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'13年2月放送分 |
第75回放送 13.02.07 |
第76回放送 13.02.14 |
第77回放送 13.02.21 |
第78回放送 13.02.28 |
♪番組の説明 SMAPで最もおしゃべり大好き!稲垣吾郎と毒舌マシンガントーク!小島慶子の言いたい放題!斬りたい放題!深夜ノンストップトークバラエティ!!今週の課題図書は? |
第77回放送 TBS:'13.02.14 24:20〜24:50 Guest:水道橋博士, 課題図書「藝人春秋」 オープニング いつものように向かって右から吾郎君、左から小島さんが登場。 小島 「今回ですねぇ〜、私もあの…随分長く存じ上げてる方なんです よ、ゲスト」 吾郎 「そうですか?」 小島 「そうなんです。吾郎さんもどっかで会っていると思います」 吾郎 「本当ですか?」 小島 「はい」 吾郎 「ゲスト、誰が来るか分からない体、やめません、もう?」 小島 「そうだね」 吾郎 「だってもう、タモリさんたちだって”友達紹介”じゃないじゃ ん」 小島 「ああ、そうねぇ・・・」 ゲスト登場 さて、本日のゲストは水道橋博士さん(以下、世間一般の皆様と同じく博士(敬称略)で記載させて頂きます)。先日、とみこはんがゲストのときに、飛び込みでいらして下さいましたが、改めてきちんとしたゲストとしての出演です。課題図書はもちろん『藝人春秋』 吾郎 「おもしろかったです」 小島 「おもしろかったでしょ?」 吾郎 「はい。何かあまりこういうスタイルのものって読んだことない というか」 小島 「熱量がすごくなかったですか?」 吾郎 「熱量がすごいです」 小島 「これは絶対に書いて残すんだ!っていう博士の意思というかで すね」 吾郎 「そうですね」 小島 「元マネージャーのくみこはんがいらしたときに、御自らこれを、 本をお持ちになってですね」 吾郎 「そうですよ」 小島 「そこから(入り口じゃないところから)入ってこようとした。 このキャスティングは博士が根回ししたものなのか」 吾郎 「消しゴムはんこもフリだったのかな?」 小島 「フリだったのかな、実は???」 そんな前フリで水道橋博士登場。 博士 「こんばんは。ようやくメインのゲストで。僕が根回ししたとし たらとみこはんの後には出ないです」 小島 「そっか(笑)」 博士と小島さんは、3年間、TBSラジオで番組を一緒にやってました。そんな2人が吾郎君の目の間に並んで座っているわけです。 吾郎 「不思議なコンビですよね、こうやって見ると」 博士 「あの・・・、テレビで観ると絵面が大きいの(=小島さん)と ちっちゃいの(=水道橋博士)になるんで、ラジオだと不思議 じゃないですよね」 吾郎 「だってさ、お二人とも、結構…、何だろう、衝突する感じじゃ ないですか?」 小島 「あははは(笑)」 博士 「そんなことないですよ。僕どちらかというと僕がキャッチャー やってましたから」 吾郎 「本当ですか?!」 博士 「ええ。(小島さんは)豪速球にもほどがありましたよ。めちゃ ぶつけでしたもん」 小島さんの朗読 本の冒頭部分。青春時代の話を書かれた部分で、当時は今で言うひきこもり状態だったと。それがビートたけしさんの元に弟子入りし、芸能界があの世の出来事であるかのような非世界(あの世)に飛び込んだという感覚でかかれた部分らしいです。 そうして、芸能人の観察を行ってきた内容を書いたのが今回のご本。 博士 「今日僕 『あさイチ』(@NHK)出てましたけど、あの…イノッチ にずーーーーっと『稲垣吾郎はどういう人か?』っていうのを ずーーっと取材してました」 小島 「何リサーチしたの?(笑)」 吾郎 「(^^;)」 小島 「すごいねぇ〜」 吾郎 「本当ですか?」 博士 「付き人やって、一緒に海外行ったことあります?」 吾郎 「そうなんです」 小島 「えっ?」 吾郎 「一回だけ。イノッチ、結構、SMAPの付き人やってたんですよ」 小島 「ええ!!!