、第563話の扉絵でした。ごろーさん?

吾郎:何か、変な都市伝説の噂で、繊細はもしかしたらゴルゴの目しか描いてないんじゃないかっていう、勝手な噂が流れてます。
さいとう:本当に、あの…、いつごろかそんなん言われるようになってね。まだそう言ってくれる人、マシですよ。まったく描かないとかね。本当に60年、ちゃんと描いてます。
外山:さて、改めまして、今夜のゲストです、ご紹介します、さいとう・たかを先生です。よろしくお願い致します。

作業部屋には、旭日小綬章の勲章も飾っておられ;

さいとう:最初、紫綬褒章を頂いたとき、テロリスト描いてて、国から何かもらえる事ないやろ!
外山:あははは(笑)
吾郎:(^^;)


現在、ゴルゴが月に2本、鬼平犯科帳を月に1本連載中のさいとうさん。これだけ描くとなると、もちろん、スタッフさんの力は不可欠です。
今度はそのスタッフさんの仕事場に移動。

吾郎:この漫画というのを分業制で、役割分担してっていうのは、分業制でそれぞれ分担を決めてやっていくのは、先生が初めてだっていうのは?
さいとう:そうですね。

さいとうプロでは、@原案・脚本,Aネーム,B人物・背景・小物という風に作業が分かれているんだそうです。

吾郎:それぞれにストーリーを考える方がいたりとか。
さいとう:そうそうそう。それを何とか早く作ろうと思て頑張ったんですよ。

実際、さいとうさんの漫画には、毎回、全スタッフさんの名前が掲載されてます。これをされているのは今でもさいとうさんぐらいなのかな?

吾郎:
さいとう:映画で言えば、私は脚本も携わってますしね、脚本兼、監督兼、主演、みたいなもんですね(笑)。

作業場には、所狭しと机が並び、それぞれの机で“分業”が行われてます。
たった1ページでも、さいとうさんがゴルゴ(主役)を描き、サブの方が脇役・男性キャラを、また別の方が女性キャラを、銃はまた別のスタッフ、更に背景も別のスタッフと、5人ほどが関わっていると。

さいとう:ドラマを考える才能と、絵を描く才能は絶対に別のもんだと。歌でもそうでしょう。
吾郎:役割担当ってね。グループでもそうですもんね。
さいとう:そうそうそう。
吾郎:何でもそうですよね。

そして、ゴルゴに出てくる小物で最も大事なのは『銃』。その担当の方の資料室に。

吾郎:うわっ!!すごっ!うわっ!!!

稲垣吾郎、興奮中(笑)

吾郎:すごいですね。僕、銃、大好きなんですよ。はい、本当に好きなんですよ、子供の頃から。
さいとう:もう、銃だらけですよ。

書籍の資料ももちろんですが、300挺のモデルガンが並んでました。

吾郎:僕、(ケースに)入ってるこの姿で分かりますから。『ワルサーPPK』だって。
さいとう:(笑)
外山:本当ですか?!
吾郎:はい。要するに、あの、007ですよ、ジェームズ・ボンド。
外山:へぇ〜。
吾郎:(フォルダーから出して)ワルサー(の刻印)
外山:本当だ。
吾郎:ゴルゴの銃ではないですけどもね。

まだまだ続く、吾郎君の薀蓄ww

吾郎:こんなのも懐かしい。これ、南部十四年式って、日本の…旧日本陸軍とかが使ってた、南部製鉄が使われてる。
さいとう:よー知ってるな、さすが。ふふふ(笑)
吾郎:そう。ドイツの『ルガー』とかがモチーフにされた銃なんですよ!(笑)
外山:詳しいですね(笑)。ずーっとこの調子で喋ってますよ、さっきから。
吾郎:懐かしいなぁと思って。モデルガンとか大好きだったので。
さいとう:ああ…。
吾郎:じゃぁ、これはこういう武器の担当の方がいらっしゃるんですね。
さいとう:警察からね、2度見に来ました。本物が無いかと思ったんでしょうね。
吾郎:でも、大丈夫ですね。これはたぶん、OKな範囲で。
さいとう:はい
吾郎:そっかじゃぁ、係りの方がいて、先生が銃とかあんまりっていうのをまたサポートされたりとかして。共同作業されてて。
さいとう:そうなんですよね。だから、彼が居なかったらうまいこといかないんですよ。



ここからはさいとうさんの半生を。生まれは和歌山、育ちは大阪ですが、10歳で美術コンクールで金賞に。 ただ、ご両親は絵を描くのは大反対だったようで、芸術ではご飯が食べられないというのが信条だったようです。

やがて、1948年、さいとうさんにとっての恩師と出会います。当時、相当の悪ガキだったさいとうさん、テストで白紙で出した際に、その先生から、「これを白紙で出すのは君の意思で出すのだから仕方ないだろう。しかし、君の責任のもとに出すんだから名前を書け」と言われたそう。

さいとう:あ、人間の約束事というのはこういうことかと。初めて気付かされた。
吾郎:先生もいいこと言いますね。
さいとう:あの先生と出会わなかったらどうなっとっただろうと思いますね。

そうして、さいとうさんはその恩師の名前を取って、ゴルゴに“東郷”という名前をつけました。

1960年さいとう・プロダクションを設立
そうして、1964年に今回の課題図書『劇画1964』にも掲載されている一連の漫画を発表します。

吾郎:今読んでもすごい面白かった。
さいとう:あ、そうですか。それが結局ね、要するにストーリー物のはしり。
吾郎:それまではこういう長編というのは無かったんや、全く。

当時の漫画は、1コマや4コマ漫画が多かったようで、大人も読める映画のようなストーリー漫画を描こうと思ったのだそう。
こうして、今や青年誌というジャンルが確立されたわけです。


今回の朗読は『香港ルートをたたけ!』という作品。密輸ビジネスを行う主人公・森(吾郎君)とその森を殺そうとする刺客(山田君)が演じてました。

ゴルゴ13は1968年に連載が開始されます。

さいとう:私は作品を描くときはみんな理詰めなんですよ。考えて考えて考えて。こんなときにこんな本で、どういうものがいいだろうと。
外山:はい。
さいとう:だから、青年誌で大人もので描くには、どんな主人公でどんな話を持って行ったらいいだろう。世界を舞台にしてやれば映画みたいな面白さが出るんじゃないか。
吾郎:ずーっと続けていける題材ですよね、ゴルゴ13って。
さいとう:生きてる限り。



さて、最後は山田君のハンコ。漫画家さんの前でハンコも勇気がいると思いますが、今回はゴルゴとさいとう・たかをさんのハンコを披露してました。



(16.08.07 up)



 

第212回放送 '16.07.14
祖父江慎 「祖父江慎+コズフィッシュ」

先週に引き続き、ブックデザイナーの祖父江慎さんがゲスト。
ここからは祖父江さんの経歴を振り返ります。

ブックデザインを始めたきっかけは、デザインを学ぶために多摩美術大学に入り、そこで先輩である漫画家のしりあがり寿さんから、本を出すので一緒にやろうよと声を掛けてもらった事。そこで初めて手がけた『エレキな春』(1985年)という漫画本。しりあがり寿さんもデビュー作だったそうですが、それが新人漫画家としては異例のヒットとなり、それがきっかけで、祖父江さんにもブックデザインの依頼がくるようになったんだそうです。

そんな祖父江さん、ご自身は本を読まれるのか?