そうなんだ」 博士 「そのときに、イノッチが仮払いとか、イノッチが全部払ったん ですって」 小島 「ええ?」 博士 「そしたら、『稲垣さんが、自分の服ばっか買うんですよ』」 吾郎 「あはははは(笑)」 博士 「こういう話をメモっちゃうんですよ、俺!ああ、面白いなぁ」 吾郎 「面白いですねぇ」 と、こんな風に、藝人の世界に飛び込んだルポライターの心境でいろいろ観察していらっしゃるんだそうです。 博士 「それを、忘れないようにブログをずっと17年、15年か、続けて るっていうのは、その***を入れとくんです」 と博士。ここでそのブログ中に登場する吾郎君に対しての話。 博士 「稲垣吾郎をどこで僕が記憶してるかっていうのを振り返ってみ たら」 小島 「ブログで?」 博士 「そうです」 小島 「はい」 博士 「97年にめちゃめちゃ印象的な日記があるんですよ」 小島 「97年に会ってる?」 吾郎 「ええええええ?本当ですか?」 小島 「吾郎さんと?」 ということで、この日のブログ。1997年6月29日の日記より抜粋されたものだそうです。記載しちゃっていいかな…。テレビで紹介されたのはブログ全文では無いようですが;
吾郎 「ああ・・・」
博士 「あははは」 吾郎 「タマキスト(^^;」
吾郎 「いや、嬉しいですね♪」 小島 「15年前の舞台、覚えていらっしゃいます?」 吾郎 「覚えてますよ。もちろん、だって僕はもう、一生忘れない舞台 ですもん、やっぱり。とにかく台詞の量がすごくて、本当、声 が全く出なくなったりとかして。でもね、すっごい楽しいなぁ、 って思ったんですよ、演劇って、こんときに」 小島 「あ、そうですか」 吾郎 「うん。舞台やっていこう、って、こんときから思って、昨日も やってるわけですよ」 博士 「へぇ〜」 小島 「ねぇ?今もずっと」 吾郎 「いや、何か、がんばろ〜」 小島 「あはははは(笑)」 博士 「(笑)」 吾郎 「(^^;)」 小島 「見てくれてる人いるんだなっていう」 吾郎 「そうだよねぇ〜。僕がゲストみたいになってるよ」 小島 「次の本に載りますから。『藝人春秋2』の中に、稲垣吾郎って いう項目が入ってくる」 吾郎 「すごい、観察してくれてる感じが伝わってきて、何か嬉しい」 小島 「でも、あのね」 吾郎 「すごいですね。そういうきっかけでまた全部、思い出していく わけですよね?」 小島 「そうやってブログにもされてるし、記憶にも残っているものが 今回、1冊になったんですよ」 と、そこで、ADの山田君が登場。 博士 「おっ、山田君!紳助さんは元気ですか?」 さらりと爆弾質問と思ったら、山田君は山田君で、さらりと; 山田 「はい、先日会いました」 爆弾回答(笑) 吾郎 「会ったんだ!!」 山田 「はい、ロン毛になってました」 吾郎 「本当に?!(笑)」 山田 「ムキムキになってました」 小島 「もういいです」 博士 「それまた、楽屋で取材するから」 藝人春秋の本に関しては、色んなメディアで取り上げられているようで、ここではゴロウデラックスではお馴染みの(?笑)、西村賢太さんの書評を。「名文で活写される「藝人」たちの人生。これはエンタメと私小説が融合した文学的事件だ」というコメントを寄せていらっしゃってます。 水道橋博士も西村さんの苦役列車を読まれていて、この小説は「オールナイトニッポン」は高田文夫さんとビートたけしさんの影響を受けていると感じられたそうで、番組でたけしさん&西村さんとご一緒したときに、番組終了後、朝7時まで飲んだそう。ただ、たけしさんの目の前で西村さんは眠っちゃったり、 吾郎 「あははは(笑)。もう、緊張がほぐれちゃったんだね」 吐きかけそうになったり、 吾郎 「ダメなんですよ。もう、それね、日課なんですよ。駐車場の所 でね」 なぜか吾郎君が代弁してました(笑) 小島さんの朗読 草野仁さんに関する部分を朗読。肉体派の草野さんについて記述されてます。 吾郎 「でもさ、確かに目の奥とか鋭いよね?」 小島 「言われてみると格闘家っぽいな、って」 吾郎 「ね?」 吾郎君の朗読 甲本ヒロトさんについて。