祖父江:僕はね、本を読むのは時間がかかるんです。
吾郎:えっ、本当ですか?
祖父江:読もうとすると文字の形が気になっちゃって。最初読んでたのに、文字の形とか、行間空きすぎだろうとか、そっちが気になっちゃって、止まっちゃうんです。
吾郎:へぇ〜
祖父江:子供の頃からそうなんですけど。
吾郎:これ、生活してて大変ですね。あらゆる文字が目に入ってくると。
祖父江:大変ですね。
吾郎:テレビ観てて、テロップ観るだけでも、もう。
祖父江:テレビのテロップ流れると、「あ、この書体使ったんだ!新しいなぁ」とかそっちばっかり。内容が頭に入らないんですよね。

もともと、こういう仕事に向いた性格をされてるんでしょうね。


文字にこだわりがあるという祖父江さん、恩田陸さん小説「ユージニア」をてがけたときに、「読めば読むほどすっきりしない感じを何とかしてもらいたい」という変ったリクエストがあったようです。
そして、句読点をあえて昔のフォントを使ったり、漢字/ひらがな/カタカナでフォントを変えていたり、些細な違和感を演出しています。

吾郎:こんなこと知らないよ、見てる人。本好きな人でもね?意外と。
祖父江:知られないようにしたいっていう気持ちもあるんです。
吾郎:そっかそっかそっか。それもあるんですね。
祖父江:先にねそういうのを知ってから読んでも。何か、普段と微妙に違うかもしれない、という本当に、そよ風ぐらいでいいです。


場面は少し戻って、祖父江さんの書棚を見せていただいているVTR。
書棚いっぱいに夏目漱石の『坊ちゃん』ばかりが並んでます。文字の研究をしようと購入したもののようです。出版されてから約100年、いろんなタイプの『坊ちゃん』が発売されているようで、かつ、古本屋で買えば、1冊100円、毎年1冊発売されるとして100年で100円×100年=10,000円で過去の本が揃えられると思い、集めだしたそうです。
同じ本でも、初版(大正3年)と94版(大正13年)では、行間、文字数も変ってます。そういうのを見比べるのが楽しいんだそうです。
そして、いつかは夏目漱石の小説をデザインしたいと思っていた祖父江さんに、2014年『心』のブックデザインの依頼が舞い込みます。祖父江さんが手がけた『心』は、片手で読めるように配慮されてます。
めくりやすいように、そして、「ノド」のところの空間を広くしているので、無理して開かなくても読めると。片手設計を極めようとしたんだそうです。



話を戻して、今回の課題図書の『祖父江慎+コズフィッシュ』から、本の寿命について書いた部分を朗読。 本の寿命は長い方がいいが、読んでいくうちにほどほどに汚れていく本の方が好きだと。

吾郎:なんかいいけどね、古めかしくなっていくニオイとか。
祖父江:読者と本が、1対1の関係をきちんとつくれるかどうか。その人によって書き込んだり、破ったりいろんなことをして大丈夫だと思っている。あんまり大事大事にされて誰にとっても、いつ出しても同じような本よりは、僕はこの人が読んだこの本という状態がいいなと思うんで。まぁ、汚す人は汚してもらえればと思っていますけどね。


たとえば、吉本ばななさんの『ベリーショーツ』という小説では、”ノドボトケさん”が隠れていると。本がバラバラになったときに、つまり壊れないと見れないんですが(笑)、今回、特別に表紙を外して解体させてもらうと、本が綴じられた背表紙の部分に、イラストが隠されてました。


吾郎:知らない事ばっかりだね、本の番組やってんのにね。
外山:本当ですね、中身、ね?



他にも色々と探究心がとどまることがない祖父江さん。インクに酢醤油、カレー粉、著者の生髭・・・そんなものを混ぜて色々とやろうとしたこともあったそうです。

いや、これは祖父江さんんもすごいけど、それに協力する印刷所の人も偉いよね(笑)


さらに今、実験中のもの。新素材を使って次に試みられているのは、薄いゴムを綴じこんでみたり、ブラックライトに対してのみ反応するインクを使ってみたり。

祖父江:ブラックライトを当てるとカラフルに出てくるんです。不思議でしょう?これ、インクは開発されたんですが、どう使うかがこれから考えないといけないwww
吾郎:でも、面白いよね。これ、だって、絵とかでもいいじゃないですか。本だけじゃなくて何でもできるよね。CDジャケットとかでもできるよね。
外山:ああ〜
祖父江:だよねぇ。やっちゃいますよ!!言って頂ければ!!!


最後に、祖父江さんにとってのブックデザインとは?

祖父江:あまり無理して作るって感じでは無いんですね。デザイナーがこうだ!ってやりすぎると内容が消えていってしまうし、ほどよい具合にテキストが形になることをお手伝いする助産師的なそういう立場が、僕はこの仕事かな、って思ってるんです。
吾郎:自分の子供ではない。
祖父江:お手伝いですね。やっぱり本は著者のものだから、デザイナーのものではない。そこが何とも不思議で面白いですね。


今回の山田君のハンコは、ブラックライトでのみ光って見えるというインクを使って作品を仕上げてました。早速、ブラックインクを使って作品を作っちゃうゴロデラ、これはゲストさんとしても嬉しいですね。


(16.07.31 up)



 

第211回放送 '16.07.07
祖父江慎 「祖父江慎+コズフィッシュ」


今回はロケです。外は雨ですけどね;

吾郎:生憎の雨ですけれども。今日はロケで珍しく。
外山:そうなんですね。ブックデザイン界の巨匠、祖父江慎さんの事務所にやってまいりました。
吾郎:ねぇ?
外山:沢山の本をてがけていらっしゃって、すっごく忙しいんです。
吾郎:はい。
外山:ということで、我々が逢いに来てしまいました。
吾郎:なるほど。

この日は中目黒にある祖父江さんの事務所「コズフィッシュ」。玄関のドアフォンを押すと、祖父江さん、ご本人が出迎えてくださいました。

祖父江:どうも♪
吾郎:どうも。
外山:すいません、お邪魔します。
祖父江:来てもらっちゃってすいません。
吾郎:いえいえ、初めまして。
祖父江:背高いんですね。
吾郎:あ、そう…、そうですね。

なぜか背比べをする吾郎君と祖父江さん。オープニングから、ちとファンキーなゲスト?!(笑)


さて、この祖父江さん、ブックデザイナーとして30年間にわたって活躍されてきている方で、手がけた本は約2,000冊。お邪魔した事務所は、通路も仕事部屋も、とにかく本だらけ。

吾郎:すごい本の・・・。
外山:ねぇ。ほんの量が凄いですね。
祖父江:古本屋さんみたいになっちゃってて。
吾郎:祖父江さんが手がけた本ではなくて、資料というね?
祖父江:これ手がけてたら、僕、多分、400歳近くなると思うんで。
外山:ふふふ(笑)

玄関から入ってすぐの空間には、仕事のための資料としての本がぎっしり。もちろん、祖父江さんがデザインを手がけた本も半端ではない「量」で、仕事部屋の奥に、やはり本棚にぎっしり並んでました。

祖父江:何か、狭い場所に3人も並んでいるのは初めてかもしれないですね。
吾郎:この辺だってね、僕らも読みましたもんね、ゲスト来ていただいたときに。

楳図かずおさん「へび女」、しりあがり寿さん「流星課長」、本谷有希子「腑抜けども悲しみの愛を見せろ」など。

外山:あ、本当だ!
吾郎:個性的だよね。インパクトがあるね。

祖父江さんの本の表紙はインパクトがあるものが多いですが、さらに、文章が読みやすいとKADOKAWA編集者の岸本さんは指摘されます。書体など、こだわりがあるのだそう。


今回の課題図書 「祖父江慎+コズフィッシュ」では、これまで祖父江さんがデザインしてきた本が解説付きでまとめられてます。

吾郎:読んだことがある本もいっぱい。
外山:ねぇ?これも祖父江さんだったんだっていうのがね、沢山ありますね。
吾郎:そうなんですよ。でも、どれも被るものがない。じゃぁ、これが祖父江さんっぽいっていうのが無いじゃん。画家の方だとさ、作風ってあるじゃないですか?
外山:ありますねぇ〜。
祖父江:それそれ!作風がねぇ、あんまり僕、苦手なんですよ。なるべく同じデザインにならないように、ノウハウにならないように、癖にならないように注意して作ってます。
吾郎:それでこの量って!!
祖父江:(胸を張る祖父江さん)
外山:本当ですよねぇ。どういうこになってるんでしょうね、頭の中がね。