中学のときの同級生だったんだそうで、たけしさんのラジオ番組にゲストできたときに再会したそうな。 「北野武と松本人志を巡る30年」という章については、こんなところまで書いていいのかというところまで書いたんだそうです。内容はここでは語られなかったですが…。 と、ここでVTRでたけしさん登場。なぜか寿司屋の大将のキャラで登場。 ・・・これって、「情報7daysニュースキャスター」??と思ってたら、まさしくその番組から出された本「幸せ三面記事新聞」の宣伝でした(爆) 番組を戻して、最初に吾郎君が朗読した「まえがき」の部分、敢えて「読点”、”」を使わずに書かれたそうです。 吾郎 「ちょっと読みやすかったのよ、逆に?何でですか?」 博士 「「芸」をやりたいんですよ。「文芸」だから、そういう「芸」 をやりたいんですよ」 「、」がなくても分かってもらえるように、しかもそれを気付かれないように、そんな風に配慮されたと。他にも漢字の割合とか、ものすごく時間がかかったと。 吾郎 「これ何か、絶対ほら、舞台上で台詞をしゃべったら、絶対格好 良く喋れそうじゃない?『タララララララ、タララララララ…』 って。僕はかなり点を入れて読んじゃったから反省してたんだ けど。そう、気付かないで読んじゃったから。おもしろいねぇ」 小島さんの朗読 古館伊知郎に関する部分を。プロレス実況風に表現されてます。 小島 「こういう書き方っていうのはやっぱり芸人さんならではだなぁ、 と思いますよね」 吾郎 「でもこれ、ずっと続くんでしょうね、きっとね」 小島 「吾郎さん、登場しますよ(笑)」 最後にもう一度、山田君登場。先日ゲストでいらしたとみこはんに弟子入りして、はんこを作ってきたと。真ん中に大きく「藝」というはんこと、その脇に花をモチーフにしたはんこが押されてました。 小島 「ああ、やっぱり才能があふれ出してる!」 山田 「さっき作りました。藝人の藝が僕の知ってる芸じゃなかったの で、それを」 吾郎 「これやれば、どんなつまんないこと言っても全部大丈夫だよ」 博士 「ありがとうございます。じゃぁ、よきところで締めを」 小島 「今日は本当にありがとうござました。是非、パート2、パート 3を」 吾郎 「そうですね。ちょっと僕らも出れるように」 小島 「そうですね」 博士 「ここで話が締めに向かってるように見えるでしょう?まだある!」 小島 「何を(笑)」 博士 「いや、次の時間が・・・」 吾郎 「お二人、楽屋でやってもらっていいですか?」 ・・・(笑) (13.02.24 up) |
第76回放送 TBS:'13.02.07 24:20〜24:50 Guest:三原康博, 課題図書「ザ・ベストテンの作り方」 オープニング 昔懐かしの「ザ・ベストテン」形式の映像で番組スタート。 吾郎&小島 「ゴロウ・デラックス!」 とはいえ、悲しいかな、番組予算はありますので(笑)、模型セットにゴロデラキャラの二人の紙人形が置かれてます。 吾郎 「みなさん、こんばんは、稲垣吾郎です」 小島 「小島慶子です。吾郎さん、何か私たち、いつもちょっとと今日、 違いませんか?」 吾郎 「何か、おかしですよね?ちょっと小さい気がするし」 小島 「ええ」 吾郎 「小島さんも何か、お姫様みたいになってるし」 小島 「これもいいかな、って思いますけどね」 吾郎 「うん。っていうかさ、このセットってもしかして『ベストテン』 のセットじゃない?」 小島 「あ」 吾郎 「テレビで観たことあるよ」 と、白々しい前フリがありましたが、今日はこのテレビの美術セットがテーマです。 吾郎 「っていうかさ、そろそろ現実の世界に戻らない?」 小島 「そうしましょうか〜」 すると、リアル吾郎君と小島さんが、当時のザ・ベストテンの歌手登場のセットそのものから登場。あれ、これは本物?まさか、ゴロウ・デラックスの番組予算ではここまで作らないですよね? 小島 「本物?」 吾郎 「本物?やってみたかったんだよね、これ、一回」 小島 「あ、そうか。SMAPのみなさんはもうベストテン、無かった んですか?」 吾郎 「無かったですよ」 小島 「ああ」 吾郎 「もちろんバックとしてね、光GENJIさんのバックダンサーとか ではあるんですけども」 今日は“ベストテンを作った方”がゲストです。 本日の課題図書は三原康博さんによる『ザ・ベストテンの作り方』。三原さんは、ベストテンの美術を担当されていた方です。 ゲストとトーク 小島 「テレビ業界の一番、こう…、華やかだった頃というか、今とは 違う形でセットとかね。今割りと、光線とか、光の具合とかで」 吾郎 「テレビではね。歌番組のセットね。特に今、もう、明かりで」 小島 「でしょ?」 吾郎 「1セット、明かりでっていうか」 小島 「この頃は」 吾郎 「すごいですよ」 小島 「今のテレビ業界は…、あれ(黄金ダルマ)、美術倉庫で拾って きたのよっ!」 スタッフ「あははは(笑)」 吾郎 「・・・(^^;」 小島 「元値ゼロよ」 スタッフが大笑いしていたところを見ると、本当に拾ってきたものなのだろうか???(汗) 吾郎 「って言うかさぁ」 小島 「これ(ゴロウ・デラックスのセット)も何かの使い回しでしょ?」 吾郎 「でしょ?僕らもう、ここでずっとやってるんだよ」 という何とも雑な前フリの後、著者の三原さん@美術デザイナー登場。 当時のベストテンのセットは、1組のアーティストに対して1つのセットを作っては捨て、ということをやっていたという、今では信じられないような作業をされてました。 三原 「今はもう、無いでしょ?」 吾郎 「無いですよ。普通、使いまわすしさ。だって、『ミュージック ステーション』の白いヤシの木なんかずっとあんだよ、あれ」 だけどそう考えると、スマスマの歌コーナーは毎回違うっていうだけでもすごいことなんですよね、きっと。 小島 「だって、1個1個がすごく高いですからね」 吾郎 「普通は考えられないことです」 小島さんの朗読 三原さんはデザインや美術というものについて「消費しないといけないものだ」と仰ってます。消費するということは、ものを考えなきゃいけないという、物を生み出すことにつながると主張されてます。 吾郎 「でも、よくそれは、本当に、許可が下りたというかね。それが ちゃんと成り立ってたんですね」 小島 「ねぇ。勿体無いからダメ、って言われたらお仕舞いじゃないか…」 三原 「よき時代がそれなんですよ」 三原さんがご自宅に保存している美術セットの模型をスタジオに。スタジオに持ってきていただいただけでも20や30個はある感じ。残していらっしゃるんですね・・・。 「ミ・アモーレ」(1985年)、「星屑のステージ」(1984年)、「CHA・CHA・CHA」(1986年)、「渚のはいから人形」(1984年)のセットを見ながら、吾郎君、小島さんと二人で歌を口ずさんだりしてました。 ここで; 『ザ・ベストテン美術デザイナーが選ぶザ・ベストテンセット ベストテン』 を発表。当時のベストテンのランキング発表のボード(本物)を使ってます。こういうの、取ってあるんですね。
三原 「これももう…、くたびれちゃって動かないんじゃないかという あれがあったんですけど、無理を言って今日もってきてもらっ ている」 吾郎 「これ本物ぉ〜?」 三原 「はい」
吾郎 「何かアイディアとかトリックだよね、本当にね。いかに上手く 騙すというか」 小島 「でも、制約が多い中でというのが、かえって功を奏してという か」 三原 「そうですね、勉強させてもらってますよ」
生放送ゆえのやりっぱなしのいいところもあり、全部に力を入れるのは無理なので、例えば7曲あれば、その中に1つ特に気合入れた作品を作ったりということをされたそうです。 小島 「ここにね、作品として永遠に残るものっていう芸術の作品とは 違うのでね。そのこう…儚さみたいなのがテレビ全体にあって」 吾郎 「そうだねぇ。それがさっきも消費の話をされていたけど、それ が芸術なのかもね、取っとかないのもね」 小島 「テレビならではの、テレビしかできない」 そして、最後はベストテン風に、「ハイポーズ!」 吾郎&小島「また来週ぅ〜!!!」 (13.02.17 up) |