では、ブックデザインというのはどういうことをするのでしょう。

まずは『カバーデザイン』。

さくらももこさんのエッセイ『あのころ』『まる子だった』『ももこの話』の3部作のカバー絵を例に説明が始まります。1巻目の『あのころ』は、切り絵のようになってますが、よく見ると、ゆで卵の殻を砕いたものに色を付けて、絵が描かれてます。これは漫画らしくない絵をと祖父江さんがさくらさんに提案したところ、このようなものが出来上がってきたそうです。
ちなみに、2巻目の『まる子だった』はフェルトで、3巻目『ももこの話』は砂絵で描かれたそうです。


同じくカバーデザインの話で、赤塚不二夫さんのマンガ本もデザインされたそう。最初、赤塚さんと話をしたときには、『マンガは安くて読み捨てでいいから、デザインなんていらないよ』と言われたそう。極端に言うと、自分の名前さえも要らないと。だけど;

祖父江:いろいろプランを持っていくと、『お前、面白いな』って言って、『何やってもいいから、面白くしてくれ』って言われて、色々やらせてもらうことんあったんです。

そうして、例えば天才バカボンのマンガの表紙は、バカボンの肌の色が緑色になったような、そんなものまで登場したとか(笑)


楳図かずおさんの「恐怖」という漫画では、表紙が怖いだけでなく、裏表紙が鏡になっていたり、その鏡の中に人の顔が浮かんでいたり、また、本の断面部分(ページをめくる側)に、本を読み終えた側に顔が浮き上がるような細工をしたりと(←分かりづらい表現ですいません)、あらゆるところに恐怖が演出されてます。

吾郎:なんでこんな仕掛けにしたんですか?恐怖だから?
祖父江:恐怖ですかね。まぁ、読んでもらっているときに気付かれないように注意してますね。作品の邪魔をしないように。作品を2度、3度読む人が、「あれ、最初気がつかなかったけれども…」っていう程度がいいです。
外山:そういうところが何か、控えめですよね、すごく。
祖父江:控えめにしてるんです。時々やりすぎで怒られる事があるので、読者の人に。
外山:そうですか?(笑)
祖父江:極力控えめにしようと慎んでおります。

その辺が“プロの仕事”なんでしょうね。


見た目のほかに、手で触った感触まで考えるという祖父江さん。吾郎君がそれについて記載された部分を朗読します。

吾郎:何か気付かないうちに感じてることなんでしょうね。読者がね。さり気ない計らいですよね。

京極夏彦さんの『どすこい(仮)』というお相撲さんの話を描いた本では、本のカバーに”汗”の手触りがあるような、不思議なインクを使い、汗=ゴムのような感触があるような本にしてあります。
もちろん、予算も考えないといけないですが。


糸井重里さんの『言いまつがい』では、わざと背表紙を斜めにカッとしていみたり、本体を固めるための素材(テープ)を、見える状態で、しかも印刷所の人に無理を言って背表紙の途中まで貼ってもらったりとか。

吾郎:本屋さん大変だよね。面白い。

そして極め付けが吉田戦車さんの『宣伝るんです。』。ありとあらゆる間違い(乱丁,落丁)を意図的にやってみたものの、結果、返品の嵐になったと。そりゃそうだと思います。言ってくれないとわからないし(笑)


最後に紹介されたのは、本の隠しデザイン。
たとえば、本来の本の表紙になる部分ですが、普段はカバー表紙に隠れて誰も見ない事が多い部分。そこにちょっとしたサービスの挿絵を入れたりという遊び心を加えてます。
また、とある漫画本では蓄光インク(蛍光塗料)を入れて、明かりの無い暗い部屋で読むと、本来の内容とは別の内容のマンガが読めるという遊びも。これは全く気付かないし、えっと、・・・・無駄???(笑)


今回は話が盛り上がったからか、もしくは吾郎君の仕事が忙しいからか(?)、久しぶりに来週にも祖父江さんとのトークは続きます。普段ももっと2週に亘ってやってくれてもいいのにね。


(16.07.24 up)



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